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▼山旅【ひとり画語り】(本文のページ)(06)
【とよだ時】(豊田時男)
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▼「妻と別れを惜しんだ・奥武蔵妻坂峠
【短略説明】
かつては、秩父から江戸、鎌倉へと通じる主
要な道筋だったという妻坂峠。鎌倉時代、秩
父の庄司・畠山重忠は鎌倉に遠征しました。
その時、妻をこの峠まで連れてきて見送らせ
て名残を惜しんだという。これが峠の名の由
来だという。正丸峠を通る国道299号線と
西武秩父線ができてからは訪れるのはハイカ
−ばかりです。
【本文】は下記をどうぞ。
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(長文です。拾い読みしてください)
▼「妻と別れを惜しんだ・奥武蔵妻坂峠
【説明本文】
大分以前のことでした。連載中の山岳雑誌
の今号は埼玉県の奥武蔵特集だといいます。
そこで妻坂峠(つまさかとうげ)から、春には
カタクリの咲く武川岳(たけかわだけ・
1,051.7m)を訪れようと知人を誘いました。
「奥武蔵」は、昭和の初期西武池袋線の前
身の「武蔵野鉄道」がハイキングコースを大
々的にPRしたことがきっかけで使いはじめ
た地名だそうです。のち1945年(昭和20)
3月9日、「奥武蔵自然公園」に指定されて
から名前が定着したということです。
ちなみに「武蔵」とは、日本武尊が武甲山
(ぶこう)に武具を蔵めたからだといいます。
そのほか由来については数説があるそうです
が。西武池袋飯能(はんのう)駅から名郷(な
ごう)まではバス。林道終点から植林の中を
登りつめた所が妻坂峠。
同県横瀬町と名栗村との境にある妻坂峠は
武甲山の南東にあり、大持山と武川岳の鞍部
になっていて、古くは秩父から江戸や鎌倉へ
の重要な道筋だったといいます。
ここにはこんな由来があります。鎌倉時代
のはじめ、源頼朝の妻政子の父・北条時政は、
後妻の牧の方の娘婿の平賀朝雅を将軍にたて
ようと画策します。この陰謀に巻き込まれた
秩父の庄司(庄園の管理人)畠山重忠は、息
子が時政に殺された鎌倉に遠征します。
その時、愛妻を峠まで見送らせ、名残を惜
しんだのがこの峠の名の由来だそうです。山
ろくには「なごりおしいや妻坂峠……」とい
う里謡も残ります。下って室町末期、上杉一
揆が名栗川をさかのぼり出陣、都摩坂(妻坂)
を通り持山(大持山)に陣をしいたとの古文書
もあります。
そのほかにこんな伝説も残っています。そ
の昔、旅の夫婦がここにさしかかったとき、
夫の姿が突然見えなくなったといいます。あ
わてた妻は、さんざん探しましたがとうとう
見つけることができませんでした。妻は悲し
みの末、とうとう鳥になってしまったという
ことです。いまでもこのあたりで「オットッ
トー、オットットー」と鳴く鳥は、夫を探す
旅人の妻だといいます。
また、室町末期、1572(元亀3)年小田原
北条氏を攻撃した上杉謙信が、飯能からふも
との名栗川側を越えて出陣。この峠「都魔坂
(つまさか)」を通りそばの大持山に陣取っ
たとの記録(鉢形城・はちがたじょう)・い
まの寄居町の北条市邦の同年3月5日の印判
状写)もあるそうです。(『角川日本地名大辞
典』)。
この峠はまた秩父織物として有名な秩父銘
仙を背負った商人たちも、ここを越えて東京
方面に商売に通ったところ。また明治〜大正
時代の詩人で随筆家、評論家でもある大町桂
月(おおまちけいげつ)や、明治〜昭和時代
前期の有名は歌人若山牧水も通った峠だとい
います。
こんな由緒ある峠も、正丸峠(しょうまる
とうげ)を通る国道299号線と、西武秩父線
が交通の手段となってからすっかりさびれて
しまい、いまは訪れるのはハイカーばかりで
す。ここは休憩場所に絶好のところ。ポツン
と建っている地蔵尊の周りには、何組ものパ
ーティがくつろいでいます。
地蔵尊には「武(州?)妻坂奉造□之□」
の文字が読めます。1747(延享4)年の建立
で、「秩父郡名栗邑(むら)山中村」と彫ら
れているから江戸中期のものです。スケール
でその大きさを計っていたら
何人ものハイ
カーが話しかけてきました。
峠から道を東へ急登。しばらくすると武川
岳です。かつては、武甲山の展望台として知
られたといいますが、いまは樹木が育ち展望
できるのはわずかに南側だけ。橋小屋に頭、
蕨山(わらびやま)が望めます。地元の人はこ
こを風木平と呼んでいたそうです。
昭和初期、武蔵野鉄道の肝入りで、周辺の
ハイキングが盛んになり、この山も1935年
(昭和10)に武甲山の武と、その登山口、
生川(うぶがわ)の川をくっつけて武川岳と命
名されました。春にはカタクリの花を見に訪
れる人も多い。
ついでながら、生川(うぶがわ)の奥には
モチ山行人という仙人がおり、大モチ山寺に
住んでいたという。この山寺は畠山重忠の氏
神的存在になっていたともいうことです。畠
山重忠の先祖は代々が秩父の庄司で、この辺
りの伝説にはたびたび登場します。
武川岳では、20人位のハイカーが思い思
いの所に腰を下ろして憩います。昼食後、み
んなで三角点を探しましたがどうしても見つ
かりません。しばらくして「あっても三等三
角点だろうと思うけど」みんなあきらめ顔。
そこから進路を北にとり、いくつかのピーク
を越え、着いた所が二子(ふたご)岳雌岳の分
岐。「こっちの神社に行ってみなくていいん
ですか」との同行者の声に、神社へつづく尾
根道をとったのでありました。
▼妻坂峠【データ】
★【所在地】
・埼玉県飯能市と同県横瀬町との境。西武秩
父線飯能駅からバス・名郷から歩いて1時間
45分で妻坂峠。一里地蔵の石仏がある。
★【位置】(標高点、三角点)(電子国土ポー
タル)
・妻坂峠:北緯35度56分0.16秒、東経139
度07分17.5秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「秩父(東京)」or「正
丸峠(東京)」(2図葉名と重なる)。
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典・埼玉』(角川書店)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平
凡社)1992年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書
房)1997年(平成9)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『日本武将列伝1』(源平鎌倉編)桑田忠親
(秋田書店)1972年(昭和47)
・『日本歴史地名大系・埼玉』(平凡社)
・『ものがたり奥武蔵』神山弘ほか(金曜堂
出版部)1984年(昭和59)ほか
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