▼山の軽口ばなし
本文のページ(08)
【とよだ時】(豊田時男
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▼秩父御岳山と木曽御嶽

【略文】
秩父御岳山は江戸中期の修験者・普寛行者が
開いた山。普寛は木曽御嶽山の王滝口を開い
た行者。そのためこの山も御岳山ですが、秩
父にあるため秩父御岳山。普寛行者は「御嶽
教」の教祖でもあり、腹痛の妙薬「木曽百草」
の創始者でもあります。
・埼玉県秩父市と小鹿野町との境

★お急ぎでない方は下記本文もご覧下さい。

▼秩父御岳山と木曽御嶽

【本文
 埼玉県秩父にも御岳山があります。ここは
江戸中期の修験者である普寛(ふかん)行者に
よって開かれたとされています。普寛行者は、
木曽御嶽山の王滝口を開いた行者です。その
ため、この山も御岳山と名づけたのですが、
秩父にあるため秩父御岳山(1081m)とも呼
んでいるそうです。南ろくの秩父市(旧大滝
村)落合集落には、行者を祭った普寛神社が
あります。普寛行者は1731年(享保16)、こ
の大滝村落合の木村家に生まれたといいま
す。

 ここに普寛行者の詳しい経歴があるので要
約してみます。幼名を木村好八丸といい、近
くの三峰山に登り、剣道修行をしていました。
30歳の時、江戸に住んでいる伯父の法性院伯
忍を頼って江戸に行き、のち八丁堀同心であ
る浅見家に婿入りし、浅見好八と名のりまし
た。好八は普段、剣道を修行して町道場を開
き、弟子たちを教えていましたが、そのかた
わら、伯父の伯忍の家に通い、経典やそのほ
かの書物を借りて読んでいたといいます。

 1764年(宝暦14)4月11日、好八は例月の
ように浅草観音や、上野寛永寺などをまわっ
たと帰途の途中霊感を受け、修験者になろう
と決心し、伯父の伯忍のもとで出家、修験道
を習ったという。その辺りがわれわれ凡人と
違うところです。そして再び故郷の三峰山へ
帰り、日照僧正から天台密教を修行。奥義を
極めて、名前も正本山本明院普寛と改め、「日
本六十余州」の遍歴の旅に出かけたのでした。

 まず三峰山奥ノ院からはじめ、意波羅山、
武甲山、武尊山を開き、さらに越後の八海山
も開きました。1766年(明和3)、権大僧都
(ごんのだいそうず・僧官のひとつ)となり、
1782年(天明2)、には伝燈大阿闍梨(でんど
うだいあじゃり・真言密教最奥の阿闍梨位)
になりました。伝燈とは、真言宗の法脈伝え
るということで、加行を終えた行者さんに伝
法灌頂するという難しいことらしい。その16
年の間に、三笠山、筑波山、羽黒山、戸隠山、
立山、白山、阿蘇山、国見岳、桜島など跋渉
回行(ばっしょうかいぎょう)。

 その行脚の途中、木曽御嶽(3067m・長野
県と岐阜県の境)がまだ開拓されていないこ
とを聞き、ここを開こうと決意しました。昔
から木曾御嶽山に参る登山者は、ふもとで10
0日の精進潔斎をしてから登る習わしです。
また1161年(応保元)には、後白河上皇の勅
使も登山している由緒ある霊山です。1792年
(寛政4)の2月、木曾出身の木屋吉右衛門
と、霊岸島の和田屋孫八らの一行7人は江戸
を出発しました。

 そして案内人である地元の民与左衛門を先
頭にして登山、1792年(寛政4)6月、つい
に御嶽山の王滝口を開くことができたのでし
た。みな神に感謝し、頂上に祠を建てて、登
拝者の安全と衆生済度を祈願しました。帰り、
黒沢口を開いた覚明行者の亡骸を発見し、黒
沢口九合目に埋葬して冥福を祈ったのであり
ました。その後普寛行者は、江戸、武州、上
州をまわり、加持祈祷や法話などをして、ま
た故郷落合地区に「意波羅堂」を建立、1801
年(享和元)に入寂、行年71歳でありました。

 遺骨は遺言により4つに分け、ひとつは、
出身地の埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)
落合に、また木曾御嶽山に、さらに江戸吉祥
院に、入寂地の本庄と、行者の縁の深い各地
に埋葬されたのでした(『木食普寛霊神由
緒』)。御嶽山の王滝口の名は、生地の大滝村
の名にちなんだものだそうです。普寛行者は、
この木曽御嶽山を霊山とあがめる「御嶽教」
の教祖でもあり、高山植物のコマクサからつ
くった腹痛の妙薬「木曽百草」の創始者でも
あるそうです。

 私の祖母も、御嶽教の信棒者でお参りのた
め、よく御嶽山に登っていました。そして家
では木曽百草は常備薬でした。「腹が痛てぇ」
といえば、すぐ「お百草、飲め」と真っ黒な
かたまりを持ち出します。これがまた、胃腸
がひっくり返るような苦い薬。「なおった、
なおった」と逃げ出したものでした。

▼秩父御岳山【データ】
・【所在地】
・埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)と同
県秩父郡小鹿野町両神(旧秩父郡両神村)と
の境。秩父鉄道三峰口駅の北西3キロ。秩父
鉄道三峰口からバス、落合から歩いて2時間
で秩父御岳山。三等三角点(1080.4m)と普
寛神社の奥宮がある。地形図に山名と三角点
の標高と神社鳥居記載あり。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータル
・三等三角点:北緯35度57分59.63秒、東経1
38度56分33.5秒

・【地図】
・2万5千分の1地形図「三峰(甲府)」(

▼【参考文献】
・『奥秩父の伝説と史話』太田巌著(さきた
ま出版会)1983年(昭和58)
・『角川日本地名大辞典11・埼玉県』小野文
雄ほか編(角川書店)1980年(昭和55)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書
房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004
年(平成4)


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