山旅通信【ひとり画ッ展】1159号
『日本百名山』の伝説と神話
(山の神・伝説神話)
【概略文】のページ(09)
……………………………………
▼『百名山』059番「鳳凰三山のはなし」
「三つの山と奈良田の伝説」

(長文です。ご興味ある部分を拾
い読みしてください)

★【目次】
・鳳凰山とは
・山名
・一山説
・二山説
・三山説
・地蔵ヶ岳
・観音岳
・薬師岳
・奈良王伝説
・奈良田の七不思議
・琴路のがれ伝説
・夜叉神峠の伝説
・地蔵岳データ
・参考文献

▼【本文】
 南アルプスの北部、山梨県
韮崎市と南アルプス市、そし
て武川村にまたがる鳳凰山
は、鳳凰三山と呼ばれる3つ
の山の総称です。北側から地
蔵ヶ岳、観音岳、薬師岳とな
らんでおり、さらに南には夜
叉神峠があります。三つの山
ともに花崗岩でできていて、
ともに風化されてできた真っ
白な砂でおおわれ、夏などは
その照り返しでまぶしいくら
いです。

★【山名】
 鳳凰山の「鳳凰」というの
は奈良法王(法皇)から転じ
たものだといいます。法王と
は孝謙天皇(称徳天皇・女帝)
が道鏡のためにつくった官職
のことですが、この山の伝説
では、孝謙天皇のこととか、
天皇から寵愛された僧の弓削
道鏡(ゆげのどうきょう)の
ことだとする説もあります。

 孝謙天皇は、第四十八代天
皇。奈良時代(在位749〜
758)。在位9年。はじめ藤原
仲麻呂を登用しますが、のち
には僧の弓削道鏡を重用し、
晩年には天皇から寵愛された
道鏡が、帝の位をうかがう事
件も起きたそうです。

 その孝謙天皇が退位の際、
奈良法皇と称し病気治療のた
め、山梨県早川町奈良田地区
に滞在している間に、この山
に登り安産を祈願したため、
法皇山(=鳳凰山)というの
だそうです。また異説もあっ
て、法皇は法王でこの位をも
らった道鏡だいう人もあり混
乱しています。

 また山ろくに清水山法雲寺
というお寺があり、以前は山
号を鳳凰山といい、その寺に
観世音菩薩・地蔵菩薩・薬師
如来を安置してあるため、そ
れぞれの山の名前にしたとも
いいます(『日本山名事典』)。
そのほか、地蔵岳にまつられ
てあったとされる大日如来像
から、密教で大日如来はあら
ゆる仏さまのトップ(法王)
との考え方から、法王=鳳凰
になった説もあります。

 さらにさらに、古書に、山
上に金色のニワトリがつがい
で住んでいるとされたため、
鳳(おおとり)にたとえて鳳
凰山といったとあるほか、地
蔵岳の姿を大鳥に見立てての
鳳凰説など切りがありませ
ん。

 しかし、一概に鳳凰山とい
うけれど、地蔵ヶ岳・観音岳
・薬師岳の三つのどの山をい
ったのかで論争が起きている
のだそうです。地蔵ヶ岳だけ
を鳳凰山とするというのが一
山説。それに対して、観音岳
と薬師岳の二峰であるという
二山説があります。そしてい
まふつうにいわれるのが三山
説です。

★【一山説】
 このなかの一山説は、江戸
中期の『甲斐名勝志』や、江
戸後期の『甲斐国志』にも記
載されています。『甲斐国志』
(巻之三十「山川部」)には、
「州人多クハ誤リ認メテ是ヲ
地蔵ヶ岳ナリト云ハ非也、鳳
凰山権現ノ石祠アリ祭日ハ九
月九日ナリ神主小池氏柳沢村
ニ住」とあります。

 山上に立岩を屹立させる山
を地蔵岳というのは間違いだ
としています。そして一山説
の特徴、この山こそが鳳凰山
なのだとしています。いまで
も山ろくの旧芦安村(いまは
南アルプス市芦安)や、武川
村(たけかわむら)では、地
蔵ヶ岳を鳳凰山と呼ぶ一山説
をとっているそうです。

★【二山説】
 これよりも古い江戸時代前
半の『峡中紀行』という本に
記された「鳳凰」の項には「…
…又右、楢田(なら)山、益
コレヲ右スレバ、則チ農鳥・
農牛(のうし)・鳳凰・地蔵
・駒嶽次第ニ逓列シ……」
(『名山の文化史』)とあり、
三峰のうち地蔵を除いた山が
鳳凰、つまり鳳凰山とは観音
岳と薬師岳の二峰を指すと判
断できる記述になっていま
す。

 それは作者の荻生徂徠(お
ぎゅうそらい)が甲府方面か
らこの山を見ているためだと
いいます。その見る位置は、
観音岳と薬師岳の区別が難し
いというのです。幕末に発行
された甲斐国絵図などの各種
絵図も二山説にもとづいて描
かれていますが、同じように
絵図の作者、印刷所ともに甲
府にあったとのことです。

★【三山説】
 19世紀に入ると、「一山説」
での見方が一般的であった山
ろくでも、「三山説」を使う
ようになります。韮崎市清哲
町青木に残る19世紀初頭の
「青木村神社明細?(ならび
に)鳳凰山」には、「鳳凰山
ハ観音地蔵薬師三岳ヲ総称シ
…」などの記述が見えはじめ
ます。この絵地図はのちの山
岳界を中心とした、いわゆる
山名論争に発展していくので
ありました。

★【地蔵ヶ岳】
 さて一番北の地蔵ヶ岳は、
地蔵岳ともいい、山頂には高
さが20mくらいある岩の塔
(オベリスク)が立っていま
す。この塔を地蔵仏とか、大
日岩、烏岩や、オオトンガリ
と呼んでいます。目につくそ
の形から、かつては山岳信仰
の対象になっていたらしく、
まわりから懸仏、古銭、剣、
鉾などがみつかっています。
現に弘法大師も黄金の仏像を
納めるため登ったともいわれ
ます。

 岩塔の手前には、賽(さい)
の河原と呼ばれる砂礫が散ら
ばっているところがあって、
地蔵さまの石仏がならんでい
ます。ここには毎朝、7、8
歳くらいの子どもの足あとが
たくさんついているという不
思議な話もあります。

 また子どもがいない夫婦
が、賽の河原の地蔵尊を借り
てそっと家にもって帰り、ま
つっておくと子どもが授かる
と伝えられてもいます。念願
がかなうと、そのお礼に地蔵
を2体にして返す習慣があっ
て、一時は数百体もの地蔵が
建っていたということです。

 その他にここには、平安時
代、京の朱雀大路の公卿(く
ぎょう)・六ノ宮の娘で、春
房卿の妻、都那登姫も登った
ともされています(『甲斐の
山旅・甲州百山』)。地蔵岳
岩峰には、鳳凰三山の開発に
尽力した地元の山岳会白鳳会
の初代会長小屋忠子・歯科医
師で後に県会議長)のブロン
ズ像が岩峰したの花崗岩には
め込まれています。

 さらに『甲斐名勝志』(巻
四・鳳凰山の条)には、「絶
頂の岩の上に黄金で鋳た三寸
ばかりの衣冠をつけた像があ
って鳳凰権現といい、これは
奈良の法皇のお姿であるとい
われています。昔から盗賊が
この像をねらって、何とかし
て盗もうとするのですが、取
ろうとすると盤石のように重
く、どうしても動かすことが
できず、いまもなお岩の上に
ある」というようなことも書
いてあります。

★【観音岳】
 まん中の観音岳(2840m)
は中央線の韮崎駅の西13キ
ロにあって、毎年、5月上旬
には、山頂東斜面に頭を北に
つきだした格好の牛の形の雪
形があらわれます。農牛(の
うし)といって、山ろくでは
農作業開始の目安とされてき
たそうです。一方、白根三山
の農鳥岳(西農鳥岳)にも農
鳥の雪形が出ます。この観音
岳の雪形と農鳥岳の雪形にま
つわる伝説があります。

 韮崎市の中央道・韮崎IC
がある穂坂地区に伝わる話で
す。穂坂地区は水の便が悪い
ので、村人が相談して鳳凰山
に雨乞いに行ったといいま
す。その願いを聞いた山の神
さまは、「農牛」と「農鳥」
に池をつくるよう命じたそう
です。その池が「牛池」と「鳥
の小池」だったそうです。こ
れらの池ができたおかげで、
穂坂地区は干ばつにならずに
助かりました。その後、「農
牛」は鳳凰の観音岳へ移って
雪形になり、「農鳥」は農鳥
岳の雪形に化したということ
です。両方とも昔は農作業を
はじめる目安にしていたそう
です。

★【薬師岳】
 薬師岳(2780m)は、中
央線の韮崎駅の西13キロ、
ちょうど観音岳と横にならん
でいます。別名乗鞍岳ともい
い、ここも信仰登山でにぎわ
ったところ。この山は東峰・
西峰の2つの岩峰があり、北
端の地蔵岳に負けない花崗岩
の岩峰です。両峰の間にある
窪地は白砂で、その中にハイ
マツや高山植物が茂ります。

★【奈良王伝説】
 さて次は早川町奈良田地区
に伝わる話です。奈良時代の
第46代天皇とされる孝謙天
皇(女帝・一旦退位ののち、
再即位して称徳天皇になる)
が病気になり、占った結果、
甲州早川庄湯島郷に霊湯あり
との夢のお告げがありまし
た。そこで大和の吉野を出発、
奈良法皇と称して早川庄湯島
郷に向かいました。

 そして758年(天平宝字2)
5月にいまの早川町奈良田地
区に到着しました。(この年
の8月に一度退位していま
す)。孝謙太上天皇は早速、
仮の宮居をつくり住み、温泉
に入って療養したところ、効
あって病気が全快しました。
天皇はこの地が気に入り、こ
の村を甲斐の四郡から外し
て、一群一村の「山代郡奈良
田村」としました。

 そしておよそ7年間滞在し
ましたが、765年(天平神護
1)吉野へ帰っていきました。
史実では孝謙天皇が、称徳天
皇として再び即位したのが
764年(天平宝字8)なので、
大体合致しています。天皇が
吉野に帰ったあとも村人はそ
の徳を慕って、孝謙天皇が住
んでいた皇居の跡に神社をつ
くり、天皇の像を彫刻してま
つり、いまも奈良王さまと呼
んで、まつっているというこ
とです。

★【奈良田の七不思議】
 孝謙天皇(奈良王)が滞在
したという早川町奈良田に
は、天皇にまつわる七不思議
というものがあるそうです。
それは、(1)御符水の不思
議:奈良王が掘った用水地
は、どんな干ばつや豪雨にな
っても、水の量は増えたり減
ったりせずいつも一定で、し
かも飲むといろいろな病気に
効くといわれています。(2)
塩の池の不思議:この地は塩
なかなか手に入らず不便でし
た。そこで奈良王が八幡神社
に不便を解消するよう祈願。
するとお手水池から塩水が湧
きはじめ、喜んだ里人はこの
水を使うようになったそうで
す。

 (3)檳榔子(びんろうじ)
の染池の不思議:鉄分が含ん
でいる湧水池。奈良王が村人
のために祈ると茶褐色の染料
水が湧き出し、奈良王も自分
の白妙の衣を染めました。村
人もコウゾで織った布(タホ
布)で仕事着をつくり染めた
ということです。

 (4)二羽ガラスの不思議
:当時、奈良田にはカラスが
多くすみ、村人がつくった畑
の作物を食い荒らして困って
いました。ある日奈良王は、
カラスたちを集めて「これか
らは、作物をむやみに食い荒
らしてはならぬ」と厳重にい
いました。十日ほどしてから、
またカラスを集めて何を食っ
たか調べたところ、2羽を除
いたほかのカラスは同じよう
に作物を食っているのがわか
りました。怒った法王は、約
束を守った2羽以外を鎮守の
森から追い出しました。その
ため、奈良田にはカラスが2
羽しかすまなくなったという
ことです。

 (5)洗濯池の不思議:奈
良田地区の冬は寒く、洗濯す
るのに苦労します。困った奈
良王は、八幡神社に祈願して
泉を掘ったところ、温かい水
が湧き出し、村人は喜んだと
いいます。(6)七段の不思
議:奈良王が住んでいた「王
平」から「早河原」までは地
面が階段状になっていて、不
思議なことに奈良の都の「七
条」と同じになっているとい
います。

 (7)片葉のアシの不思議
:奈良王が都へ帰る時、村人
はみんな跡を慕って悲しい思
いをしました。同じように草
地に生えるアシもいっしょに
なって、奈良の方角になびき
片葉のアシになったというこ
とです。

★【琴路のがれ伝説】
 そのほか早川町の奈良田に
はこんな伝説があります。昔、
25歳の曲げ物職人で吾平が
保村(ほむら)という部落に
巡回の仕事に行き、定宿した
家の娘の琴路(ことじ)とい
う19歳の娘と恋仲になりま
した。仕事が終わり吾平が家
の帰っても、琴路は山道を越
えて毎日吾平に逢いにやって
きます。ひとり息子の吾平の
父親は、よそ者との結婚には
とくにうるさく小言をいいま
す。

 吾平は琴路とのうわさが立
つことを恐れ、奈良田と保村
との中間にある別当代(べっ
とうじろ)峠というところで
逢うことにしました。しかし
父親の目があり、なかなか夜
に出かけられません。いくら
待っても来ない吾平にしびれ
を切らし、琴路はまた奈良田
まで通ってくるようになりま
した。このような女の情熱が
怖くなった吾平は、恐ろしい
ことを思いつきました。峠に
丸太の一本橋がかかっていま
す。その丸太に鋸を入れ、そ
こに乗れば谷底に転落するよ
うしておいたのです。

 琴路はその夜も吾平に逢い
にやってきました。峠にさし
かかり、丸太橋を渡ったとた
ん丸太は折れて断崖を落下、
琴路は谷底へ消えて行きまし
た。一方、吾平も死は覚悟、
遺書を残して村はずれの断崖
から、下を流れる早川に身を
投げたのでありました。吾平
の遺体は早川の水に流され、
別当代峠(べっとうじろとう
げ)の下まで運ばれ、峠の橋
から落ちた琴路の遺体といっ
しょになれたのです。

 それを見た里人は、ふたり
をあわれんで碑を建てて供養
しました。それからというも
の、この峠を琴路峠(ことじ
とうげ)と呼び、琴路が落ち
た高い崖を「琴路のがれ」と
いうようになったということ
です。

★【夜叉神峠の伝説】
 南アルプスの入口・夜叉神
峠は白根三山の展望台になっ
ています。峠には夜叉をまつ
る石祠があります。夜叉とは
神通力を自由にあやつるイン
ド古代ヴェータ聖典以来の半
神半鬼。その性格は烈しく、
信仰心のないものには害をお
よぼすたたり神だそうです。

 大昔、桃ノ木鉱泉のそばを
流れる釜無川の支流、水出川
(いまの御勅使川・みだいが
わ)の上流に、身の丈20数
m、眼は爛々と輝かせる暴れ
ん坊の神(夜叉神)がすんで
いたといいます。この神は疫
病をはやらせ、暴風を自由に
あやつり、洪水を呼んで悪事
悪業の仕放題。平安時代のは
じめ天長2(825)年の洪水
は下流の釜無川、甲府盆地を
越えて一宮まで被害を与えま
した。

 見かねた甲斐の国造(くに
のみやつこ)・文屋の秋津は、
この惨状を朝廷に奏上しまし
た。淳和天皇は心を痛め勅使
を送り、水難防止除けを祈り
ました。そのため、水出川は
御勅使(みだい)川と名を変え
たそうです。

 これとは別に村人たちは、
はじめは恐れおののいていた
ものの、ついに我慢できなく
なりお互いに相談。夜叉神を
まつりあげ、御勅使渓谷を一
望できるこの峠に石の祠を建
て、念入りに祭祀しました。
それからは災害はなくなり、
いまは豊作の神、縁結びの神
になっているといいます。

 祠はいまも夜叉神峠小屋の
北側に祭られています。また
夜叉神峠名の由来には異説が
あって、かつてこの峠付近に
は、床柱や挽き物細工に使う
ヤシャブシという木がたくさ
ん生えていたという。ヤシャ
ブシは漢字で夜叉五倍子。ハ
ンノキ科のハンノキ属の落葉
小高木。このヤシャブシ林の
「りん」が「ジン」になまっ
てヤシャジンになったともい
われているそうです。


▼地蔵ヶ岳【データ】
★【所在地】
・山梨県韮崎市と山梨県南ア
ルプス市芦安、山梨県北巨摩
郡武川村との境。中央本線韮
崎駅の西13キロ。JR中央本
線韮崎駅からマイクロバス、
青木鉱泉から歩いて6時間30
分で地蔵ヶ岳。写真測量によ
る標高点(2764m)がある。
山頂直下に賽の河原がある。
地形図に山名と標高点の標高
のみ記載。オベリスク標高点
より南方向90mに賽の河原が
ある。

★【位置】
・標高点:北緯35度42分43.2
8秒、東経138度17分55.37秒
(国土地理院「電子国土ポー
タルWebシステム」から検索)

★【地図】
・2万5千分の1地形図「鳳
凰山(甲府)」



▼【参考文献】
・『裏見寒話・巻の三・法皇
の条』野田成方(のだ・しげ
かた)編(江戸時代後半期の
宝暦2年(1752)甲斐の見聞
記):(『新稿 日本登山史』
山崎安治著(白水社)1986
年(昭和61)所収)
・『甲斐国志』(松平定能(ま
さ)編集)1814(文化11年)
:(「大日本地誌大系」(雄山
閣)1973年(昭和48)
・『甲斐伝説集』(甲斐民俗
叢書2)土橋里木著(山梨民
俗の会)1953年(昭和28)
・『角川日本地名大辞典19・
山梨県』磯貝正義ほか編(角
川書店)1984年(昭和59)
・『甲州の伝説』(日本の伝
説・10)土橋里木ほか(角川
書店)1976年(昭和51)
・『続日本紀』宇治谷孟「現
代語訳」講談社学術文庫版(講
談社)1992年(平成4)
・『新稿日本登山史』山崎安
治著(白水社)1986年(昭
和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳
会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『続日本紀』宇治谷孟「現
代語訳」講談社学術文庫版(講
談社)1992年(平成4)
・『世界大百科事典10』(平
凡社)1972年(昭和47)
・『大辞林』松村明編(三省
堂)1988年(昭和63)
・『旅と伝説』三元社(昭和17
年2月号)「山と地形ことば」
高橋文太郎:「民俗学資料集
成29」(岩崎美術社)
・『日本架空伝承人名事典』
大隅和雄ほか(平凡社)1992
年(平成4)
・『日本山岳風土記2・中央・
南アルプス』(宝文館)1960
年(昭和35)
・『日本三百名山』毎日新聞
社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄
ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本大百科全書8』(小
学館)1986年(昭和61)
・『日本伝奇伝説大事典』乾
克己ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『日本登山史・新稿』山崎
安治著(白水社)1986年(昭
和61)
・『日本歴史地名大系19・山
梨県』(平凡社)1995年(平
成7)
・『日本霊異記』中田祝夫校
注訳・「日本古典文学全集・
第6巻」(小学館)1993年(平
成5)
・『名山の文化史』高橋千劔
破(河出書房新社)2007年
(平成19)


・このシリーズを、CDにまとめ
ました。こちらからどうぞ。


…………………………………………
ちょっと【広告】です。スイマセン
★作者の本をどうぞ(アマゾンから)
【とよだ時】(旧とよた時)コーナーです。
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B004L1SDTE

…………………………
★グッズあります。SUZURI社で販売しています。
https://suzuri.jp/toki-suzuri

…………………………
★下記はCD本です。(作者から発送します)。
古文、史料、文献に基づいた、大まじめな天狗、
仙人、山の妖怪神仏に出会う山旅。
00『百名山の伝説と神話』(新)
01『新・丹沢山ものがたり
02全国の山・天狗ばなし
03『山の神々いらすと紀行
04『続・山の神々いらすと紀行
05『ふるさとの神々何でも事典
06『続・ふるさとの神々事典
07『野の本・山の本

06 ↓こちらもどうぞ(紙書籍版品切れ)
 「電子書籍」または「中古書籍」をどうぞ。
▼山と渓谷社刊『日本百霊山』(電子書籍)
神仏、精霊、天狗や怪異と出会う山旅。山の愉
快な話。
神話伝説姉妹版
<
アマゾン>で。 <楽天ブックス>で。
………………

https://toki.moo.jp/cd-mihon/cd-mihon.html
※(CD総合見本)

……………………

とよだ 時【画文制作室】
…………………………………………
ゆうもぁ漫画家・山の伝承神話探勝・駄画師
https://toki.moo.jp/
from 20/10/2000


……………………………………………………
TOPページ「峠と花と地蔵さんと……」へ