山の【ひとり画ってん】
『日本百名山の伝説・神話』
本文のページ(04)
……………………………………
▼(044)槍ヶ岳「播隆上人と銀座コース」

▼【本文】

(長文です。ご興味ある部分を拾
い読みしてください)
【目次】
・槍ヶ岳とは
・播隆上人
・山頂の祠
・鎗ヶ岳と槍ヶ岳
・槍ヶ岳の仲間
・槍家族
・アルプス一万尺
・喜作新道(表銀座コース)
・裏銀座コース
・西銀座コース
・銀座コースの表裏
・槍ヶ岳の槍で大蛇退治
・槍ヶ岳【データ】
・参考文献

★【槍ヶ岳とは】
 槍・穂高といえば 北アルプス
を象徴する言葉になっています。
文字どおり、天を突くような北ア
ルプスの槍ヶ岳はあまりにも有名
で、いつも登山者の人気の的です。
山の名前はやはり穂先の形が鋭
く、槍のようだというところから
きています。

 毎年、夏山シーズンになると、
山好きの人たちの槍ヶ岳登山の行
列が続き、きまって山頂にある祠
をバックにカメラにおさまりま
す。そのため祠の前はいつも満員、
順番待ちをする状態です。

 槍ヶ岳は、長野県と岐阜県の境
にあるように思いがちですが、よ
く見ると、両県の境を通っている
のは小屋のある山頂の肩で、三角
点のある穂先は、長野県に出っ張
っているのでございます。

★【播隆上人】
 槍ヶ岳への初登頂は、播隆(ば
んりゅう)上人という江戸後期の
偉い念仏僧だといいます。播隆は
その前に、笠ヶ岳再興に挑んでい
ました。江戸後期の1823(文政
6)年に、播隆上人の努力で岐阜
県高山市にある笠ヶ岳の再興が達
成しました。それを祝って上人は、
村人18人を連れて笠ヶ岳に登頂
したときのこと。

 笠ヶ岳の山頂に立ってまわりの
山を見渡すと、東の空に荒々しい
穂高連峰の岩峰群が浮かんでいま
す。その中にひときわ、天を突く
ようにそびえる槍ヶ岳が、上人の
目に入ってきたのでした。「うん!
あの山こそ、絶好の修行の場所
だ」。

 播隆上人はそう確信し、あの槍
ヶ岳に登ることを強く決意したの
でした。そしてついに、1828年(文
政11)、いまの三郷村(いまの長
野県安曇野市)の中田又重郎とい
う人を案内人に頼んで、大阪で鋳
造した銅製の阿弥陀如来、観世音
菩薩、木造の文殊菩薩の3体の仏
像を背負って、槍ヶ岳に登ったと
いいます。

 その記録です。「此の頂上は往
昔より、踏み登りたる人なしと。
ここに於いて余発願して、去る文
政十一年戌子の秋、はじめて頂上
にのぼり、銅製の阿弥陀如来、同
じく観世音菩薩、木造の文殊大士
の三尊を安置し奉る……」。その
苦しみは背中の尊仏たちも汗を流
すほどだったと、播隆上人がつづ
った『信州鎗嶽畧縁起』(『山岳宗
教史研究叢書17』)に出ています。

★【山頂の祠】
 播隆上人たちは、槍ヶ岳の山頂
を平らにし、北側の高いところに
小祠を造り安置。のち、みんなが
登れるようにと「善の綱」と名づ
けた綱を岩壁につけました。そし
て、その山頂に木の祠をつくり、
新たに運んだ銅製の釈迦像を加え
4体にして山の寿命神としてまつ
ったといいます。

 こうして播隆上人は、槍ヶ岳の
山頂に2仏2菩薩を安置、長年の
願いが成就できたのでした。しか
し世は明治維新の混乱期に入り、
いつか山頂の2仏2菩薩のことは
忘れられてしまったのでした。い
まあるのは、その後何度か再建さ
れた祠。厳しい風雪に耐える祠の
中はからっぽです。

★【山名・鎗と槍】
 この槍ヶ岳の山名も、播隆上人
がつづった『信州鎗嶽畧縁起』に
あるように、江戸時代から明治、
大正にかけては金偏の「鎗」の字
が大分使われたそうです。漢和辞
典を引くとなるほど、「鑓」も「槍」
も「鎗」もみんな「やり」だとあ
ります。

 しかし、明治から大正時代の教
育学者であり、植物学者・信濃山
岳会副会長だった河野齢蔵という
人が、「鎗の字には武器のヤリと
いう意義はない。鎗は全然別の意
義なので、この山には槍の字を使
うべきだ」と主張。それからは
「槍」の字だけが使われるように
なったということです(『信州山
岳百科・1』)。

★【槍ヶ岳の仲間】
 さて、山頂が槍のようにとがっ
ている山は各地にあります。そん
な山々を、鹿島槍ヶ岳、白馬鑓
(槍)ヶ岳、蝶槍などと、その地
方の地名をつけて呼んでいます。
みんな槍ヶ岳にちなんだ名前で
す。たしかに槍ヶ岳の天を突く独
特な形は印象的です。どんな遠く
の山から見てもひと目で分かりま
す。よく各地の山で「あ、槍だ」
と指をさす登山者の姿を見かけま
す。

★【槍家族】
 ところで、この槍ヶ岳は、大家
族なのだそうです。大きな穂先は
大槍と呼ばれています。その北西
にある突起は小槍です。歌にも「小
槍のうーえでアルペンおどりをさ
ァおどりましょ…」と「アルプス
一万尺」で歌われるところ。その
ほか孫槍・曾孫槍の尖峰もありま
すから愉快ですね。

★【アルプス一万尺】
 その「アルプス一万尺」は、原
曲をヤンキードゥードゥル
(Yankee Doodle)といい、アメ
リカ独立戦争時の愛国歌だったと
いいます。ドゥードゥルはまぬけ
というような意味で、もともとは
イギリス軍が植民地軍を馬鹿にし
た歌だったといいます。それが逆
に植民地軍の愛国歌になったのだ
そうです。この「アルプス一万尺」
の歌詞は全部で29番まであると
いうからすごいです。

 歌詞は、槍ヶ岳から西穂高岳、
奥穂高岳など穂高の山々をひとめ
ぐり、上高地へまで「縦走」して
います。それ以外にもさまざまな
替え歌があります。2,3紹介し
ますと「槍はムコ殿、穂高はヨメ
ご、中でリンキの焼が岳」。「槍と
穂高を、番兵において、お花畑で
花を摘む」とか、「槍と穂高を、
番兵に立てて、鹿島めがけてキジ
を撃つ」などというものまであり
ます。「花摘み」とか「キジを撃
つ」というのは、つまりその……、
生理現象のことです。

 後ろの方になると「ナンダカ
ナ?」というものまでありますが。
ちなみに「アルペン踊り」という
のは、手を振り上げる、ジャンプ
する、またスイスアルプス地方の
民族舞踊などという説がいろいろ
あるようです。さらに自分自身で
振りを創作し、小槍の上で本当に
踊った人もいるといいます。ホン
トカイナ。

 しかも孫槍、曾孫槍とつづいて
いるのはあまり知られていませ
ん。さらにほかの地名のついた○
○槍ヶ岳の名がある山も多い。こ
れらの叔父さん叔母さんまで入れ
たら親族の数はどのくらいになる
のでしょうか。

★【喜作新道・表銀座コース】
 一方、中房温泉から燕岳、大天
井岳、西岳から東鎌尾根経由で槍
ヶ岳へ真っ直ぐ登山道が延びてい
る登山道が喜作新道です。「アル
プス表銀座コース」として大勢の
登山者が訪れます。その名のよう
に喜作という人が造った道です。
喜作とは安曇野市穂高牧集落出身
の猟師小林喜作のことで、1922
年(大正11)にこの道を開拓、
殺生小屋や西岳小屋を建てたとい
う(「信州山岳百科1」)。

 一説に、西岳小屋で小林喜作が
登山客に夕食を出してから、中房
経由でふもとの自分の家まで下山
し、用事を終わらせてから、宿泊
客が目を覚ます前に小屋に戻って
朝食の準備したという逸話があり
ます。その時の姿が、当時銀座で
はやっていた草履(ぞうり)履
(ば)きに提灯(ちょうちん)を
ぶら下げるという、独特「銀ぶら
の格好」だったので、だれいうと
なく銀座通りの名が定着したとい
います。

 喜作は1923年(大正12)3月、
息子と一緒に後立山連峰に猟に出
かけ、爺ヶ岳裏の棒小屋沢で雪崩
で死んだということです。この喜
作新道を記念して、大天井岳の周
辺にレリーフがいくつか掲げてあ
り、毎年秋には「喜作祭り」の記
念山行も行われているそうです。

★【裏銀座コース】
 表銀座があれば裏銀座・西銀座
もあります。それぞれ槍ヶ岳をめ
ざすコースです。裏銀座コースは
同じく長野県大町市の高瀬ダム横
のブナ立尾根登り口を基点とし、
烏帽子岳・野口五郎岳・鷲羽岳・
双六岳から西鎌尾根を経て槍ヶ岳
へ至るコースだといいます。表銀
座コースに比べ行程が長く登山者
も少なく静かに歩けるところ。

★【西銀座コース】
 また西銀座ダイヤモンドコース
は、広義には、日本海側の剱岳・
立山からはじまり、越中中沢岳・
薬師岳・太郎山・黒部五郎岳・三
俣蓮華岳から裏銀座コースに合
流、双六岳経由で槍ヶ岳へ向かう
コースですが、一般的には折立登
山口から登り、太郎山で合流する
コースをいうようです。

★【銀座コースの表裏】
 「表」とは長野県側安曇野から
見て、里に近い山なので表だそう
です。「裏」は、表銀座コースの
山々を越えて、安曇野方面から見
れば裏コースなのだそうです。
「西」も同じ理由です。

 ところで、昭和20年代は裏銀座
コースは、こちらのコースの方が
槍ヶ岳へ至るメインルートになっ
ていて、いまの表銀座コースくら
いの登山者を集めていたそうで
す。そのほか「ゴールデンコース」
などとの呼び方もあったそうです
が、かなり混乱ぎみです。つまる
ところ、あこがれの槍ヶ岳へ向か
う人気コースで、東京銀座通りの
ように登山者の多い通りというこ
となのかも知れません。

 ちなみに喜作新道ができる前の
明治から大正初期にかけては、槍
ヶ岳を目指すには常念小屋のある
常念乗越から東天井岳を経て二ノ
俣谷沿いに槍沢に下ったといいま
す。そしていまの吊り橋のある付
近から槍沢を登りつめて、槍ヶ岳
に至るのが一般的だったそうです
から、随分と遠回りをしていたよ
うです。

★【槍ヶ岳の槍で大蛇退治】
 槍ヶ岳の槍はただの槍ではな
く、大蛇退治もできるというこん
な話もあります。昔々、那須国造
(なすのこくっこ)が、茨城県と
福島県境にある八溝山(やみぞさ
ん)にすむ八峡大蛇(やまたのお
ろち)を退治するよう命を受けま
した。

 このやっかいな怪物を退治する
には、どうしても駒ヶ岳(※木曽
駒とも甲斐駒ともされる)の「天
津速駒」(あまつはやごま)とい
う神馬に乗らねばなりません。そ
して北アルプスの乗鞍岳の鞍と、
同じく槍ヶ岳の槍、同じく立山の
盾(たて)を借りて挑まなければ
なりません。

 この馬は、武甕槌神(たけみか
づちのかみ・雷神で剣神で武神)
の魂から生まれた葦毛(白馬)だ
そうです。肩には銀色の翼があり、
天空を駆け回って、夜は駒ヶ岳の
山頂で眠るといわれる不老不死の
神馬。ひとたびこの駒に出会えば、
いくら弱った人でも、総身に活気
がみなぎるとされる駒です。

 しかし、天津速駒(あまつはや
ごま)を捕まえるのは難儀です。
駒ヶ岳の雪解けが進み、夏も近く
なると神馬は水を求めて姫ヶ泉
(ひめがいずみ・秘めが泉)に出
て来るという話です。ここは千古
に秘められた飲みなれた雪解けの
泉。

 那須の国造(こくっこ)は、毎
日、姫ヶ泉のあたりをぶらついて
神馬の来るのを待ちました。ある
日、この泉に葦毛の神馬があらわ
れました。が、ただ近づいたので
はとても捕らえられるものではあ
りません。

 彼は雪の色と同じ綿の衣を着て
這って葦毛の神馬に近づきまし
た。神馬はそれを雪だと思い、油
断しているところを不意に襲っ
て、速駒の魔(ま)の手綱(たづ
な)を引いて、首尾よく捕まえる
ことができました

 それからというもの、神馬につ
けた乗鞍岳の天安鞍(あまのやす
くら)にうち跨り、槍ヶ岳の天日
矛(あまのひぼこ)と立山の天広
盾(あまのひろたて)を持って、
八溝山に攻め入りました。

 そして、めでたく八狹大蛇(や
またのおろち)を退治したといい
ます。このようにして勇敢に戦っ
た天津速駒は、その後、駒ヶ岳に
舞い戻り、いまでも雪の峰々や谷
々を歩き回っているということで
す。



▼槍ヶ岳【データ】
★【所在地】
・長野県大町市、長野県松本市安
曇(旧南安曇郡安曇村)と岐阜県
高山市上宝町(旧同県吉城郡上宝
村)との境(ただし標高点は長野
県)。篠ノ井線松本駅の北西35キ
ロ。松本電鉄新島々駅からバス、
上高地から歩いて延べ10時間半で
槍ヶ岳。写真測量による標高点(3
180m)。(二等三角点は亡失・地
形図には記載なし)。地形図に山
名と標高点の標高のみ記載。

★【位置】国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」から検索
・標高点:北緯36度20分31.08秒、
東経137度38分51.4秒
・三角点:亡失

★【地図】
・2万5千分の1地形図「槍ヶ岳
(高山)」

★【山行】
・某年8月15日(金・くもり)。
★おこがましく【山行】などとい
っていますが、せいぜい山頂に二、
三十分いただけ。登っていないの
と同様です。


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野
県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書10・白山
・立山と北陸修験道』高瀬重雄編
(名著出版)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書・17』(修
験道史料集1・東日本編)五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新稿日本登山史』山崎安治著
(白水社)1986年(昭和61)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日
新聞社編)1983年(昭和58)
・「信州鎗嶽畧縁起」(「鎗嶽畧縁
起」) 播隆上人著 (祐泉寺本)
:『山岳宗教史研究叢書・17』(修
験道史料集1・東日本編)五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナ
カニシヤ出版)2005年(平成17)
・「世界の植物6」(朝日新聞社)
1975年(昭和50)
・「旅と伝説」(第1巻・通巻1号
〜6号)(岩崎美術社)1928年(昭
和3)1月〜6月
・『日本山岳風土記1』(宝文館)
1960年(昭和35)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石
利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系20・長野県
の地名』一志茂樹ほか(平凡社)
1990年(平成2)
・「播隆上人と槍ヶ岳、笠ヶ岳」
前田英雄:『山岳宗教史研究叢書
10・白山・立山と北陸修験道』高
瀬重雄編(名著出版)1977年(昭和
52)
・『秘録・北アルプス物語』朝日
新聞松本支局(郷土出版)1982
年(昭和57)
・『山の伝説』日本アルプス編(青
木純二)(丁未出版)1930年(昭
和5)
・『鎗嶽畧縁起』:代田晒子:『日
本山岳風土記1』(宝文館)1960
年(昭和35)

…………………………………………
ちょっと【広告】です。スイマセン
★作者の本をどうぞ(アマゾンから)
【とよだ時】(旧とよた時)コーナーです。
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B004L1SDTE

…………………………
★グッズあります。SUZURI社で販売しています。
https://suzuri.jp/toki-suzuri

…………………………
★下記はCD本です。(作者から発送します)。
天狗・仙人・神仏に出会う山旅。
新『伝承と神話の百名山
01『新・丹沢山ものがたり
02全国の山・天狗ばなし
03『続・山の神々いらすと紀行
04『続・ふるさとの神々事典
05『野の本・山の本』ほか

06 ↓こちらもどうぞ(紙書籍版品切れ)
 「電子書籍」または「中古書籍」をどうぞ。
▼山と渓谷社刊『日本百霊山』(電子書籍)
神仏、精霊、天狗や怪異と出会う山旅。山の愉
快な話。
神話伝説姉妹版
<
アマゾン>で。 <楽天ブックス>で。
………………

……………………

とよだ 時【画文制作室】
…………………………………………
ゆうもぁ漫画家・山の伝承神話探勝・駄画師
https://toki.moo.jp/
from 20/10/2000


……………………………………………………
TOPページ「峠と花と地蔵さんと……」へ