▼山のまん画ばなし【本文】のページ(08)

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▼房総・富山里見八犬伝伏姫

【略文】
富山(とみさん)は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の舞台としても
有名で、鞍部を西側に下ったところに「伏姫(ふせひめ)の籠穴(ろ
うけつ・ほら穴)」がある。洞くつの中には、祠や石塔がならび異
様な雰囲気が漂っている。ところで作者の馬琴は、この山に来たこ
とがないという。誰かが小説を読んでから、洞くつがないか探した
のでしょうか。
・千葉県南房総市

※ご用とお急ぎでない方は、【本文】もどうぞ。

【本文】

 房総半島の南部に位置する富山(とみさん)は、形のよい双耳峰
で観音峰と呼ぶ南峰と、鞍部を隔てた広場に展望台のある北峰があ
ります。富山とは伝説によれば、成務天皇の時代(在位紀元131〜
190年)という途方もない時代、房総開拓の祖である天富命(あめ
のとみのみこと)を、その子孫久登美が安房神社から移しまつった
ことで天富山といいました。


 そののちに富山と呼んだということです。ちなみに成務天皇は、
第13代とされる天皇で、108歳??まで生きたことになっちゃって
います。ここは鞍部まで車道が上がってきています。北峰は金比羅
権現のお堂があり、金比羅峰とも呼ばれています。


 一方南峰には、もと安房国札第十二番札所の聖(しょう)観音堂
がありました。これは731年(天平3)、行基(ぎょうき)菩薩の創
建で、この峰を観音峰と呼ぶそうです。が、いまは仮堂がポツンと
建っているのみ。


 その観音堂の仮堂わきには、明治から大正時代の作家で児童文学
者、また俳人で、ドイツ文学者、さらにジャーナリストでもあった、
巖谷小波(いわやさざなみ)の「山高きが故に尊(たっと)からず、
この山馬琴の麗筆(れいひつ)によりてその名永(とこしえ)に高
く尊し」の詩碑も建っています。


 この碑に書かれているように、この山は、滝沢馬琴の『南総里見
八犬伝』「富山の洞に畜生菩提心を発す流水に泝(さかのぼり)て
神童未来果(未来の因果)を説く」の舞台としても有名です。鞍部
を西側に下ったところにはその「伏姫(ふせひめ)の籠穴(ろうけ
つ・ほら穴)」があります。


 入口には観光名所として看板が建ち、「仁、義、礼、智、忠、信、
孝、悌(てい)」の文字を使っての説明文があります。洞くつの中
には、祠や石塔がならび異様な雰囲気が漂っています。


 ところで作者の馬琴は、この山に来たことがないというから面白
い。実は、現地取材なしの創作で書いた洞くつが、後世になり、そ
れこそ偶然に発見されたものだそうです。いまはきれいなトイレも
建っています。


 ところでこの山に、雷獣という動物がいたという記録があります。
雷獣は雷と一緒に落ちてくるらしく、雷が収まったあとウロウロし
ているということです。この小動物は、丹沢大山や蓼科山、その他
の山にいたという記録があります。


 房総の古文書や記録などを集めた『房総叢書・第2巻』(大正3
(1914)年発行)に収納されている「房総雑記」の中の「房州雑記」
の六項に、「雷獣を狩る」と題してこんなことが書かれています。


 「六、蒐(二)雷獸(一)(※雷獣を狩る)安房の国二山(フタツ
ヤマ)に於いて、毎年正月雷獣を蒐(※か)りしこと三才図絵に見
えたり、二山の名分明らかならねども、恐らくは富(山)、御殿(山)
の二山を指すならん、如何となれば今に正月六日領主酒井侯(※勝
山藩)より富山に上がる例を存す。…


 …又「安房旧跡考」に御殿山(三等三角点363.9m)に古昔雷獣
を捕へ、これを食ひしと見えたり」とあります。「房総雑記」とい
うのは、嶺田楓江(みねだふうこう)著・明治16(1883)年以降
刊行の文書。


 さらに江戸時代中期の図入百科事典『和漢三才図会』巻第66に
は、「二山(ふたつやま)の雷狩」毎正月に里では人々が群集して
雷狩をする。鼬?(いたち)のようなものを多く獲(とら)えて殺
す。するとその夏は雷鳴が少ない。もし狩り獲(と)ることができ
なければ雷鳴が多いと云々。いぶかしいことである」とあります。


 それらによると、房州安房の国の二山(ふたつやま)では、毎年
正月村人が雷狩りをするというのです。そして雷獣を多く捕らえて
殺した年の夏は雷が少ないといい、南房総市(旧安房郡丸山町)の
御殿山にも雷獣雷獣がいて食っていたらしい。


 ところがですよ。ここに出てくる「二山(ふたつやま)」が問題
で、「二つの山」なのか、鴨川市の二ツ山(標高点376m)なのか迷
うところ。おまけに鴨川市の二ツ山の近くには先に出ている御殿山
があるのです。そのあたりがどうもはっきりしません。


 しかし「房総雑記」に「二山の名分明らかならねども、恐らくは
富(山)、御殿(山)の二山を指すならん、如何となれば今に正月
六日領主酒井侯(※勝山藩)より富山に上がる例を存す」とあると
こから、二山(フタツヤマ)とは富山と御殿山のことにしておきま
しょう。


 さらにこの山には巨人「デーデッポー」の伝説もあります。大昔、
デーデッポが富士山に腰をかけて、前かがみになりながら東京湾で
顔を洗っていました。(そのころにも顔を洗う習慣があったのです
ねえ)。ある時、目の前の東京湾をひとまたぎ、千葉県房総の安房
に渡ってきました。そしていまの安房郡鋸南町江月の遠柿地区から
上総方面へ「ノッシ、ノッシ」と歩きはじました。


 巨人はのどになにか引っかかったのか、「エッホっ」と咳ばらい
をしたのです。そのとたん、のどから飛び出したものがありました。
それがいまも千葉県安房郡鋸南町から見える浮島だというのです。
やがてデーデッポーは、富山を枕にしてゴロリと寝転がりました。


 うう〜んと背伸びすると、巨人の足が岩井海岸まで届いています。
そこへ村人が大勢やってきて海水で足を洗ったという話もありま
す。デーデッポーは村人と仲良くなっていたらしい。こうして枕に
された富山は、真ん中が凹み、北峰と南峰の双耳峰になったという
わけです。


 この山のキツネが女性に化けた話もあります。いま鋸南町の一部
になっている佐久間集落で祭りが行われたある夜、帰りに若者たち
が富山のふもとのふもとのお茶畑まで来ると、あぜ道にひとりの女
性が腰かけているではありませんか。見るとなんとも美しい顔、眉
毛まではっきり見えます。


 格子縞の着物も浮き上がっているのです。若者のひとりが恐る恐
る女性のそばを通り過ぎました。よく見ると美女の正体はキツネで
はありませんか。「わーッ!」若者たちはクモの子を散らすように
逃げ出したということです。



●富山北峰【データ】
▼【所在地】
・千葉県南房総市富山地区(旧安房郡富山町)。JR内房線岩井駅
の東3キロ。JR内房線岩井駅から歩いて1時間半で富山南峰。さ
らに10分で北峰。南峰に観音堂の仮堂があるが地形図には地名標高
ともに記載なし。北峰に三等三角点(349.5m)と電波塔がある。
▼【位置】
・三角点;北緯35度5分55.82秒、東経139度52分53.48秒
▼【地図】
・2万5千分の1地形図「保田(横須賀)」or「金束(横須賀)」(2
図葉名と重なる)
▼【山行】
・某年6月8日(日曜日・雷雨)



▼【参考文献】
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮田登・宮本
袈裟雄(みやもとけさお)編(名著出版)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『南総里見八犬伝』(第二輯巻の一、第十二回)曲亭馬琴(小池藤
五郎校訂)(岩波書店)1985年(昭和60)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)
・『房総叢書・第2巻』(房総叢書刊行会・編集発行・房総の古文書
や記録などを集めた書)大正3(1914)年:「房総雑記」(嶺田楓江(み
ねだふうこう)明治16(1883)年以降刊行)
・『房総の山』千葉県山岳連盟(千秋社)1977年(昭和52)
・『和漢三才図会』寺島良安(1712年(正徳2):東洋文庫487『和
漢三才図会10』(島田勇雄ほか訳)(平凡社)1988年(昭和63)


▼この話は山の伝承神話 いらすと紀行 から引用しました。


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