山と民俗神 とよだ時(ポンチ漫画家)
『百名山の神話伝説』 
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▼(040)赤城山
「神の戦いと和歌山まで行った天狗」

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【本文】

▼【赤城山】
 国定忠治でおなじみの赤城山
(あかぎやま)は、上毛(じょう
もう)三山のひとつ。標高140
0mあたりの新坂平一帯は、初夏、
群落するレンゲツツジが満開にな
り、その見事さは有名です。ここ
には赤城山という峰はなく、黒檜
山(くろびさん)をはじめとする
外輪山と中央火口丘との総称。

 赤城山は平安時代初期の大同2
年(807)に、日光を開山した
勝道(しょうどう)上人というえ
らいお坊さんによって開かれたと
されています。火口原には火口原
湖の大沼と、火口湖の小沼があり
ます。大沼の東岸の最高峰である
黒檜山の山ろくに赤城神社があり
ます。赤城神社は関東地方を中心
にして約300社の赤城神社があ
るといわれる名刹(めいさつ)で
す。

▼【流れて来た山】
 千葉県流山市には赤城神社がま
つられた小さな山があります。こ
こは江戸川沿いにあるのですが、
その昔、大洪水の時、上流から赤
城山の一部が流れてきたのだとい
う伝説があるそうです。そういえ
ば江戸川上流の利根川は赤城山の
西ろくを流れています。市名の「流
山」はそんなことから来ていると
いう。

▼【赤城と日光の神争い1】
それはともかく、赤城山は赤城
と栃木県日光の神争いや、赤城と
同じ群馬県榛名(はるな)の神争
いの伝説は有名です。昔、赤城の
神と日光男体山の神が、美しい中
禅寺湖を自分の領地にしようと戦
いました。しかし神さま同士なの
でなかなか勝負がつきません。そ
こで日光男体山の神は子孫である
弓の名人、猿丸に加勢を頼みまし
た。日光の神の子孫の猿丸は戦い
がはじまるという、日光の戦場ヶ
原の木の陰で隠れていました。

 日光の神は蛇になり赤城の神は
ムカデになって戦いました。猿丸
は赤城の神が変身している大ムカ
デの目をねらい、弓を力一杯ひき
しぼりヒョウと放ちました。矢は
見事命中。赤城の神は血を流しな
がら逃げ帰りました。赤城の山木
々は、その血でその血で山が真っ
赤に染まり赤木山と呼ばれ、血が
流れてたまった沼を赤沼といいま
した。また山すその温泉でその創
(きず)を洗ったので赤比曽の湯
という(林羅山『二荒山神伝』:
『山岳宗教史研究叢書・8』)。

▼【赤城と日光の神争い2】
 もうひとつの話です。赤城の神
と日光の神が領地争いをしまし
た。両方の神が自分の領地を同じ
時刻に出発して、出くわしたとこ
ろを境界にきめようということに
なりました。ところが赤城さんは
馬で走ってきました。日光さんは
牛に乗ってゆっくりきたので名越
(沢入)の「たたかいばたけ」と
いうところで出合って戦いまし
た。そこでいろいろ押し問答をし
た結果、その場所を両国の境界線
にしたという。そのために、両国
の境のことを「がみあい境」とと
いう。赤城山の方が遠いけど、馬
できたので早く来て、土地を余計
にとってしまったという。

 この戦いのとき、日光さんが逃
げるときに、サツマイモのつるに
足がからまって、モロコシの切り
株で目をついてしまいました。そ
のため栃木の人は目が細いとい
う。それで足尾では最近までサツ
マイモ、トウモロコシや米などを
つくらなくなりました。それらを
つくらなくてもお腹を減らすこと
なく、足尾の人たちは、必ずよっ
ぱら(たらふく)食うことができ
たとのこと。それは大黒さまのお
使いのシロネズミが米などをひい
てきて、足尾の人たちに食わせる
ためだという伝説があります。こ
れが赤城と日光の神争いです(『日
本伝説大系4・北関東』)。

▼【赤城と榛名の神争い】
 また赤城と榛名の神争いという
のもあります。南北朝時代の説話
集『神道集』(しんとうしゅう)
に載っている武勇伝です。そ赤城
山と同じ群馬県の榛名山にそれぞ
れ鬼が住んでいたという。この鬼
は仲が悪く、小さい時からケンカ
ばかりしていたといいます。赤城
山の湖のまわりには小石がたくさ
んあり、榛名山の湖の周辺にはバ
ラがたくさん生えていたという。

 鬼たちはケンカするたび赤城山
の鬼は小石を投げ、榛名山の鬼は
バラを丸めて投げつけたという。
2匹は来る日も来る日も小石とバ
ラを投げ合いました。そのため、
いつしか赤城山にはバラがたくさ
ん生えるようになり、榛名山の方
には小石が山のようにたまってし
まったということです。

▼【赤城と榛名の神争い・類話】
 またその類話に、赤城山と榛名
山がけんかをしたとき、赤城さま
は軽石を榛名山に投げ、榛名さま
はバラを赤城山に向かって投げま
した。戦いの結果、赤城さまは負
けてしまい、陸稲(りくとう・お
かぼ)のわらでつくった縄でしば
られてしまいました。そのため、
赤城山のふもとにはバラが多く、
榛名山ろくには軽石が多い。また
赤城山の氏子の赤城山ろくの村で
は陸稲をつくることができないと
いう。

▼【榛名山に谷を盗みに行った赤
城の神】
 別の話では、赤城山には谷が、
九十九谷しかありませんでした。
残念がった赤城山の神は山を一つ
増やして、百谷ちょうどにしよう
と、榛名山に一山盗みに行きまし
た。赤城の神が一山背負った所を
榛名の神に見つかってしまいまし
た。

 そして赤城の神は榛名山ろくで
よくとれる陸稲の縄で、がんじが
らめに縛られ、「これからは陸稲
をつくるな」と榛名の神からいわ
れたといいます。それからは赤城
山ろくでは陸稲をつくれなくなっ
たということです。

▼【赤城山の天狗】
 山の伝説には天狗話が多いです
が、ここにも天狗がいることにな
っています。それもそんじょそこ
らの小ワッパ(童)天狗と大違い。
大天狗のなかでも、赤城山杉ノ坊
(さんのぼう)という名前まであ
る大物天狗です。赤城神社は大沼
神を祭った社ですが、そのそばの
飛鳥社(ひちょうしゃ)には、天
狗をまつってあるというのです。

 『図聚天狗列伝・東日本編』知
切光歳著によれば、『前上野志』
という本に「大沼大塔には本社(赤
城明神)の他に、飛鳥社(天狗を
祭る)、開山堂(了儒(りょうじ
ゅ)法師とて、長楽寺(※月船)
?海(ちんかい)和尚に随従せる
行者を、開山と推せり)などあり
し」とあります。赤城山大沼湖畔
の飛鳥社は天狗祠だというので
す。

 赤城山を開山したとされる了儒
(りょうじゅ)法師とは、赤城山
中で30年あまりも修行したとい
う行者。了儒法師に随従したと書
かれる月船?海(げっせんちんか
い)和尚との出会いはこうです。
そもそも長楽寺月船?海和尚とい
うのは、群馬県新田郡世良田村の
長楽寺の法照(ほっしょう)禅師
のことだといいます。

 月船?海和尚は、弘安5年幕府
の命により長楽寺第5世住職とな
り、延慶(えんきょう)元年(1308)
没し、朝廷より法照禅師の諡(お
くりな)を貰ったエライ坊さん。
鎌倉時代中期の弘安年間(1278
〜1288)のころ、その法照禅師
があるとき、赤城山に登るとひと
りの行者の出迎えを受けました。

 その出迎えの様子です。『赤城
秘文』という文書によると、「赤
城山ニ一練行(修行を熱心に練り
あげること)ノ人有リ。三十余年、
影、山ヲ出ズ。木食澗飲(※かん
いいん・※澗は谷のこと)、氷雪
不凍、多クノ神異有リ。儘(※こ
とごとく)、天狗ヲ友トシテ善シ。

所謂(いわゆる)魔界ナリ。タ
マタマ師、赤?(※せききょう)
(※甚だしく高い山)ニ陟(※の
ぼ)リ、霊区ヲ逍遥(しょうよう)
ス。……

 ……練行ノ人、出テ迎エ、受法
シテ勝因ヲ結ブ。乃(※すなわ)
チ号シテ了儒ト曰(※い)ウ。是
(これ)ヨリ一州学師ノ道者、赤
城門徒ト称シ、彼ヲ以テ儒翁ノ祖
ト為シ、時ノ人、之(※これ)ヲ
尊ブコト神ノ如クナリ」だという。

 出迎えにきたその行者は、この
山で木の実を食べ、木の実、谷の
水で身を養い、30余年も山を降
りたことがなく、氷雪にも凍えず、
神異あり、いつも天狗を友として
暮らしているというからやはり人
間業ではありません。そしていつ
も天狗を友として暮らしていると
いうのです。

 法照禅師(?海(ちんかい)和
尚)が山に登ってくると知った行
者は、弟子にして貰いたいと考え、
魔境から抜け出してきたといいま
す。それを聞いた法照禅師は、そ
の行者に法を授けて「了儒」とい
う法号を与えました。

 飛鳥社とともに大沼湖畔にある
開山堂の本尊は、この了儒法師で
あるといいます。法照禅師を出迎
えた了儒行者が「天狗ヲ友トシテ
善シ」としているところから、了
儒は、霊力を備えた大行者です。
その大行者の貫録をもって天狗ど
もを手なずけていたのだろうと
『図聚天狗列伝』の著者知切光歳
はみています。

 そして大沼湖畔にまつられた飛
鳥社の天狗の総帥赤城山杉ノ坊
は、了儒行者が天狗に変身したあ
との姿だろうともしています。し
かし、大沼湖畔の開山堂と飛鳥社
は、了儒行者の創建に関わるもの
かは疑わしいとの説もあるという
ではありませんか!。ここが伝説
・伝承調査する時に困るところで
す。

▼【赤城の天狗、和歌山の法燈寺
を一夜でつくる】
 ところで、江戸時代中期の寛延
2年(1749)刊行の著者不詳
とも神谷養勇軒著ともいわれる
『新著聞集』(しんちょもんじゅ
う)という書物にはこんなことが
記されています。

 「天狗一夜にして法燈寺(ほっ
とうじ)をつくる」という項で、
法燈寺は、和歌山県の由良(ゆら)
町にある臨済宗(りんざいしゅう)
の鷲峰山興国寺(じゅぶざんこう
こくじ)というお寺。ここを開山
した法燈(ほっとう)国師の名前
から法燈寺とも呼ばれていまし
た。

 先の『新著聞集』によると、こ
の寺はどうしたわけか、たびたび
火災が起こるのです。そこで仕方
なく住職は、草葺きの仮の庵(い
おり)に住んでいました。ある時、
ひとりの旅の僧が来て「この寺が
火災にあうのは、開山した法燈国
師の文字からきている。法燈の文
字は、水去り火登ると書くからだ。
(※法という字はサンズイ(水)
に「去る」で、燈は火へんに「登
る」と書きます)。

 ただお望みなら、わしが建てて
やってもよい。しかしそれもつい
には焼失してしまうが、護摩堂だ
けは残るだろう。わしは上州(群
馬県)赤城山の杉ノ坊(さんのぼ
う)というものだ。」と言い残し、
僧は寺から去っていきました。

 しばらくして住職は再建を決意
し、ふたりの若い僧を群馬県の赤
城山に使いに出しました。赤城山
に着いて若い僧は、びっくり仰天。
杉ノ坊はここにすむ天狗の大親分
だったのです。ビクつくふたりに、
杉ノ坊は建設の日取りを決め、若
い僧たちを山伏2人の背中に乗せ
て、空を飛んで紀州(和歌山県)
へ送ったといいます。

 約束の日、村人はお寺に近寄ら
ないようにいわれました。夜にな
り、お寺の方から数十万人もの人
声がします。なにやら大工事がは
じまったらしく、一晩中トントン
トン、ゴリゴリゴリと物音がつづ
きました。

 夜があけてみると、見事七堂伽
藍(がらん)が出来上がっていた
というのです。法燈寺の住職は、
飛び上がらんばかりに喜びまし
た。しかし杉ノ坊がいったとおり、
やがてまた火災に見まわれました
が、護摩堂だけは残ったというの
です。

▼【山行記】
 紅葉真っ盛りのころ、由良町興
国寺を訪れました。地元の小学生
たちや父兄が、参道途中の公園に
ならんでおやつを食べています。
境内にはいると大きな天狗堂があ
り、暗い堂内に日本一、二の魔除
け天狗面が、まっ赤になってにら
んでいます。売店で厄よけのお札
を買いました。「えっ。天狗を調
べて歩いているんですか。面白そ
うですね。」と、若い僧侶が竹箒
の手を休めて笑いかけています。

 それにしてもこの話は、群馬県
側に伝わるだけでなく、和歌山県
側でも伝承されています。由良町
の興国寺のパンフレットや町の教
育委員会発行の『由良町の文化財』
にも記載されているのです。当時、
こんなに離れた和歌山と群馬の間
にどんなことがあったんでしょう
か。それとも山伏たちが群馬県に
移り住んできてからこの話を広め
たのでしょうか。


▼赤城山(黒檜山)
★【所在地】
・群馬県沼田市・昭和村と渋川市
・富士見村・前橋市・桐生市との
境。両毛線前橋駅の北北東20キロ。
JR両毛線前橋駅からバス、大洞
下車、歩いて2時間でで黒檜山。
三等三角点(1827.57m)がある。

★【位置】国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」から検索
・三角点:北緯36度33分37.38秒、
東経139度11分35.76秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「赤城山
(宇都宮)」


▼【参考文献】
・『江戸百名山図譜』住谷雄幸(た
けし)(小学館)1995年(平成7)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大
和久震平著(名著出版)1990年
(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書1』(山岳
宗教の成立と展開)和歌森太郎編
(名著出版)1975年(昭和50)
・『山岳宗教史研究叢書8』(日光
山と関東の修験道)宮田登・宮本
袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和
54)
・『山岳宗教史研究叢書・16』(修
験道の伝承文化)五記重編 (名
著出版)1981年(昭和56)
・『新著聞集』神谷養勇軒著(天
狗一夜に法灯寺をつくる):(『日
本随筆大成・第二期・5』(吉川
弘文館)
・『神道集』安居院作:東洋文庫
94「神道集」貴志正造訳(平凡社)
1994年(平成6)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナ
カニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知
切光歳(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸
書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳風土記4』(宝文館)
1960年(昭和35)
・『日本伝説大系4・北関東』渡
邊昭五ほか(みずうみ書房)1986
年(昭和61)
・『日本歴史地名大系10・群馬県
の地名』尾崎喜左雄ほか(平凡社)
1987年(昭和62)


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01『新・丹沢山ものがたり
02全国の山・天狗ばなし
03『山の神々いらすと紀行
04『続・山の神々いらすと紀行
05『ふるさとの神々何でも事典
06『続・ふるさとの神々事典
07『野の本・山の本

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とよだ 時:ゆうもぁ漫画家・駄画師
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山の伝承神話探勝・山の画文
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from 20/10/2000



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