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山旅伝説伝承【ひとり画展】(08) 【とよだ 時】


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▼山旅【画っ展】990号「奥多摩・生藤山の場所と甘草水の伝説」

この山はふつうは、三角点(990.3m)のあるピークを「生藤山」
とか「三国山」といっています。しかし実際の都県境の「三国山」
は、生藤山の少し西南にあるいまの地形図に三国峠と記されている
峰が山頂なのだそうです。つまり生藤山とはこのあたりの総称らし
い。近くには「甘草水」という清水もあります。
・東京都檜原村、神奈川県相模原市、山梨県上野原市の境。

【本文】は下方にあります。長いです。

▼山旅【画っ展】990号「奥多摩・生藤山の場所と甘草水の伝説」

【本文】

 奥多摩の三頭山から南東に笹尾根を下ると、熊倉山の南東の先に
生藤山(しょうとうさん)という山があります。奥多摩の南端に当
たる山です。東京都檜原(ひのはら)村、神奈川県相模原市、山梨
県上野原市の境にあります。別名を「きっとさん」とか「三国山」
というそうです。そういえば生藤山は生(き)藤(とう)とも読め
ますよね。

 この山はふつう、茅丸(1019m)西方にある三角点(990.3m)
のあるピークを「生藤山」とか「三国山」といっています。しかし
実際の都県境の「三国山」は、生藤山の少し西南にあるいまの地形
図に三国峠と記されている峰が山頂なのだそうです。つまり生藤山
とはこのあたりの総称らしい。

 しかし、ただ単に生藤山といえば三角点のあるピークをいうよう
です。三国山は「甲・武・相」3国の境にある山です。そのため3
国の、ともに江戸時代の地誌、『甲斐国志』(江戸時代後期の1814
(文化11年)完成)、『新編武蔵風土記稿』(1810・文政11年)、『新
編相模国風土記稿』(1841年(天保12))それぞれに、下記のように
記載されています。

 『甲斐国志』(巻之36)には「…栗坂ヨリ辰巳(たつみ)(※南
東)ニ峯ツヾキ半里許(ばか)リニシテ三国山ニ出ヅ是甲武相三州
ノ分界也嶺ノ西北ハ棡原(※ゆずりはら)ニ属シ嶺ノ南ハ相州津久
井県佐野村ニ属シ嶺ノ東ハ武州日野村ニ属ス…」とあります。『新
編武蔵風土記稿』(巻之111)には「相州甲州の接地なり、由(よ
っ)て三國嶺の唱はおこれりといふ、最険阻なる嶺なりと云、…」。

 また『新編相模国風土記稿』(巻之16)には「当国(※相模)と
駿甲(駿府、甲州)三州の間にあるが故、此唱あり」と記していま
す。ここも分水嶺のひとつで、東京都側は、南秋川の支流の矢沢の
源頭になっていて、多摩川に注いでいます。

 神奈川県側は鎌沢から沢井川、相模湖を経て相模湾に、山梨県側
は南西の黒田川に落ち、鶴川、桂川を経て相模湖の注ぎ、同じく相
模湾に流れています。そもそも三国峠(三国山)は、古くから甲州
街道から武州御岳(みたけ)に抜ける「檜原御獄道」や「井戸棡原
(ゆずりはら)道」として、御岳信仰や甲州と武州の交易の道に利
用されてきたという。

 この三国峠(三国山)から北西にのびる笹尾根の熊倉山手前、北
東から長尾尾根が合わさるピークが軍荼利(ぐんだり)山だと、宮
内敏雄著『奥多摩』にあります。同書には、「山頂は巨木の一本天
を摩し、その株に小石祠をまつる。…

 …ここに山名由来の軍荼利(ぐんだり)様がまつってあったのだ
が、現在は甲州側に下されて井戸の部落に遷され、日本武尊と合祀
され井戸の軍荼利さまと名が変わって信仰を聚(あつ)めている。
いかなる旱天にもこの宮に祈ると雨の降らぬことはないそうであ
る」とあります。

 しかしその手前にも、軍刀利(ぐんだり)神社元社跡の標柱があ
る山があるのです。登山地図に鳥居のマークが打ってあるところが
それ。その山頂の標柱には軍荼利神社元社跡とあり、また鳥居の神
額に軍刀利神社元社とあるところからここが本当の軍荼利山らし
い。なんともまぎらわしい。

 さて、三国山の近くにある「甘草水(かんぞうすい)」という清
水が湧く水場があります。以前は少ない水量を大事に汲んでいたの
ですが、いつのころからか飲めなくなってしまいました。近くには
サクラ並木もあり、かつてはわざわざ花見にやってきたものです。
甘草水にはこんな伝説があります。

 その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東夷征伐でこの
あたりにやってきて、ここで軍を休ませました。しかしあたりに水
がないため、兵士たちはのどの渇きに悩まされました。そのとき、
武尊(たける)が鉾先で岩をうがち、湧き水を掘り当てたのがこの
水だというのです。そのため突井(つくい)の甘草水というのだそ
うです。

 『新編相模国風土記稿』(巻之119)にも「景行天皇四十年日本
武尊東夷征伐の時三国峠に軍を憩ひ給ふに、山上に水なく、諸軍勢
渇にたへず、爰(※ここ)に於て尊鉾を以て巌頭を鑿(うが)ち(※
穴を開ける)たまへば清泉忽(※たちまち)湧出し、軍士を養ふに
足れり、尊(みこと)大(※おおい)に喜び狭野尊(さののみこと)
(※神武天皇)の賜(※たまもの)なりとのたまひ、即泉を甘草水
と名づく、下流をば狭野川と呼ぶ、遂に村名となる(後に佐野川と
書換ふ)」とあります。

 山ろくの上野原からの登山口にあたるところに石楯尾(いわたて
おの)神社があります。ここは、式内社として格式の高い神社だそ
うです。ただ藤野町の名倉にも同名の神社があって、ここもまぎら
わしいところ。

 一方、生藤山の位置、山名についてはかつていろいろと議論され
たことがあるらしい。明治から昭和時代の登山家で、植物学者の武
田久吉博士が「北相の一角」(日本山岳会発行『山岳』に掲載)に、
生藤山は連行峰・萱丸(かやまる)・津座(つづら)岩ノ峰から三
国山付近にかけての総名であると発表しています。

 それに対して明治から昭和にかけての商工官僚だった田島勝太郎
が反論。同氏の著書『奥多摩』(それを繞る山と渓と)に「…成る
程生藤山と云ふ字は広きに亘ってゐるやうであって、それは武田氏
のご想像の通りだと思ふが、独立山に対する名の生藤山は郡村誌(※
多摩郡村誌)に依ると、単一村の名に相違ないやうである。…

 …即ち同書三国山の条に、「北ハ本村(註檜原村)字南郷ニ、東
方ハ相州津久井郡字生藤ニ、西ハ甲州都留郡棡原村ニ属ス」とあっ
て立派に三国の境の字たる事を明にし、軍荼利山の条に「佐野川ニ
テハ生藤山ト云」と脚注を施し、而して「北ハ本村字南郷ニ、南ハ
佐野川村字生藤山ニ属ス」と記し、本山は武相の境界にあるものな
るを明にし、…

 …山名は佐野川村にて生藤山と云ふが、字は同村生藤山に属して
いる旨を明かに書き別けてある点から見て、三国山も軍荼利山も同
じ字の生藤山に属するも、山名としては軍荼利山が生藤山であるこ
とを明白にしてある。生藤山一名軍荼利山即ち九九○米三角点の山
であると決定すべきものである。…」と述べています。

 これに対して、奥多摩の研究者の宮内敏雄氏は、その著『奥多摩』
(山・渓・峠)(同じタイトルで間違いやすいのですが)の中で、
「一体に田島氏の「奥多摩」は、…こと西多摩郡内になると、「多
摩郡村誌」を金科玉条に翳(※かざ)しているのが見られる。…。
その紀行を読んでみても数繁く歩いておらず、殊に甲武相国境山稜
となると机上測量の憾み(うらみ)のみ強くなるのである。…

 …一例を牽くと「北相の一角」の和田川の鎌沢の部落の箇所で「…
また生藤山とは三国山と同一だと教へて貰った…。」と軍荼利山が
「郡村誌」(※多摩郡村誌)による部相界でないことを述べ、今ま
た現に地元でもそう呼んでいるのに、田島氏は一回の採訪もせず「郡
村誌」を押立てゝいるのである。…

 …これは「郡村誌」の記条の誤りであって、之の編纂者斎藤真指
も各村の書上の概ね机上編纂のための誤謬(※ごびゅう)であった
とみてよいであろう。檜原村でも軍荼利山が西方であることは衆口
の一致するところなのである。」と再反論しています。

 さらに同氏は「ショウトウ」の意味について、ショウトウと発音
する山は、ほかに多摩川水源にも御坂山塊にもある。山中湖畔の長
池付近では、方言でホオジロをアカセットウといい、またショット
ウと発音するところもある。…

 …御坂山塊の節刀ヶ岳のセットウも同じ意味で、生藤山の地元で
野鳥のホオジロを「ショットウ」といい、それをそのままこの生藤
山にもって来てもよいようだとしています。何ともこんがらがる話
になってしまい、スミマセン。

▼生藤山【データ】
【所在地】
東京都西多摩郡檜原村、神奈川県相模原市、山梨県上野原市の境。
JR中央本線上野原駅の北6キロ。JR中央本線上野原駅からバス、
石楯尾神社停留所下車、さらに歩いて2時間で生藤山。2等三角点
(990.34m)がある。
【位置】
・三角点:北緯35度40分20秒.6548、東経139度07分56秒.6276
【地図】
・2万5千分の1地形図:五日市。

▼【参考文献】
・『奥多摩』(山・渓・峠)宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥多摩』(それを繞る山と渓と)田島勝太郎(山と溪谷社)1935
年(昭和10)
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭
和53年)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編相模国風土記稿』(巻之16):大日本地誌大系・19『新編相
模国風土記稿・1』編集校訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭和55)
・『新編相模国風土記稿』(巻之119):大日本地誌大系・23『新編
相模国風土記稿・5』編集校訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭
和55)
・『新編武蔵風土記稿』(巻之111・多磨郡之23 小宮領):大日本
地誌大系12『新編武蔵風土記稿・6』蘆田伊人編(雄山閣)昭和45
(1970)年版
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

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