山のトリビア伝記
『伝承と神話の百名山』(22)
本文のページ(02)
【とよだ時】(豊田時男)
……………………………………
▼磐梯山「空海と怪物夫婦
【本文】
ちょっと言葉は古いですが、♪
笹に黄金がなりさがる…と歌われ
る福島県の会津磐梯山(1819m)。
この山は福島県の苗代町・磐梯町
・北塩原村にまたがり、何度もの大
爆発をくりかえし、いまのような形
になったといいます。数多く爆発し
たなかでも1888年(明治21)の爆
発は、かつてないほどの規模。檜原
湖、秋元湖、小野川湖の磐梯三湖は
じめ、大小200もの湿地や湖ができ
たのは、この時の噴火のせいだった
そうです。
山名の磐梯(ばんだい)とは岩
(磐)のハシゴ(梯)だといいま
す。それも天に達するような磐梯
(いわばしご)の意味だそうです。
天に達するとは大げさですが、こ
の山は平安時代初期(大同元・806
年)の爆発以前はいまよりずっと
標高があったらしい。
東西の稜線から山頂までの標高
を計算すると、だいたい2200m位
はあっただろうとされています。
当時、2200mはやはり天に達する
高さだったでしょうね。また見る
方角によっては「富士山」の形に
見えるといので「会津富士」とも
いい、會津嶺(あいづね)との別
名もあります。
磐梯山も展望がよく、山頂から
は360度の景色が望めます。東を
見れば、安達太良(あだたら)連
峰、阿武隈(あぶくま)の山々が、
南には猪苗代湖や那須連峰、日光
連山、そして時には富士山も見ら
れるといいます。さらに西方は遠
くに飯豊(いいで)連峰・南会津
の山々、近くは猫魔ヶ岳(ねこま
がたけ)。北を望めば遠く朝日連峰
・月山・鳥海山、眼下には裏磐梯
の湖沼群が指呼のうちです。
【▼山頂の祠】
かつては山頂に磐梯(いわはし)
神社が建っていたといいます。い
ま山頂には大きなケルンのような
石が積まれ、その上に皇高天原命
と書かれた石祠があります。その
下に、もとからその土地の神(地
主神)である「磐梯明神」の石碑
が石の間にまつられ風雨にさらさ
れています。またこの石の下にな
ってしまったのか、三角点が60年
もの間行方不明になっていました。
いまある三角点は、2010年(平成
22)に新しく設置したものだそう
です。
磐梯山も高山植物が咲き乱れま
す。磐梯山にしか生育しないバン
ダイクワガタ、ウスユキソウ、ミ
ヤマキンバイ、ミヤマシャジン、
イワインチン、またハクサンチド
リ、エゾオヤマリンドウ、ヤマハ
タザオなどの花が見られます。
【▼雪形】
この山にも雪形ができます。4
月中旬、表磐梯からは虚無僧(こ
むそう)の雪形があらわれ、また
その下にヘビの雪形も出ます。さ
らに頂上東側斜面には、鉤(かぎ)
の雪形があらわれるといいます。
虚無僧の雪形は、天蓋(てんがい
・編み笠)に長着物姿で、尺八ま
で持っています。ヘビの雪形の尾
は、磐梯町竜ヶ沢湧水あたりまで
伸びているといいますから長く垂
れ下がっています。また南方から
は、虚無僧姿でなく牛に見えるそ
うです。そのため「牛雪」と呼ばれ
ているそうです。
この雪形がはっきりと見えるよ
うになると、ふもとでは苗代(な
わしろ)に種をまいて、農作業を
進めるのだそうです。湖南地方で
も虚無僧の雪形の様子をを見て種
籾をまくといいます。しかし、天
候が不順で、4月下旬になっても
形がはっきりせず、山肌が一面に
真っ白なときは1週間ほど作業を
遅らせるといいます。無理にまい
ても低温で「苗くされ」になると
いうのです(『猪苗代湖南民俗誌』
・『東北の山岳信仰』)。
【▼弘法大師】
そもそも磐梯山は、平安時代初
期には火山活動が活発で、噴火の
際の岩屑物などの爆発被害で、農
作物の不作がつづきました。山ろ
くの村では困り果て、磐梯山を病
脳山(やまうさん)と呼んだそう
です。そこへ弘法大師空海がやっ
てきて、民心の安定と五穀豊穣を
祈願しました。
福島県磐梯町にある「奥州会津
恵日寺(慧日寺)縁起」にも、「磐
梯山、もとは病脳山(やまうさん)
とて魔魅(まみ)住み居て常に祟
りをなし農産物を害せり。のみな
らず山麓に民家あまたありしに大
同元年(806・平安初期)、大爆発
を起こさせ月輪荘、更科荘が一夜
に湖に化し、溺死者数知れず。
この災害を聞きて空海この地に
来たりて、八田野稲荷の森にて秘
法を行せしにより、魔魅は別峰烏
帽子岳に逃げ去りぬ。この時山神、
形を現しければ空海これを祝いて
磐梯明神と称し、舞楽を奏して明
神と名づく」とあります(『新編会
津風土記』による)。
【▼伝説@・手長足長】
そんな記述からこんな伝説が残
っています。その昔、病脳山(磐
梯山)と明神ヶ岳(1074m・柳津
町と会津美里町(旧会津高田
町)?)とに両足を踏ん張って立
つような怪物「足長」と、猪苗代
湖の水を手ですくって会津中にば
らまく「手長」という夫婦の怪物
がすんでいました。
この怪物は、いたずら好きの乱
暴者で、雲を呼んでは会津一帯を
真っ暗にし嵐を起こすわ、作物を
荒らすわで、村人は困り果ててい
ました。そんなとき弘法大師空海
がやってきました。大師は村人の
話を聞き、「それはお困りであろう。
ひとつ拙僧が何とかして差し上げ
よう」と、病脳山の頂上に登って
怪物夫婦に会って問答をしたとい
います。
大師は手長足長に向かい、「お前
たちは何でもできると威張ってい
るようだが大きくなることができ
るか」といいいました。怪物夫婦
はあざ笑い、「なにお、それしき」
とばかり、見る間に天まで届く大
きさになりました。それを見た大
師は「大きくはなれるが、わしの
手の平に乗るような小さくはなれ
まい」。「何をいう。俺たちに出来
ぬことはない」手長足長は、みる
みる小さくなって大師の手に乗り
ました。
大師はすかさず用意していた石
の箱に入れふたをして、呪文を唱
え出られなくしてしまいました。
「お前たちは、いままでさんざん
悪いことをしてきた。本来なら許
せぬが、み仏に免じて神として磐
梯の山中にまつってやる。これか
らは、人々のために尽くすのだぞ」
と、石の箱を山頂に埋め、磐梯明
神として祭ったといいます(『日本伝
説大系』)。
人々のために何を尽くしたのか
は知りませんが、いまでも磐梯山
頂に積まれた岩の間に、磐梯明神
の石碑が埋められています。空海
に救われた村人は、山名を磐梯山
と改名。山頂の肩にある弘法清水
と空海の大使像は、この伝説がも
とになっているそうです。やがて
空海は山ろく(いまの福島県磐梯
町)に恵日寺を建て、山号を磐梯
山としたという。空海がこの寺に
とどまること3年、大同5年(平
安時代)、徳一に寺を継がせて京に
帰った(「奥州会津恵日寺縁起」)
とあります。
しかしこれについては何の証拠
も残っていないというのです。実
際は、徳一上人が磐梯山爆発のた
めに受けた災害鎮護のため、恵日
寺を建て、山の神、磐梯明神を鎮
守としたものだろうということに
なっています。
何の証拠もないどころか、話の
もとになっている「奥州会津恵日
寺縁起」は、恵日寺が真言宗に属
するようになってからつくったも
のというから困ります。だいいち、
猪苗代湖がつくられたのは何万年
も前のことで、大同元年(806・平
安初期)の噴火でできたのではない
そうです。また「空海」と「徳一」
は、あとを継がせるような仲ではな
いといいます。
それどころか「徳一」は、「空海」
の真言宗の狭義について十一の疑問
をあげた「真言宗未決文」を著して
空海と対決しています。さらに磐梯
山に薬師三尊を安置し、磐梯明神を
まつり鎮守とし、「病脳山(やもう
さん)」を「磐梯山」に改名したと
の伝承も怪しいといいます。それよ
り弘法大師空海が会津に来たという
史実がないときたもんだ。これでは
何を信用していいのか分からなくな
ってしまいます。
【▼伝説A・爆発を予知した男】
この山にはこんな伝説もありま
す。平安初期噴火以来、11世紀も
眠りつづけてきた福島県の磐梯山
が、1888年(明治21)、に突然爆発
しました。その結果、いまの馬蹄
形カルデラができたことは有名で
すよね。ところが、この爆発を予
知した男がいるというのです。
爆発当日の明治21(1888)年7
月15日、磐梯山の温泉で湯治を楽
しんでいる人たちがいました。し
かしその中の1人の男が夕べから
何か考え込んでいます。そして「何
か胸騒ぎがする。あしたの朝早く
山を下りると」いうのです。翌朝、
男は仲間が「せっかくきたのに」
と、とめるのも聞かず家に帰って
いきました。
ふだんから奇行が目立つため、
ほかの人たちは「またいつものく
せがはじまった」と気にもとめま
せんでした。が、その後朝飯を炊
いていると、山の鳥やキツネ、ウ
サギがふもとに向かって一斉に動
きはじめたのです。不安になった
一行は急きょ山を下りることにし
ました。いまのJR磐越西線翁島
駅近くまできたころ、大音響とと
もに小磐梯山が吹っ飛び、北ろく
の集落は埋没し、461人もの死者を
出してしまいました。
その結果、岩屑流で裏磐梯にた
くさんの沼や湖ができていました。
あとになって仲間たちはその男に
「お前のおかげで助かった」と涙
を流して喜び合ったということで
す。この地震を予知した男は、福
島県湖南の秋山(いまの郡山市福
良)に住む遠藤幾太郎という人だ
ったそうです。幾太郎はよく「稲
荷の神憑(つ)き」になる人だっ
たとありますが、なんとも不思議
な話ですね。
ある年の10月、磐梯山は紅葉が
まっ盛り。裏磐梯五色沼近くのキ
ャンプ場にテントを張りっぱなし
にして、五色の沼の色をめでなが
らスキー場から磐梯山に登りまし
た。茶色になって白煙をはき、キ
ツイ硫黄の臭いを嗅ぎながら、登
山道わきの赤く熟したアキグミを
摘んで口に運びます。中ノ湯あた
りから地元中学生の集団登山と出
くわしました。
ワイワイガヤガヤ、歩いている
登山道のを子どもたちが追い抜い
てうっとうしい。弘法清水小屋前
はそのほかの登山者も混じってそ
れこそ芋を洗うようです。それか
らは道も一段と細くなり、押すな
押すなのにぎやかさになってしま
いました。山頂へ登る階段は順番
待ちの列。足長どころか「くび長」
になるありさまでした。
▼磐梯山【データ】
★【所在地】
・福島県耶麻郡猪苗代町と福島県耶麻
郡磐梯町、福島県耶麻郡北塩原村との
境。磐越西線猪苗代駅の北西7キロ。
JR磐越西線猪苗代駅からバス、磐梯
高原駅から歩いて4時間20分で会津磐
梯山。三等三角点(1818.6m)と皇高
天原命の石碑、磐梯明神の石碑がある。
地形図に山名との標高の記載あり。三
角点より北方向450mに弘法の清水と
弘法清水小屋がある。
★【位置】(国土地理院「電子国土ポ
ータルWebシステム」から検索)
・三角点:北緯37度36分03.49秒、東
経140度04分20.06秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「磐梯山(福
島)」
【山行】
・某年10月19日(土・晴れ)
▼【参考文献】1122号
・『角川日本地名大辞典7・福島県』
小林清治ほか編(角川書店)1981年(昭
和56)
・『山岳宗教史研究叢書・16』(修験
道の伝承文化)五記重編 (名著出版)
1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカ
ニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編会津風土記』:大日本地誌大
系(第31)『新会津風土記2』(雄山
閣)1932年(昭和7)
・『東北の山岳信仰』岩崎敏夫(岩崎
美術社)1996年(平成8)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄
ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎
日新聞社)1997年(平成9)
・『日本伝説大系第三巻・南奥羽・越
後編』(山形・福島・新潟)野村純一
ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系・7』(福島県
の地名)(平凡社)1993年(平成5)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちは
や)(河出書房新社)2004年(平成16)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学
習研究社)1981年(昭和56)
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