山旅通信【ひとり画ッ展】1182号
『日本百名山』の伝説と神話
(山の神・伝説神話)
本文のページ(02)
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▼日本百名山(082番)「塩見岳」
「塩の話と三人の山伏峠」

パソコンお方は
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(長文です。ご興味ある部分を拾
い読みしてください)

【目次】

・標高かさ上げ伝説
・宗良親王伝説
・虚空蔵山伝説
・雪の夜の女伝説
・阿部清明の祈祷柱伝説
・鹿塩の七不思議
・三伏峠の三正坊伝説
・塩見岳データ
・参考文献

▼【本文】
 塩見岳は南アルプスのまん
中あたりにあり、長野県伊那
市と静岡県静岡市との境にあ
る山。東峰(3052m)と西
峰(3047m)のふたつに分
かれ、東峰が少し高いですが
頂上は西峰で、二等三角点が
あります。またこの山は大井
川(静岡県)と天竜川(長野
県)の源流になっています。

 山名は塩見岳のほか、赤石
間ノ岳、荒川岳、椎ノ岳(静
岡県側)、鹿塩の岳などとも
呼ばれました。なかでも赤石
間ノ岳は、明治時代、登山家
で文芸批評家の小島烏水(こ
じまうすい)が、ずっと南方
にある荒川岳、赤石岳を縦走
し、遠くに見える塩見岳を「間
ノ岳」と発表しました。しか
し白峰三山にも「間ノ岳」が
あります。

 そこで赤石岳方面から見た
間ノ岳を「赤石山脈の間ノ岳」
(赤石間ノ岳)、白峰三山の
間ノ岳を「白峰山脈の間ノ岳」
と呼び区別したといいます。
ところが長野県側から見ると
塩見岳は、地元の伊那市を流
れる三峰川(みぶがわ)の支
流荒川の源頭にあり、「荒川
岳」と呼んでいました。

 荒川岳といえば荒川三山の
東岳(荒川岳)があります。
これでまたまたこんがらがっ
てしまいます。それどころか、
合わせると荒川五山になってし
まいます。

 こりゃダメだというので、大
正初年(1912)、荒川岳と呼ぶ
のをやめて、「塩見岳」と呼ぶ
ことにしました。それ以降やっ
と人々に塩見岳の名が浸透した
ということです。いまでも塩見
岳の北に「北荒川岳」という名
があるのはその時代の名残との
ことです。

 塩見岳の名の由来にはいく
つもあるようです。(1:山
ろくに製塩所があった。西ろ
くの鹿塩集落には塩鹿(しお
じし)、塩原、大塩、塩中、
塩沢など塩のつく地区が多く
あるように、これらの集落の
地下水には塩分が含まれ、古
くから塩の産地でした。明治
時代には本格的な製塩施設が
つくられ、鹿塩産の塩が各地
に出荷されるほど盛んでし
た。そんなことからこの山の
山頂から製塩所が望めたのが
山名の由来といいます。

 その(2は、塩見岳山頂か
ら太平洋が見えるため、汐の
見える山という意味とか。『日
本百名山』には海が見えない
とありますが「冬の空気の澄
んだ日、山頂から確かに見た」
という人もいます。また村人
が塩がなくて困っていると
き、弘法大師がこの山に登り、
頂上から海を見て、塩を谷に
呼んだという説もあありま
す。また弘法大師が、杖にし
ていた銀杏の枝で土を掘る
と、そこから塩水が吹き出し
たとも伝えられています。

 その(3の伝説は、大黒さ
まともいわれる大己貴命(お
おなむちのみこと)の子供で
諏訪湖諏訪大社にまつられて
いる建御名方命(たけみなか
たのみこと・諏訪明神)とい
う神さまがいます。この神が
塩見岳のふもとの鹿塩地区の
谷で塩を見つけたのだそうで
す。その谷の源にある山なの
で、塩見岳と名づけたという
のに由来しています。

 この明神(建御名方命)は、
『古事記』上つ記・国譲りの
項で、建御雷(たけみかづち)
の神に追いかけられ、諏訪湖
まで逃げてきましたが、つい
に降参した神。この神が大鹿
村にやってきて、鹿塩の谷で
塩を見つけたのだといいます
(『角川日本地名大辞典20・
長野県』)。しかしその山は、
三伏峠と塩見岳の中間にある
本谷山のことらしく、塩見岳
は塩川の谷からは見えないと
いうから困ります。

 それとはちょっと違う話が
あります。昔、伊那谷の人々
は塩が不足して苦しんでいま
した。それを見た諏訪明神(建
御名方命)は不憫に思い、あ
る日間ノ岳(塩見岳のこと)
に登って、塩の出そうなとこ
ろを探してふもとを見渡して
いると、伊那里村(いなさと
むら・いまの伊那市長谷)と、
大鹿(おおじか)村のあたり
に、塩がふき出ているところ
があるのに目がとまりまし
た。明神はそのことを村人に
教えたので、塩水が汲み上げ
られました

 それからは間ノ岳と呼んで
いた山を「塩見岳」と改め、
伊那里村には「鹿平」が、大
鹿村には「岩塩泉」(いわし
おいずみ)と呼ばれる地名が
ができました。建御名方命は
大鹿村にしばらく足をとめて
いましたが、ある日裏山で大
鹿を一頭しとめてきました。
それを汲み上げた塩で調理
し、ふるまったので里人は大
喜び、この地を鹿塩(しかし
お)と呼ぶようになりました。

 鹿塩の住民はそのお礼に、
神をまつってある諏訪湖の諏
訪明神に塩漬けした鹿の頭を
献上しました。実際、最近ま
で鹿塩の住民は、長野県上諏
訪にある諏訪明神の祭典に
は、塩漬けにした鹿の頭を献
上していたということです。

★【標高かさ上げ伝説】
 塩見岳にはこんな話もあり
ます。いつのころだったか、
2,3人の外国人が、強力と
ともに塩見岳に登りました。
そして「この山は1万尺に3
尺足りない。なんとか一万尺
にしてやろう」と、一緒にい
た強力と力を合わせて、土や
岩石をかき集め3尺盛り上げ
一万尺にしたといいます。い
ま塩見岳の標高は3047.3m
ですが、そのころの測量では
1万尺(3,030m)に3尺足
りない、9997尺(3029,091m)
だったのでしょうか。(『山
の伝説・日本アルプス編』)。

★【宗良親王伝説】
 また大鹿村の大河原地区
は、南北朝時代、南朝の親王
だった宗良(むねなが)親王
が、臣下たちと南朝再興を願
って30年間隠れ住んでいた
ところでもあります。親王は
時々赤石岳山頂に登り、南朝
の再興を祈ったといいます。
小赤石岳の北にある「大小寺
平」という地名は、宗良親王
にちなんだものだそうです。
大鹿村には親王の「御所平」
という地名もあり、そこには
宗良親王御所跡の史跡もあり
ます。

★【虚空蔵山伝説】
 こちらは妖怪伝説です。塩
見岳の山すその虚空蔵山城
は、戦国時代武田信玄の家来
・多田三八(三八郎)という
武士が守っていたそうです。
三八はたいした怪力で、西方
上杉の陣に備えていました。
ある風雨のはげしい夜、あた
りが騒々しく何となく敵の気
配がするため、物見台に登ろ
うとしました。すると突然、
闇の中から三八の髪の毛をつ
かんで空中に引き上げようと
するものがいます。

 多田三八はとっさに腰の刀
を抜くと同時に、くせ者の手
を切り落としました。すると
風雨で荒れていた雲が不思議
に切れ、月が顔を出しました。
三八が月明かりであたりを見
渡すと、庭先に鷲の足のよう
な手が、血に染まったまま虚
空をつかんで落ちていまし
た。このことを伝え聞いた上
杉方の陣では、「三八が鬼を
切った」と、その武勇を褒め
そやしたということです。三
八が退治した怪物は「クハジ
ャ」というものだそうです。

 この「クハジャ」とは火車
のことで、地元の地誌『甲斐
国志』にも地獄の妖怪・火車
鬼の名で登場しています。一
説に葬式や墓場から遺体を奪
う妖怪で、年老いた猫が変化
した猫又(ねこまた)が正体
という人もいるそうです。

★【雪の夜の女伝説】
 もうひとつ。塩見岳山ろく
に鹿塩山(しかしおやま)と
いう所があるそうです。この
付近には雪が積もった深夜、
山道に女があらわれるといい
ます。白い手ぬぐいをかぶり、
雪より白い肌、真紅な唇、つ
ぶらな瞳、紫の着物を着た美
女。人が歩いてくると、女は
その先になって歩いて行くと
いうのです。

 村が近くなり家の灯りが見
えはじめると、女は立ち止ま
ってふり返り、にこっと笑い
かけると姿を消します。里人
たちははじめのうちは恐ろし
がっていましたが、次第に馴
れて、女の姿見えないと寂し
くなってくるようになりまし
た。ある激しい吹雪の朝、村
の若者が風雪にたたかれなが
ら歩いていると、雪の積もっ
た中に妙なものが転がってい
ました。大きな狐でした。そ
の時から雪の夜に出現するあ
の美しい女は見えなくなって
しまったということです。

★【阿部清明の祈祷柱伝説】
 塩見岳の山ろくには、昔、
阿部清明も訪れていたようで
す。大鹿村鹿塩大字沢井地区
の(宮下の)家には、「阿部
清明の火除け柱」というもの
があります。かつて清明がこ
の地を通行した時、激しいオ
コリに悩まされ、付近の農家
が手厚く看護をしてくれまし
た。清明は感謝のお礼に、普
請中のこの屋の柱へ「火難除
けの祈祷」を封じ込みました。
それ以来この家は絶対に火事
にあわないといいます。近郊
の人々は思い思いにこの柱を
切り分けてもらい、火難除け
のお守りにしているそうで
す。

★【鹿塩の七不思議】
 大鹿村鹿塩には「七不思議」
もあります。・(1【夜泣き
松】南北朝時代、鹿塩の駿木
城主児島高春の息女美祢姫
(みねひめ)が、宗良親王に
仕えて一女を生みました。実
家の駿木城に帰って育ててい
ましたが、夜泣きがひどく姫
もほとほと困っていました。
それを聞いた村人が、むらの
観音堂に祈ると観音さまが夢
枕に立ち、観音堂の前にある
松の小枝を赤子の枕元に供え
よとのお告げがありました。
これが効験あらたかなことか
ら、いごこの松は「夜泣き松」
と呼ばれるようなりました。
この松は、赤松で樹高15m、
周囲4.6m、樹齢約700年の
ものだそうです。

 ・(2【八っ鹿】その昔、
猟師が山中に8頭の鹿の群れ
を見つけました。猟師はその
中の1頭をしとめ、家に帰り
ました。翌日猟師がまたその
あたりに行くと、やはり鹿が
8頭で群れています。また翌
日そこへ行くと、また鹿が8
頭で群れています。その翌日
またその翌日と、いつ行って
もその鹿の群れは8頭で、い
くら仕留めても数が減らなか
ったということです。

 ・(3【大池の膳椀】鹿塩
の篠山地区にある大池には
「椀貸し伝説」があるという
ことです。村で客寄せの時、
前夜必要な数の膳や椀を頼ん
でおくと、次の朝、行ってみ
ると池のほとりに、朱塗りの
膳碗がちゃんと揃ってならん
でいるといいます。用が済む
と礼をいって元のところへ返
します。村人は冠婚葬祭の時
などにはこれを利用していま
した。

 ある時、借りたお椀をひと
つ誤って壊してしまいまし
た。数が足らなくなり、池に
返すこともできず、そのまま
にしてしまった時がありまし
た。それからというもの、い
くら頼んでも大池は、膳や椀
を貸してはくれなくなってし
まったということです。

 ・(4【塩の湯】:有名な
塩の湯は諏訪明神(建御名方
神)や、弘法大師の発見が元
になっているとことになって
います。いまも塩の泉は尽き
ることなく、こんこんと湧き
出ているそうです。・(5【逆
さ銀杏】:同じく鹿塩大字沢
井入地区に「逆さ銀杏」とい
う乳の出がよくなるという古
木があります。昔弘法大師が
まだ若いころこの地に来て、
塩の出るところを見つけ、持
っていた銀杏の杖で塩の井戸
を掘りました。その杖が地面
に刺したところ抜けなくなり
根づいてしまいました。

 大きくなった銀杏の木は、
幹や枝にいくつもの乳房のよ
うなものが垂れ下がり、その
皮を煎じて飲んだ女性は乳の
出がよくなるといわれ、乳の
出が悪い婦人は争うようにこ
の皮を持って帰るそうです。
その銀杏の木は、樹高12m、
周囲8.3m、樹齢約900mで、
昭和50年(1975)に大鹿村
の天然記念物に指定されてい
ます。

 ・(6【灰汁なしわらび】
:このあたりに生えるワラビ
は灰汁(あく)を抜かず、そ
のまま似て食べられるという
不思議。・F【猫のノミ】:
この谷の猫にはノミがいない
といいます。ここで生まれた
猫の子は、どこへ貰われて行
ってもノミがつかないといい
ます。ただノミがつかないの
は、貰われて行ったその猫一
代というから不思議です。

★【三伏峠の三正坊伝説】
 塩見岳から荒川岳、赤石岳
方面へ縦走するには、一旦三
伏峠に下らなければなりませ
ん。ここは日本で最も標高の
高い峠。このふもと大鹿村御
所平の南方、釜沢温泉付近に
ある「三正坊」という祠があ
り、つむじ曲がりの山神の伝
説があります。この祠には「鼻
高天狗」、「口高天狗」のふ
たつのお面が飾られていまし
た。これでわかるように三正
坊の正体は天狗だといいま
す。

 この天狗は不浄を嫌う気む
ずかしい性格でした。ある年、
三正坊の祠の屋根を葺き替え
た時、三正坊天狗を仮り宮に
移し、屋根のふきかえも終わ
ったので、三正坊を元の祠へ
戻っていただこうと、神主が
祝詞(のりと)をあげました。
しかし祝詞がなかなか終わり
ません。

 しびれを切らした村の若者
たちが祝詞がまだ終わらない
うちに、落成祝いの打ち上げ
花火に点火しようとしまし
た。しかし、一向に火がつき
ません。ところが祝詞が終わ
ったとたん、突然花火に点火
し打ち上がり、山深い里に轟
音が響きました。これは硝煙
が嫌いな三正坊が祝詞が終わ
るまで花火を上げさせなかっ
たのだと、いまでも里人たち
は信じているそうです。

 こんなありさまですから、
三正坊天狗は硝煙を使う猟師
の鉄砲も大嫌いです。猟師た
ちは鉄砲を担いだ時は、決し
て祠の前を通りません。まし
て獲物の獣をしとめた時など
すぐにわが家に帰ることなど
許されませんでした。

 猟師たちは屋外で湯を沸か
し、口すすぎなど身を浄めて
から家の中に入ったのだそう
です。そのほか女性の生理日
には、釜沢地区の婦人は一間
に入って、別の火で炊事をし
たということです。この習慣
は明治30年(1897)ごろま
でつづいたということです。


▼塩見岳【データ】
★【所在地】
・静岡県静岡市と長野県伊那
市との境。JR飯田線伊那大
島駅からバス、塩川から歩い
て8時間で塩見岳。二等三角
点(3046.9m)がある。地形
図に山名と三角点の標高の記
載あり。北西の肩に塩見小屋
があり2766mの標高点があ
る。

★【地図】
・2万5千分の1地形図「塩
見岳(甲府)」



▼【参考文献】
・『吾妻鏡』巻六:岩波文庫
「吾妻鏡」(二)龍(りょう)
粛(すすむ)訳注(岩波書店)
1997年(平成9)
・『角川日本地名大辞典20・
長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典22・
静岡県』小和田哲男ほか編(角
川書店)1982年(昭和57)
・『古事記』:新潮日本古典
集成・27『古事記』校注・西
宮一民(新潮社版)2005年
(平成17)
・『コンサイス日本山名辞典』
(三省堂)1979年(昭和54)
・『信濃奇談」堀内元鎧(が
い)?著:(「日本庶民生活
史料集成16・奇談奇聞」(鈴
木棠三ほか編)編集委員代表
・谷川健一(三一書房)
・『信州山岳百科2』(信濃
毎日新聞社編)1983年(昭
和58)
・『信州百峠・改訂普及版」
井出孫六・市川健夫監修(郷
土出版社)1995年(平成7)
・『新日本山岳誌』日本山岳
会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山岳風土記2・中央
・南アルプス』(宝文館)1960
年(昭和35)
・『日本山名事典』徳久球雄
ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』
村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山」毎日新聞
社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本の地名 岩波新書」
谷川健一(岩波書店)2006
年(平成18)
・『日本百名山』深田久弥(新
潮社)1970年(昭和45)
・『山DAS」石井光三(白
山書房)1997年(平成9)
・『山の伝説・日本アルプス
編』(青木純二)(丁未出版)
1930年(昭和5)


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