『日本百名山の伝説・神話』
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【とよだ時】(豊田時男
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▼北海道・阿寒岳(雌阿寒岳)

【本文】
 『日本百名山』では4番目に登場するのが
阿寒岳という山です。北海道に「阿寒」とい
うの名がつく山は3座あります。いまも活発
に噴火する雌阿寒岳(めあかんだけ・1499
m)と、その南の阿寒富士(あかんふじ・1476
m)、それに雄阿寒岳(おあかんだけ・1370
m)です。しかし、単に阿寒岳といえば、雌
阿寒岳を指すことが多いといいます。

 雌阿寒岳は、釧路市(旧阿寒郡阿寒町)と
足寄郡足寄町(あしょろちょう)との境にあ
る山。約2万年前から噴火をくり返し、いま
も噴煙の絶えることのない活火山です。アイ
ヌ語でマチネシリといい、「女山」の意だと
いう。

 このあたりは雌阿寒岳の雌山(マチネシリ)
と、中雌岳(中マチネシリ)、小雌山(ポン
マチネシリ)、阿寒富士からなっています。
雌阿寒岳山頂には、周囲1.5キロの第一火口
があり、火口原には第二火口と溶岩円頂丘が、
そしてその北西部には第三火口があります。


 最高峰のポンマチネシリはその寄生火山
で、頂上には2重の爆裂火口があり、1955
年(昭和30)に起きた水蒸気爆発が、その
後断続的に続いています。直径400mの噴火
口の底に赤沼、青沼があります。

 頂上からの眺望は四囲に開け、眼下には阿
寒湖、雄阿寒岳、西方には大雪連峰(たいせ
つれんぽう)や日高山脈まで遠望できます。
雌阿寒岳の山麓は、アカエゾマツ、トドマツ
の樹林帯が美しく広がっています。山にも男
女がいればいろいろなことが起こります。

 ここにはこんな伝説があります。雌阿寒岳
は文字通り女性で女神の山。昔は、いまある
釧路からずっと西方の、石狩山地十勝連峰に
あったそうです。それに対して、十勝連峰最
北のオプタテシケ山(槍がそれるとの意味・
美瑛町と新得町の境・2013m)は男神の山。


 この2座は夫婦山でした。ところが何がも
とだったか大げんか。とうとう別れることに
なり、女神の雌阿寒岳は、こどもを背負うと
遠く東の釧路へ帰ってしまいました。気性の
荒い雌阿寒岳はくやしくてくやしくて、いつ
かうらみを晴らそうとチャンスをうかがって
いました。

 ある時、女神はもと夫のオプタテシケ山を
めがけて槍を投げつけました。それを見てい
たオプタテシケ山の前にそびえるヌプカウシ
ヌプリ(原野にある山の意・東(1252m)
と西(1251m)がある・然別湖の南)が、
オプタテシケ山を助けようと飛んでくる槍を
捕まえるため立ち上がりました。

 槍は押さえられオプタシケ山は無事でした
が、ヌプカウシヌプリは耳を削られてしまい
ました。腹を立てたオプタテシケ山は、その
槍を拾い投げ返しました。槍は山の真ん中に
命中。雌阿寒岳は大けがをしたということで
す。いまも雌阿寒岳から硫黄が出ているのは、
その傷跡から出る膿だということです。


 またヌプカウシヌプリが槍を押さえよう
と、起きあがったあとの穴に水が溜まり、然
別湖(しかりべつこ)ができました。さらに
飛んできた槍で削り落とされ、飛んでいった
耳は、いまの芽室町(めむろちょう・河西郡
・帯広の西)のポネオプタプコプ(小さな瘤
の山の意)になったということです(『日本
の民俗1』)。

 またこの小さな瘤の山・ポネオタプコプに
も伝説があります。かつてこの山のあたりに、
小人族のコロポックルが住んでいました。平
和な暮らしがつづいていましたが、ある日、
アユを追ってアイヌの一団が美生川沿いに近
づいてきました。

 コロポックル族たちは相談、断崖の上に砦
を築き、敵の来襲に備えました。やがてアイ
ヌ族との戦いがはじまりました。砦を築いて
いたコロポックル族は地の利で優位、アイヌ
は退却しました。


 しかし再三のアイヌ族の来襲です。アイヌ
族は、美生川を挟んでの戦いが不利であるの
を知り、こんどは密林地帯を超えて砦の背面
から攻撃してきたのです。背後から不意をつ
かれたコロポックル族は大慌て、遂に全滅し
てしまったということです。

 それとは別に次のような言い伝えもありま
す。昔、アイヌの人たちは、雌阿寒岳の南に
ある山を、ユッラン・ヌプリ(シカの下る山)
と呼んでいました。阿寒の山々には、草や樹
木が豊かに生える森でありました。

 時が移りいつのころからか、ササがはびこ
りはじめて草や木が、ササにはばまれて育た
なくなってしまいました。この様子を天から
見ていた「シカ族の神」は、森を救おうと、
エゾシカを入れた大きな袋をこの山に降ろし
ました。エゾシカは、ササの葉をムシャムシ
ャと食べて、やがて阿寒の山々に緑の森が戻
ってきたといいます。

 ユッラン・ヌプリのシカは、アショロ・ヘ
ツから十勝、日高、さらには北見の方まで広
がっていき、先々まで緑の森ができていきま
した。それからというもの、アイヌに人たち
はユッラン・ヌプリの山中で猟をするとき
は、神に感謝し必ず木弊を捧げるようになっ
たということです。


 ところで、この山には高山植物も多くあり
ます。そのなかで、1886年(明治19)に北
海道大学の宮部金吾が命名したメアカンフス
マ、1897年(明治30)に川上滝弥が採集し、
牧野富太郎が命名したメアカンキンバイが有
名です。7月〜8月にはお花畑は満開で、先
のメアカンキンバイ、メアカンフスマのほか、
コマクサ、タルマイソウ、アカンサキスゲな
どが目を楽しませてくれます。

 また幕末から明治にかけての探検家の松浦
武四郎は、雪道をたどって、「マチ子(ね)
シリ」に登ったといいます。その時著した『戊
午日誌(ぼごにっし)』(1858年・安政5年)
に、「頂上に到る。此処より東を見る哉、ア
カン沼を眼下に見、其を越(え)てピン子(ね)
シリ、其(それ)を男アカンと云(う)。ピ
ンは雄也、マチ子(ね)は雌也、合わせて是
(れ)を雌雄の山と云(う)」と書いていま
す。

 さて雌阿寒岳の南方、約1キロの山腹には
阿寒富士(1476m)があります。十勝地方
足寄(あしょろ)町と釧路地方阿寒町・白糠
(しろぬか)町にまたがり、名前のように、
山体がきれいな円錐形で富士山のようなとこ
ろからきています。山頂に2つの爆裂火口が
あり、約2000年前の噴火でできた、阿寒湖
の寄生火山だそうです。この噴火の溶岩流で
せき止められてできたのが、山麓西側の湖オ
ンネトー(アイヌ語で年老いた沼、大きな沼
の意味)だといいます。

 一方、雌阿寒岳北東方向には、雄阿寒岳
(1371.2m)があり、釧路地方阿寒町にある
アイヌ語のピンネシリ(男山の意)。1万年
も前から火山活動がはじまったといい、西麓
には溶岩流でせき止められた阿寒湖があり、
北東の山麓にはパンケトー(アイヌ語の下の
湖の意味)とペンケトー(上の湖の意味)と
呼ばれる湖ができたということです。雌阿寒
岳頂上からは阿寒湖、パンケトー、ペンケト
ーをはじめ、雌阿寒岳、斜里岳、釧路湿原な
どを望めます。


▼雌阿寒岳【データ】
【所在地】
・北海道足寄郡足寄町と釧路市(旧阿寒郡阿
寒町)との境。JR根室本線釧路駅からバス、
阿寒湖バス停下車、雌阿寒温泉行きバスに乗
り換え、雌阿寒温泉で下車。さらに歩いて3
時間で雌阿寒岳。標高点(1499m)がある。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWeb
システム」から
・標高点:北緯43度23分11.47秒、東経144
度0分32.73秒

【地図】
・2万5千分の1地形図:雌阿寒岳


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典1・北海道上巻』編
(角川書店)1991年(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞
社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004
年(平成16)
・『日本の民俗1』(北海道)高倉新一郎(第
一法規出版)1974年(昭和49)
・『日本歴史地名大系1・北海道の地名』高
倉新一郎ほか(平凡社)2003年(平成15)


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05『続・山の神々いらすと紀行
06『ふるさとの神々何でも事典
07『続・ふるさとの神々事典
08『家庭行事なんでも事典
09『健康野菜と果物
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