▼山のまん画ばなし【本文】のページ03
 【とよだ 時】

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▼語るなかれ、聞くなかれ・湯殿山

【略文】
湯殿山は、月山、羽黒山とともに「出羽三山」のひとつ
です。湯殿山のご神体は仙人沢上流の赤褐色の温泉沈殿
物が積もってうろこ状になった巨岩からわき出る温泉そ
のものといいます。この山は秘密を守ることが入山者の
義務、「語るな、聞くな」と、人に語ってはならない秘
所ということです。ご神体がない山頂への登山道はない
らしい。
・山形県鶴岡市と山形県西村山郡西川町との境。

※ご用とお急ぎでない方は、下方の【本文】もどうぞ。

▼語るなかれ、聞くなかれ・湯殿山

【本文】

 湯殿山は、月山、羽黒山とともに「出羽三山」のひと
つです。羽黒山の観音、月山の弥陀、湯殿の大日如来。
ここはいま「出羽三山」の奥の院になっています。湯殿
山は、月山火山帯の南西にある溶岩円頂丘で、火山体は
湯殿山、北側の薬師岳、北西側の仙人岳の3つの山で三
角形になっています。


 この湯殿山の別当寺(神社の経営管理を行った寺)に
は、大日坊・注連寺(ちゅうれんじ)・本道寺・大日寺
というお寺があります。この四ヶ寺には、即身成仏を目
指す行人たちがいて五穀断ち、十穀断ちを行っていたそ
うです。


 いまも大網口の大日坊には真如海上人、七五三掛(し
めがけ)の注連寺には鉄門海(てつもんかい)上人など
のミイラ仏が安置されているそうです。


 さて湯殿山道路わきから薬師岳、仙人岳の間を湯殿山
に突き上げる仙人沢があります。その上流には赤褐色の
温泉沈殿物が積もってうろこ状になった巨岩からわき出
る温泉があります。そこが湯殿山のご神体、つまり温度
50度Cのその温泉そのものがご神体だそうです。


 この山は秘密を守ることが入山者の義務、いまでもご
神体の巨岩の周囲は撮影禁止で、参詣の際ははだしにな
ります。そして、そこは「語るな、聞くな」と、人に語
ってはならない秘所としていさめられてきたところ。

 松尾芭蕉の『奥の細道』にも、「…総じてこの山中の
微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆
をとどめて記さず」とし、「語られぬ湯殿にぬらす袂か
な」と詠んでいるほどです。


 湯殿山そのものにまつられているのは、本地仏(ほん
じぶつ・神になっている本当の姿の仏)が大日如来、垂
迹神(すいじゃく・仏が仮に神の姿をとっていること)
が大山祇命(おおやまずみのみこと)とされ、大己貴命
(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみ
こと)を合祀しているという。


 山ろくに湯殿山神社があります。しかし、湯殿山の山
ろくではなく、北側の薬師岳の山ろくになっています。
そして仙人沢祈祷所の位置は、北西側の仙人岳山ろく。
湯殿山神社は、五穀豊穣・家内安全の守り神になってい
ますが、ご神体のそばに社殿を持っていません。


 ご神体が山頂ではないため、そこには用がありあせん。
当然、山頂への登山道はないという。しかし、山をやる
ものにとって山頂が気にかかります。そこで登った人の
話を聞くと、山頂は薮に囲まれた丘状の高まりだという
のです。どーやらただの薮の中らしい。

 湯殿山は「出羽三山」のひとつといっても、昔は単独
に信仰されていたようです。古くは月山、羽黒山、鳥海
山(または葉山)がセットになっていたというから、湯
殿山ははずれていたのですね。それは湯殿山へは羽黒山、
月山を経由せず直接参詣できたからだといいます。


 ここには、大網口・注連掛口(しめかけぐち)・本道
寺口・大井沢口と4つの登山道があり、前にも書きまし
たが、それぞれに大日坊・注連寺(ちゅうれんじ)・本
道寺・大日寺というお寺があって、広い信仰圏を持って
いたそうです。


 山の開山伝説にしても湯殿山は、羽黒山側の話と違っ
ています。羽黒山側の伝説では、第32代崇峻(すしゅ
ん)天皇(『日本書紀』での計算だと587年即位)の子、
蜂子皇子(はちこのみこ)(=能除(のうじょ)太子)
が3本足のカラスに先導されて羽黒山に登ってこの山を
開き、ついで月山、湯殿山を開いたということになって
います(『羽黒月山湯殿三山雅集』)。


 ところが湯殿山側の記録や伝承では、すべて弘法大師
空海が開山したことになっているのです。ちょっと長く
なりますが、たとえば、湯殿山表口のひとつ、大網口に
ある大日坊の縁起書による話をあげてみます。

 「延暦23年(804・平安時代初頭)、弘法大師空海は
密教の秘法を求めて入唐し、五台山に登り文殊大師に逢
った。文殊大師がいうには、日本の東北の方に大権現鎮
座の霊窟、法身の大日如来の浄嶺がある故、尋ねるよう
にとのことであった。…


 …大師は帰国後、この霊地を求めて国中を巡錫(じゅ
んしゃく)し、ついに出羽国田川郡に至った。ここで大
きな川に行き当たったが、この川に大日五字の真言が流
れてくるのをみて、この川上こそわが求める霊地であろ
うと、いよいよ勇んで歩を進めた。(五字の真言が流れ
てきたので、この川を大梵字川という)。…


 …まず櫛引川に沿ってさかのぼったが、両岸ところど
ころに石窟があり、弘法大師空海はこのひとつに入って
夜を送った。夜中、地蔵菩薩があらわれ、「仏法興隆の
霊地を救い給え」という。…


 …大師はこの言葉に従って大網邑(むら)に至って清
浄の霊地をご覧になって、天長地久天下安穏のため一宇
の伽藍を建立し、湯殿山表口別当(神社の経営管理を行
う)滝水寺金剛院大日坊と号した」という内容です。


 また、注連掛(しめかけ)口注連寺(ちゅうれんじ)
の縁起書には、「弘法大師が湯殿山権現の霊地を訪ねて、
赤川を遡り落合まで来ると、川が二つに分かれ、いずれ
の方をえらぶべきか、わからなくなってしまった。…


 …大師は困り果てて、川岸の岩窟に入って日夜仏に祈
りをささげた。この近くを通る村人は、大師の籠もりを
不思議に思い、声を細めて歩いたので、この岩屋を「細
声の岩屋」と呼ぶようになった。…

 …大師の祈りが通じたのか、ある日、天上から霊妙な
音楽が聞こえ、諸天歓喜して、白犬に変じて大師を導い
た。大師がそのあとを追うと、艮(うしとら)の方向に
霊光が輝き、八苦輪川にアビラウンケン(大日如来に祈
るときに唱える言葉)の五梵字があらわれた。この地を、
いまも「見付野」と呼ぶのは、この故である。…


 …八苦輪川の難所を越え、御前川に入って三里行くと、
二つの大きな岩石があった。対面石といって一つは大師
が座し、もう1つは権現が座した岩である。大師がここ
まで来ると突然全山鳴動し、氷雹が降り出し、あたりが
真っ暗になった。…


 …大師は右の岩に座し、定印(じょういん)を結ぶと、
間もなく風雨がおさまり、四界は明るくなった。その時、
岩の上に権現があらわれたが、それは八大金剛童子であ
った。大師は、上火の作法軌則を授けられた。のち、そ
の教えに従って上火行を修したところが注連寺である」
と記しています。


 一方、同じく弘法大師の開山説ですがこんなのもあり
ます。羽黒権現の霊力が強調されており、湯殿山開山伝
説をもとにして羽黒側がつくり上げたものらしいとい
う。

 「昔、出羽国に下り、梵字川のほとりを歩いていた弘
法大師が、川に両部の真言が流れてくるのに気がついた。
大師はこの川上にこそ大日如来がおわすに違いないと
て、流れを遡り、湯殿の御宝前近くまで来たがにわかに
火の雨が降ってきて、どうしても前に進むことが出来な
かった。そこで、大師は近くの岩窟に籠もり、十七日の
祈りをこめた。…


 …満願の日、ひとりの翁があらわれ、「権現を拝せん
とせば、道を引き返し、羽黒に参り修行を遂げよ」とい
う。大師はこの教えのままに羽黒山に入り、再び十七日
の修行を終え、羽黒権現の導きにより、七五三の注連を
掛け、羽黒の常火を受けて、ついに湯殿権現に謁するこ
とができた」としています。


 いかにも羽黒山の神を通さなければ湯殿山の神のもと
には行けないというようです。そんなに湯殿山と張り合
っていたのでしょうか。


 もともと出羽三山は、真言宗だったそうです。江戸時
代前期、「羽黒山中興の祖」といわれた天宥法印が、羽
黒山の第50代別当(神社の経営管理を行う)となりま
した。


 そして三山を真言宗から天台宗に統一しようとした
時、山ろくの大網口大日坊、七五三(しめかけ)掛け口
注連寺、本道寺口本道寺、大井沢口大日寺の四ヶ寺(真
言四ヶ寺)は猛反発。


 湯殿山の法流は真言と称して支配権を羽黒山と争い、
のち羽黒山と対抗して真言浄土信仰への傾斜を深めてい
ったという。いろいろな事情が絡み合いますね。


 明治になってからは湯殿山から仏教色が消されはじめ
ます。1868年(明治元)に出された神仏分離令にもと
づいて、明治3(1870)年、酒田の民政局から出羽三山
の神仏分離令が命ぜられます。羽黒権現社は出羽神社と
名前を変えさせられ、月山も月山神社に統一させられま
した。

 数多くいた僧たちは復飾改名、ほとんどが神職になっ
たという。1873年(明治6)、教部省は徹底した廃仏棄
釈を行いました。1874年(明治7)、最後まで抵抗を続
けていた湯殿山も神社に変えられ、羽黒山に三神社の社
務所が置かれました。


 しかし宗教法人出羽三山神社となったのは、ずっと後
の1951年(昭和26)のことだという。先の湯殿山真言
四ヶ寺のうち、大日坊と注連寺はかろうじて残りました
が、本道寺と大日寺は廃寺になってしまったということ
です。



▼湯殿山【データ】
【所在地】
・山形県鶴岡市と西川町との境。JR羽越本線鶴岡駅か
らバス湯殿山、終点より参拝バスに乗り換え終点、さら
に歩いて5分で湯殿山神社。山頂に参拝する形式をとら
ないため、山頂に至る登路は存在しない(三角点・標高
点なし、1500m)。
【位置】
・湯殿山頂:北緯38度32分1.44秒、東経139度59分
3.23秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:湯殿山



▼【出典】
・『角川日本地名大辞典6・山形県』誉田慶恩ほか編(角
川書店)1981年(昭和56)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)
1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書5・出羽三山と東北修験の研究』
戸川安章(とがわあんしょう)編(名著出版)1975年
(昭和50)
・『山岳宗教史研究叢書16』「修験道の伝承文化」五記
重編 (名著出版)1981年(昭和56)
・『修験道の本』(学研)1993年(平成5)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本歴史地名大系6・山形県の地名』(平凡社)1990
年(平成2)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新
社)2004年(平成16)

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▼このシリーズは、CD本『山の伝説いらすと紀行に記載してあります。

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・酒を飲むのは時間の無駄、飲まないのは人生の無駄。
・立って半畳、寝て一畳、酒は呑んでも二合半。