山旅通信【ひとり画ッ展】
『日本百名山』の伝説と神話
(山の神・伝説神話)
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▼日本百名山(073番)「剣山」
「安徳天皇と平家の馬場」
長文です。ご興味ある部分を拾い読みしてく
ださい)
★【目次】
・【剣山とは】
・【山名】
・【山頂】
・【標高の張り合い】
・【神社】
・【三大秘境】
・【高山植物】
・【安徳天皇伝説】
・【平家の馬場伝説】
・【剣山データ】
・【参考文献】
▼【本文】
★【剣山とは】
四国徳島県の剣山(つるぎさん)は、剣山系の
主峰で徳島県内の最高峰であり、西日本では
愛媛県の石鎚山に次ぐ山です。徳島県美馬(み
ま)市、東祖谷山(いややま)村、那賀町に
またがっています。
この山は昔は、四国太郎山あるいは太郎笈
(たろうぎゅう)などとも呼ばれていました。
そしてかつては東方の一ノ森(1879m)や
南西にある次郎笈(じろうぎゅう・1929m)
などを含めての山名だったそうです。次郎笈
は太郎笈の弟分にあたるのだそうです。
また、剣山と呼ばれる前は「立石山」とか
「石立山」、また「小篠(こさざ)の権現」
などともいわれていました。いま使われてい
る山名の「剣」の名が出てきたのは江戸時代
の寛永年間(1624〜44)といいます。当時
の「阿波国絵図」に「剣ヶ峰」と記されたの
が最初だとのことです。やがて年月とともに
「剣山」の名が定着していったらしい。
★【山名】
ここで突然「剣」の文字が出てきたのには、
三つの理由があります。その第一は、頂上近
くに剣のような神石(御塔石・おとうのいし)
があり、そばに大剣(おおつるぎ)神社をま
つっているためだというもの。1815(文化12)
年の『阿波志』(阿波藩の藩撰の地誌)の「剣
祠」の項に「剣祠 祖山菅生(すげおい)名
剣山の上に在り、名を去る二里余、頂に岩あ
り、屹立す、高さ三丈、土人以て神と為す、
三月、雪消え人方登謁(えつ)す、其形似た
るを以て、名づけて剣と云ふ。祠中剣あり、
元文中(1736〜41)人あり、之を盗む、既
に得て、之を小剣岩窟中の人跡至らざる所に
納む、後終に失ふ」。
つまり、岩の形から剣山の名が与えられ、
後に剣を奉納したというのです。また1757
年(宝暦7)、宇野真重著の『異本阿波志』
は次のようです。「剣山 曽谷山東の端也、
此山上に剣の権現御鎮座あり、又、小篠の権
現とも申、谷より高さ三十間斗四方なる柱の
ことき巖、立たり、風雨是をおかせども錆ず、
誠に神宝の霊剣なり、……」などとあります。
三つの理由の第二は、前述の『阿波志』や
『異本阿波志』にも出てくるように、大剣神
社にまつる神宝が剣であることに由来する
説。1912年(明治45)の『新撰名勝地誌』(田
山花袋編)には、「剣山は四国第一の高山に
して…(中略)…山頂に一小祠あり、剣の社
と称す。安徳天皇の剣を祀れるより其名を得
たりといふ…(後略)」とあります。
最後の第三の説は、安徳天皇の剣を山頂近
くに埋めたとする説です。これは、祖谷(い
や)地方の言いつたえである、屋島合戦に敗
れた平氏一族が、ひそかに安徳天皇を奉じて
祖谷地方に入ってきたとする説からきていま
す。江戸末期の1792(寛政5)、讃岐の文人
・菊池武矩(のり)が当地を訪れた際の旅行
記『祖谷(いや)紀行』によれば「山上より
遙に剣の峰みゆ、其山昔は立石山といひしが
安徳天皇の御つるぎを収め給ひしより、剣の
峰といふとなん」とあります。これは前記の
『異本阿波志』の記事にもあります(『山岳
宗教史研究叢書12』名著出版から)。
また『剣山由来記』という文献では、「安
徳帝、この山に御駐輦(れん)、大山祇命(お
おやまずみのみこと)の御社に御剣を奉納あ
そばさるによって石立山を剣山と改す」とあ
ります。御社とは山頂の宝蔵石神社または西
側直下の大剣神社のいずれかを指すとされ、
宝蔵石または御塔石の下に剣が収められてい
るといわれているのです。
★【山頂】
剣山山頂の南の端には一等三角点(標高
19955.0m。三角点名:剣山)があります。1943
年(昭和18)、気象庁は山頂北側に「剣山測
候所」(富士山測候所に次ぐ高さ)を開設、
職員が常駐し、気象観測をしていましたが、
技術の革新により2001年(平成13)に廃止
されました。また「平家馬場」と呼ばれる平
坦地もあります。
★【標高の張り合い】
いま剣山の標高は19955.0mとなっていま
す。この標高について、ちょっとおもしろい
話があります。剣山は四国内で石鎚山とどち
らが高いか地元民の中で張り合いました。大
正4年(1915)の『美馬郡郷土誌』にこんな
ことが出ています。「古来、石鎚山は四国第
一の高山と称されしが、明治三十二年出版の
百万分の一大日本帝国地質図に、石鎚山を
2097m、剣山を2242mと記せしかば、爾来
学会は剣山を以て四国第一となすに至れり」。
「然るに近年五万分の一地形図の完成する
あり。石鎚山は1981m、剣山は1955mと最
後の断定を下したるを以て、終に古来の通り
石鎚山を以て四国第一となさざるべからざる
に至れり」。
つまり、剣山と石鎚山はどちらが標高が四
国一かで張り合いました。記録によると地図
が出るたび、勝った負けたと一喜一憂してい
たことが分かります。とどのつまりは、石鎚
山は三角点が1920.6m、頂上天狗岳は1982m、
剱岳は1955mで一歩譲っているのだというこ
とです。
★【神社】
この山にはあちこちに、いくつもの神社が
あってややこしい。まず山頂の宝蔵石神社(剣
山本宮)は、東麓の美馬市木屋平(こやだい
ら)地区にある竜光寺剣神社の奥ノ院だそう
です。この神社のそばには、宝蔵石(ほうぞ
うせき)と呼ばれる巨石があります。
また西側直下には大剣(おおつるぎ)神社
があります。この神社は、明治の神仏分離令
が出るまでは大剣権現と呼んでいました。そ
ばにある巨石御塔石(おとうのいし・大剣岩
ともいう)をご神体としています。
そのほか山頂北側には両剣神社、その近く
に古剣神社、その近くに古剣神社、また北麓
の三好市側リフト乗車駅近くの見ノ越(みの
こし)にも劔神社があります。これら各地に
ある「剣神社」の総本山が、山頂西側直下の
大剣神社になるのだそうです。
★【三大秘境】
この剣山地、なかでも祖谷山(いややま)
と呼ばれる地域は、飛騨(ひだ・岐阜県北部)
の「白川郷」、肥後(ひご・熊本県)の「御
家荘(ごかのしょう)」、または日向(ひゅう
が・宮崎県)の「椎葉(しいば)の里」など
とともに日本三大秘境といわれています。ま
た平家の落人伝説地として知られているそう
です。
★【高山植物】
ここ剣山は植物の宝庫でもあります。1801
年(享和(きょうわ)元)には地元の植物学
者、医師学問所(藩立医学校)教授らが入山。
明治になり、1896年(明治29)には植物学
者白井光太郎が、1909年(明治42)には牧
野富太郎も植物採取のための登山をしまし
た。
その結果この山で発見されたものに、ギン
ロバイ、シコクヤマトリカブト、トガスグリ、
ケンザンデンダ、ツルギハナウド、ツルギカ
ンギク、ツルギミツバツツジ、シコクシラベ
など数多くあります。
とくにシコクシラベは、四国特産の針葉樹
で氷河期の遺存植物だそうです。また古剣神
社の西にある行場(不動の窟)付近に生えて
いる、やはり氷河期の遺存植物キレンゲショ
ウマの群落は、全国の有数の広大な規模だと
いいます。
★【安徳天皇伝説】
これらの山名由来説の中に安徳天皇が度た
び出てきます。そもそも伝説によれば、源平
合戦で死んだとされる安徳天皇が実は生きて
いて、平家の落人に守られて剣山の奥山に隠
れ住み、この地で生涯を終えたというのです。
安徳天皇は高倉天皇の第一皇子、平安末期の
1180年(治承4)、わずか2歳で第81代天
皇として即位しました。
安徳天皇が即位して間もなく、源氏が挙兵
して「源平の争乱」がはじまります。そして、
いまの香川県高松市での「屋島の戦い」(11
85年/寿永4・文治元/3月)に敗れ、さら
に4月になり「壇ノ浦の戦い」(いまの山口
県下関市)で、ついに平氏は滅亡、安徳帝は
祖母に抱かれて入水(じゅすい)し、わずか
7歳でその生涯を終えたということになって
います。
しかし、安徳帝は実は生き延びていたのだ
というのです。屋島の戦いで敗れた平家軍の
うち、平国盛(くにもり・平忠盛の子で清盛
の弟にあたる教盛の二男)をはじめとする一
団は、安徳天応を奉じて讃岐の水石庄に身を
ひそめました。壇ノ浦で入水したのは、実は
安徳天皇の身代わりだったというのです。讃
岐(いまの香川県)の山中逃げ込んだ安徳帝
の一行は、穴吹川を遡(さかのぼ)り、木屋
平を経て石立山へと登ったとしています。
この時、安徳帝が自らの剣を奉じて山頂に
埋めたのか、または、遺勅(いちょく・後世
に残された勅命)によって剣が山上に納めら
れたのだというのです。この剣山山頂に広が
る「平家の馬場」という平原は、平氏再興を
図る落ち武者たちが乗馬の訓練をしたところ
としています。
そして「晴天ニハ、必ズ竜馬出テ、爰(こ
こ)ニ遊ブ、此笹ヲ喰フト云々、毛色赤クシ
テ、二才駒程アリ、今是(これ)ヲ見ル人多
シ」と書く本もあります(『異本阿波志』)。
また山上の宝蔵岩は、平家の財宝あるいは軍
資金を隠したところともいい、岩の下にはソ
ロモン王の秘宝が埋まっているなどという噂
まであるしまつ。
さて伝説のつづきです。逃げる途中で、安
徳天皇と別行動をとった平国盛とその一族
は、吉野川を遡り、祖谷山に分け入って、東
祖谷山の大枝地区に行って岩屋に身を隠しま
した。1185年(文治元)の大みそかであり
ました。せめて新年の祝いに門松を立てよう
としましたが、あたりに松はないため仕方な
くヒノキで代用したというエピソードもあり
ます。
そんな時、平国盛の一行が、東祖谷山の大
枝地区の名主の喜多家を訪れたのだそうで
す。しかし、喜多家は元旦の祝賀の宴の最中
でした。そこへ見知らぬ落人一行が、いきな
りたずねてきたのです。喜多家の主人は一行
の家への立ち入りを断りました。それに怒っ
た国盛らは武力で、喜多家を滅ぼしてしまっ
たということです。
その事件に関連して、祖谷山地方に残る正
月の奇習があります。元旦、座敷に空の膳を
ならべ、そこの家長が「きたぞ、ソーラきた」
と叫びます。すると家族みんなで外に飛び出
して、逃げるまねをするというのです。当時
の落ち武者の略奪の記憶が伝わっているので
しょうか。突然、見たこともない無頼漢の落
ち武者連中にやってこられて迷惑ですわな。
このようしてこの地域を平定した平国盛
は、阿波国三好郡阿佐名(いまの徳島県三好
市東祖谷阿佐)に定住して祖谷平氏・阿佐家
の祖になったといいます。阿佐家は平家屋敷
といわれ、正月にはヒノキの門松を飾るとい
うことです。大枝地区の神社は国盛が鉾を奉
祀したところといい、神社の裏手には国盛が
植えたという老杉の巨木(国盛の大杉)があ
り、県の天然記念物になっています。
さて、剣山の山頂で国盛たちが平定したと
いう吉報を待っていた安徳天皇たち。平国盛
が、祖谷山地区を評定したという知らせを受
けて、祖谷へと下っていったのでありました。
蛇足ながら、途中にある栗枝渡(くるすど)
集落の下流の京上(きょうじょう)というと
ころは、安徳帝が行宮(あんぐう・仮宮)を
営んだところで、京の都になぞらえた名前に
したものという。ほかにもこのあたりには天
皇淵や天皇森などという地名も各所に残され
ています。
このような落人たちの努力もむなしく、平
家再興の夢はならず安徳天皇はこの地で亡く
なったといいます。栗枝渡地区にある八幡神
社がその地だとか。この神社の境内に「安徳
天皇御火葬跡」という場所があります。こん
な話もあります。
この地方には菅生(すげおい)家(源氏の
末流)と、阿佐家(平家)があって、阿佐家
がいまも平家の赤旗を伝えています。それに
対し菅生家は源氏の白旗が伝えられているそ
うです。白旗のある菅生家は当時、平家一族
を追って祖谷(いや)山中に入って来たのだ
そうです。
★【平家の馬場伝説】
さて剣山の頂上には「平家の馬場」と呼ば
れるミヤコザサの平原があります。先にも書
きましたが、文治元年(寿永4・1185)、屋
島の合戦で敗れた平家は、安徳天皇を奉じて
祖谷山(いややま)地方に潜伏して再興を謀
りました。その時の平家の総大将は、門脇中
納言平教盛(のりもり)の次男、従四位越後
守平国盛でした。
平国盛は剣山の頂上平坦な草原で、きたる
べく合戦に備え馬術の訓練を行いました。い
ま山頂の平坦部の笹原を「平家の馬場」と呼
ぶのはこのためだとしています。その山の奥
に入ったところに広い茶畑があって、「宇治
平」と名がついている。宇治の茶に似た茶が
できて平家の落人がそこを住まいにして茶を
つくっていたそうです(『日本伝説大系12』)。
▼剣山【データ】
★【所在地】
・徳島県三好市東祖谷(いや)、美馬(みま)
市木屋平(こやだいら)、那賀郡那賀(なか)
町木沢(きざわ)にまたがる。JR徳島線貞
光駅からバス見の越から登山リフトで西島
駅、さらに歩いて50分で剣山山頂。一等三
角点がある。北東237mに剣山本宮宝蔵石神
社がある。
★【位置】(国土地理院「地図閲覧サービス」
から検索)
・一等三角点:北緯33度51分13.51秒、東
経134度05分39.11秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図:「剣山」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典36・徳島県』(角川
書店)1986年(昭和61)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三
省堂)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書12』「大山・石鎚と
西国修験道」宮家準編(名著出版)1979年
(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書18』「修験道史料集
(2)西日本篇」五来重編(名著出版)1984
年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『旅と伝説本過三元社(1942年(昭和17)
1月号)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書
房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004
年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『日本伝説大系12』(四国)(みずうみ書房)
1982年(昭和57)
・『日本の民俗36・徳島』金沢治(第一法規
出版)1974年(昭和49)
・『日本歴史地名大系37・徳島県の地名』三
好昭一郎(平凡社)2000年(平成12)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河
出書房新社)2004年(平成16)
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・03『改訂・山の神々いらすと紀行』
・04『改訂・ふるさとの神々事典』
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【とよだ
時】山と田園の民俗伝承探査・漫画家
from
20/10/2000



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