山の神・天狗仙人妖怪ばなし
『百名山の神話伝説』
本文のページ(04)
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▼(044)筑波山「弁慶と天狗と富士山」
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(本文は長文です。ご興味ある部分を拾い読
みしてください)
【目次】
・神の戦い。
・ツクバは尽端。
・霞ヶ浦をつくった海の波。
・筑波山は握り飯。
・ガマの油売り、
・ガマ祭り。
・開山伝説。
・弁慶は本当に来たか?。
・天狗の話。
・だれとでも一夜神事など。
・筑波山【データ】
・参考文献
……………………………………
▼【本文】
★【筑波山】
毎日とはいきませんがトレーニ
ングに、近くの神社の階段を上り
下りしています。神社の欄干から
西南に富士山、北北東に筑波山が
望めます。ストレッチをしながら
いまごろはどちらの山も賑やかだ
ろうなと思いながら眺めます。筑
波山は「西に富士がね、東に筑波」
と江戸の人々に親しまれた山であ
ります。筑波山は水郷筑波国定公
園に属しています。
★【神の戦い】
そもそも筑波山は富士山に対
し、なにかと競争意識をもってい
たようです。民俗学の柳田國男博
士も著書「日本の伝説」(神いく
さ)のなかで「常陸の筑波山が、
低いけれども富士よりよい山だと
いってそのいわれを語り伝えてお
りました。
…(筑波山はいまのように繁栄
しているのは、親神を邪険にした
富士の神に対し、筑波の神は丁重
にもてなしたからである)…。こ
れは疑いもなく筑波の山で、楽し
く遊んでいた人が、伝えていた昔
話」と書いています。
この話のもとは奈良時代の養老
年間717〜724年成立の『常陸国
風土記』という本にある話です。
その筑波の郡の条に、こんなこと
が出ています。「古老がいうこと
には……、昔、祖(みおや)の神
尊(かみのみこと・母神)が多く
の(御子)神たちのところをお巡
りになって、駿河の国の富慈(ふ
じ・富士)岳(やま)にお着きに
なり、一夜の宿をと頼みました。
しかし、富士の神は新嘗祭(にい
なめさい・神に新穀をお供えして
感謝するまつり)で忙しいからと、
一夜の宿を断りました。…→
…→神祖尊(みおやのみこと)
は、なげき恨んで「この山は生涯
冬も夏も雪が降り積もって寒く、
人が登れず、飲食を供える者もな
くしてしまおう」といい、今度は
常陸の筑波山に行き、宿を乞うた。
筑波山は新嘗祭にもかかわらず、
快く宿を供し、飲食を奉りました。
喜んだ祖の神尊(母神)は、晴れ
ばれと歓んでお歌いになった。…
→
…→愛乎我胤(いとしいわがこ
よ) 巍哉神宮(たかいかみのみ
やよ) 天地竝斉(あめつちとと
もに) 日月共同(ひつきととも
に) 人民集賀(ひとらつどいよ
ろこび) 飲食富豊(たべものゆ
たかに) 代々無絶(よよたえず)
日日弥栄(ひましにさかえ)
千秋万歳(とこしえに) 遊楽不
窮(あそびきわまらじ)…→
…→このことがあって福慈の岳
は、いつも雪が降っていて人々は
登ることができない。この筑波岳
は、人々が往きつどい、歌い舞い
飲んだり食べたり、今にいたるま
で絶えないのである」とあるのが
元の話だそうです。これは有名な
話になっているようですが、それ
にしても難しい言葉ですね。
★【山名由来】
筑波山の「ツクバ」の名は、古
代の人たちが関東平野の尽き果て
るところにそびえるこの山を「尽
端」と呼んだことがはじまりだと
いうせつもあります。「尽端」で
「ツクバ」と読むそうです。また
昔、天地ができるはじめ、天照大
神(あまてらすおおみかみ)が、
筑波山に降りてきて琴をつま弾い
たといいます。
するとその音に感じて、ひとり
でに海の波が山のふもとまで押し
寄せてきたといいます(これ津波
じゃないの?)。その時、海水が
地面の凹んだところに残り、霞ヶ
浦ができたのだそうです。波のつ
く山というので、筑波山という名
になったという説もあります。
また先の『常陸国風土記』によ
れば、「筑波の県(あがた)は、
久しい以前には紀(き)の国とい
っていた。美万貴(みまき)天皇
(崇神(すじん)天皇のこと)の
治世に、采女臣(うねめのおみ)
の友属(ともがら・属類)の、筑
?命(つくはのみこと)を紀の国
の国造(くにのみやっこ)に遣わ
された」とあります。
そして、この時筑?命(つくは
のみこと)は、『私自身の名前を
国名につけて後の世までいい伝え
させるようにしたいものだ』とい
って、ただちにもとの名称(紀の
国)を改めさせて、こんどは筑波
と称した」との記述もあります。
また、風俗(くにぶり)の説(こ
とわざ)で、「握飯筑波の国」と
いうともいうそうです(『同風土
記』)。これは山の形が握り飯に似
ていて、それを食べる時に、飯が
手をつくので「筑波」といったこ
とにちなんでいるといいます。
★【異名】
筑波山は、朝は藍色、昼は緑色、
夕は紫色と時間によって山肌を変
えるといわれています。江戸時代、
結城(同県結城市)に滞在した与
謝蕪村が、「ゆく春やむらさきけ
むる筑波山」とも詠んでいます。
そんなところから、紫色は筑波山
の代名詞になっていて、紫の峰と
いう異名もあるそうです。
★【展望】
頂上からは、関東平野が一望。
東に太平洋、西に富士山、南に霞
ヶ浦、北に日光、那須の連山など
気のままです。
★【植物】
植物もホシザキユキノシタや、
ツクバウグイスカグラなど珍しい
ものが見られます。
★【祭神】筑波神社
筑波山は、ご存じのように男体
山(西峰)と女体山(東峰)の双
耳峰です。双方とも、ふもとの筑
波山神社(祭神:伊弉諾尊(いざ
なぎのみこと)、伊弉冉尊(いざ
なみのみこと)の奥の院になって
います。当然のことながら、男体
山頂には男神の伊弉諾尊(筑波男
大神・つくばおのおおかみ)、女
体山には女神の伊弉冉尊(筑波女
大神・つくばめのおおかみ)をま
つっています。
★【ガマの油売り】
筑波山といえば有名なのがガマ
の油売り。酒に酔ったガマの油売
りが、少し深く切りすぎてしまい、
売り物のガマの油を多量に塗りつ
けますが、血が止まりません。そ
こであわてて傷薬を売りに来たの
も忘れ、集まっている客に向かっ
て、傷薬を持っている者はいない
かたずねる「ガマの油」の落語も
あります。
名物の「ガマの石」は、山頂の
御幸ヶ原(みゆきがはら)の中ほ
どにあり、大口を開けているよう
なガマの形の自然石で、立身出世、
商売繁盛にご利益があるそうです
(『全国神社仏閣御利益小事典』)。
毎年8月1、2日には筑波山神社で
奇祭ガマ祭りも行われています。
★【詩歌】
この山は姿が美しいため、『万
葉集』をはじめとして、多くの歌
書に詠われています。なかでも『小
倉百人一首』の「筑波禰(ね)の
峰より落つる男女川(みなのがわ)
恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成
院(ようぜいいん)」が有名なと
ころというのは有名ですよね。
筑波山はまた、山岳信仰の聖地
でもあります。奈良期の花卉双蝶
八鏡(そうちょうはっきょう)と、
7世紀から12世紀にかけての土師
器、須恵器、陶器類が数多く発見
されているほどだと、物の本にあ
りました。
★【開山】
奈良時代の782年(延暦元)、徳
一上人というお坊さんが、ここに
筑波山寺を開きました。その後、
真言宗知足院中禅寺となり、神仏
習合の筑波大権現として栄えまし
た。しかし、明治維新後の廃仏棄
釈で、知足院はこわされてしまい
ました。その跡地に筑波山神社を
再興していまに至っています。こ
こは坂東三十三ヶ所観音霊場の第
25番札所にもなっています。
★【紛争】
また、1864年(元治1)、水戸
藩士天狗党の藤田小四郎一派が、
攘夷の急先鋒となってこの山に立
て籠もり、幕府軍と一戦をまじえ
た「筑波の天狗騒ぎ」も知られる
ところです。さらに筑波郡筑波町
と真壁郡紫尾村との山頂境界争い
も起きています。
これは明治以来つづいてきた紛
争です。結局は、1982年(昭和57)
東京高等裁判所の判決で、筑波町
(1988年1月31日につくば市に
編入し消滅)が勝訴したという事
件もありました。
★【徳一上人】
お話変わって、筑波山を開いた
徳一上人の話です。徳一上人は奈
良東大寺のお坊さん。筑波山を開
山したのは奈良時代の延暦元年
(782)のことだといいます。い
まこの山にある筑波神社の前身、
知足院中禅寺はこの上人が開いた
お寺です。筑波山と号します。中
禅寺は神仏習合の寺であり、本地
垂迹(ほんぢすいじゃく)説に基
づいて伊弉諾尊(いざなぎのみこ
と)と伊弉冉尊(いざなみのみこ
と)をまつりました。
徳一上人は、奈良時代の公卿・
藤原仲麻呂(藤原恵美押勝・えみ
のおしかつ)の第9子として生ま
れました。父が恵美押勝(えみの
おしかつ)の乱(764年・天平宝
字8)で敗北、徳一は幼年のため
刑を免れ4歳で出家させられまし
た。
奈良興福寺の修円上人につき、
法相宗(ほっそうしゅう)を学び、
のち奈良の大仏として有名な東大
寺に入って大いに名声があったと
いう名僧。徳一が筑波を開いたの
は、22歳の時であったというか
ら…延暦元年(782)(奈良時代)
ころといいます。
徳一上人が最初開いたとされる
会津磐梯山の恵日寺。その「恵日
寺縁起」には、鎌倉時代の『元亨
釈書』(げんこうしゃくしょ)曰
く、として次のように書かれてい
ます。「徳一学(二)相宗于修圓(一)、
甞依(二)本宗(一)作(二)新疏(一)、
難(二)破伝教大師(一)、相徒称(レ)
之一闢(二)常州筑波山(一)、…う
んぬんかんぬん」(『山岳宗教史叢
書17』)。と、ちんぷんかんぷん
……。
つまりこんなことが書いてある
ようです。「徳一上人は、法相宗
を奈良興福寺の修円上人に学び、
…常州築波山寺(筑波山寺)開き、
寺一門が栄えました。ところが徳
一は、僧らのおごった暮らしを嫌
い、恵日寺へ行き、亡くなったと
いいます。ところが死んでも全身
が壊死せず、…徳一はいま筑波山
に葬られているという…」とあり
ます。この「全身が壊死せず」の
記述から、上人は筑波山に天狗に
なって帰ってきているという伝説
もあります。なんでも天狗に結び
つけてしまい、申し訳ありません。
★【歌垣行事】一夜妻神事
一方、筑波山は、「歌垣(うた
がき)神事」の場でもあります。
『常陸国風土記』に、「坂より東
の諸国の男女…相携え、つらなり、
飲食をもたらし、騎にも歩にも登
り、たのしみあそぶ」とあります。
歌垣とは?歌(かがい)ともいい、
春と秋の2回、男女が山に集まっ
て、ご馳走を食べ歌を歌い、だれ
とでも一夜をともにできる自由恋
愛の行事。
『万葉集』にも「あどもひて、
おとめをのこのゆきつどひ、かが
ふ?歌(かがい)に、人妻に、わ
れも交(まぐ)はん、わが妻に、
人もこと問へ」と出てきます。こ
の日だけは、筑波の神の子として
許された神聖な神事。この風習は
日本各地で行われただけでなく、
中国南部からベトナム、インドシ
ナ半島、フィリピンやインドネシ
アではいまも行われているとか。
★【奇岩】
それはともかく、この山には奇
岩が多く、それぞれに伝説がとも
なっています。ガマ石は、名高い
ガマの油売りの口上の発祥地。ま
た、江戸後期の北方探検家間宮林
蔵が出世を祈願した立身石など。
なかでもとくに、「弁慶の七戻り
岩」は、頭上の岩が落ちそうで弁
慶も七戻りしたところとして有名
です。
★【弁慶はこの山に来たか】
ところで、この筑波山に弁慶が
本当に来たのでしょうか。弁慶の
父は、紀州熊野の別当湛増(「弁
しょう」とも)。母は大納言の姫
君。生まれた時から髪の毛がフサ
フサで、歯も大きく生えていたと
いう。父は「鬼子」だとして殺そ
うとしましたが、母からの哀願で
助けられ、仏門に預けられますが、
性格が乱暴すぎてどこへ行っても
追放される始末。
仕方なく京に出て、千本の太刀
を奪う悲願を立てた弁慶、牛若丸
に出会って、おなじみの橋弁慶伝
説に。牛若丸の家来になった弁慶、
牛若丸16歳の時、いっしょに奥
州へ下ります。途中鏡の宿で元服
(滋賀県竜王町鏡)、いままで牛
若丸とか遮那王といっていたのを
源九郎義経と名乗ります。こうし
て奥州平泉(岩手県平泉町)の藤
原秀衡の元へ。この記録では弁慶
は筑波山に立ち寄った形跡はあり
ません。
こんどは逆のコースです。平安
後期の治承4年(1180)、源頼朝
が兵をあげたこととを聞いた義経
弁慶は、いざ鎌倉へ向かいます。
途中、阿津賀志山(福島県国見町
の厚樫山)、安達ケ原から鬼怒川
を越えて宇都宮、武蔵国足立郡小
川口(埼玉県川口市)、武蔵国国
府(東京都府中市)、相模の平塚
(神奈川県平塚)、伊豆の国府(静
岡県三島市)…と目指し、駿河浮
島ケ原での頼朝との涙の対面とな
ります。このような記述でも、弁
慶が筑波山周辺に立ち寄った形跡
はないようです。
ところが、茨城県桜川市の楽法
寺というお寺に立ち寄ったという
話があるのですからどうしましょ
う。義経一行がこの寺にきた時写
した「弁慶の写経」があるという
のです。茨城県桜川市の雨引観音
と親しまれている雨引山楽法寺の
貫主さまが、こんなことを書いて
います。
義経は、源頼朝が平氏打倒の旗
をあげたのを伝え聞いて、「奥州
平泉を発足した源義経一行は、一
路南下。治承4年(1180)10月、
茨城県筑波山の北の雨引山楽法寺
に入りました。その時、弁慶がお
経を書き写し…。いまも弁慶の写
経は大切に保存」してあるそうで
す。アララ、やはり来ているよう
です。これが本当とすれば、弁慶
が筑波山に登ったのは、まさにこ
の時かも知れませんネ。
★【この山の天狗】
筑波山にも天狗がいることにな
っています。天狗の名前は筑波法
印(つくばほういん)といいます。
天狗には大天狗、中天狗、小天狗、
カラス天狗、木の葉天狗、白狼(は
くろう)天狗などなどがいますが、
そのあたりによくある天狗話など
は、カラス天狗や小天狗などの名
もないこわっぱ天狗の話。
筑波法印は鼻の高い大天狗のな
かでも名前まである大物天狗で
す。また関東でも最も古く、謡曲
にも出てくる天狗で、修験者が天
狗に祈念をこめる時唱えるお経
「天狗経」にも登場します。さら
に役ノ行者(えんのぎょうじゃ)
の岩橋づくりの時の天狗揃えにも
出てくるほどの超大物天狗なので
す。
岩橋づくりとは、役行者が大峰
山(奈良県)と、葛城山(奈良と
大阪県境)との間に、空中に岩の
橋を造ろうとした計画です。筑波
山の天狗は、こんなことにまで参
加していたんです。
★【天狗小僧】
お話変わって江戸後期、下谷の
長屋から寅吉という少年が天狗に
さらわれ、茨城県の岩間山(いま
の愛宕山)に連れて行かれ、しば
らく天狗と一緒に生活したあと、
帰ってきたという事件がありまし
た。国学者、平田篤胤(ひらたあ
つたね)がこの話に興味を持ち、
その寅吉から天狗の世界の様子を
聞き、『仙境異聞』という本にま
とめました。
その本の中に「……岩間山に十
三天狗、筑波山に三十六天狗、加
波山に四十八天狗、日光には数万
の天狗といふなり」の一文があり
ます。この筑波山には筑波法印と
いう大天狗が、三十六天狗を従え
てすんでいるというのです。
筑波法印といえば、先にも書き
ましたが、天狗のお経、「天狗経」
に出てくる四十八狗の中でも代表
的な天狗です。また役行者の天狗
揃えや、諦忍の『天狗名義考』、
林羅山の『本朝神社考』など名著
に名を連ねる有名な天狗です。
しかしどんなことをした天狗か
というと、その伝説がほとんどな
く、おとなしく地味な存在らしい
です。それもそのはず、筑波山に
は、いつのまにか天狗が最もまも
るべき五戒のひとつ「女人禁制」
が立ち消えになってしまいまし
た。
それどころか、自由恋愛の「?
歌(かがい)」の行事、はたまた
お山への登拝にも、先達がいらな
い登山道中などなど…。全く天狗
の出場所がありません。これでは
天狗の意気もあがらないのも分か
ります。
さらに明治維新の神仏分離令
で、「廃仏棄釈」の暴挙に発展、
山の寺院は、軒なみ手ひどい打撃
を受け、お寺や仏像、仏器、経巻
の類を焼かれるという追い打ち…
…。このようにして徳一創建の中
禅寺も破壊されなくなって、かわ
りにいまの筑波山神社がおさまっ
てしまいました。こんなありさま
の筑波山に大天狗筑波法印のいる
ところがあるのでしょうか。
資料によると、わずかに筑波神
社の老禰宜(ねぎ)の話としてこ
んな話が残っています。「徳一上
人は、磐梯の恵日寺で亡くなった
ことになっていますが、実際は棺
の中に亡きがらはなく、衣類だけ
が残っていた、天狗になって筑波
へ戻ってきていると祖父から聞い
たことがある……」とのことです。
ある時、天狗研究者の知切光歳
氏が筑波神社に話を聞きにいった
といいます。若い神職は「当山に
はそんな迷信的なバケモノはすん
でおりません!。筑波法印なんて
名は聞いたことがありません」と
にべもなかったといいます。筑波
法印も、「迷信」のひとことでか
たづけられたというのです。
それでも光歳氏はあきらめず、
筑波神社の老禰宜に面会をもと
め、上記のような資料にあるよう
な話を聞きだしたのです。「今ど
きこんな話をしても人に笑われる
ばかりですが…」と、筑波神社の
禰宜が上記のようなことを、遠慮
がちにいったといいます。いま筑
波山といえば「ガマの油売り」…
…。完全に観光地化されてしまっ
たこの筑波山に大天狗・筑波法印
が住む場所はすでにないのでしょ
うか……。
▼筑波山【データ】
★【所在地】
・茨城県つくば市と桜川市(旧真
壁郡真壁町)との境。つくばエク
スプレスでつくば駅からバス、筑
波山神社入口、ケーブルカーで筑
波山頂駅、男体山(西峰871m)
まで15分、女体山(東峰最高点
877m・1等三角点のある所876
m)まで15分。
★【位置】国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」から検索
・女体山877m最高地点:北緯36
度13分31.36秒、東経140度6分24.
95秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「筑波(水
戸)」
▼【参考文献】
・「恵日寺縁起」(『山岳宗教史研
究叢書17』所収)
・『角川日本地名大辞典8・茨城
県』竹内理三(角川書店)1991年
(平成3)
・『義経記』(日本古典文学大系3
7)岡見政雄校注(岩波書店)195
9年(昭和34)
・『古事記』:新潮日本古典集成・
27『古事記』校注・西宮一民(新
潮社版)2005年(平成17)
・『山岳宗教史研究叢書8・日光
山と関東の修験道』宮田登・宮本
袈裟雄(みやもとけさお)編(名
著出版)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修
験道史料集1・東日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
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カニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切
光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』
平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波
書店)2018年(平成30)
・『全国神社仏閣御利益小事典』
現代神仏研究会編(燃焼社)1993
年(平成5)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸
書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石
利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編
(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか
(三省堂)2004年(平成16)
・岩波文庫『日本書紀(二)』校
注・坂本太郎ほか(岩波書店)1996
年(平成8)
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1987年(昭和62)
・『日本架空伝承人名事典』大隅
和雄ほか(平凡社)1992年(平
成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己
ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『日本伝説集』高木敏雄(ちく
ま学芸文庫・筑摩書房)2010年
(平成22)
・『日本歴史地名大系8・茨城県
の地名』(平凡社)1988年(昭和63)
・『常陸国風土記』:(『風土記』(東
洋文庫145)吉野裕訳(平凡社)
1988年(昭和63)
・『平治物語』(日本文学全集7平
家物語他)井伏鱒二訳(河出書房
新社)1960年(昭和35)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ち
はや)(河出書房新社)2004年(平
成16)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ち
くま文庫)1990年(平成2)
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