山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼991号「富士周辺・長者ヶ岳と天子ヶ岳のヨウラクツツジ」

【前文】

富士山の西側・田貫湖わきに天子山地があり、北に長者ヶ岳、そ
の南に天子ヶ岳が連なっています。長者ヶ岳は、山ろくの田貫湖の
別称である長者池や、炭焼長者の伝説にちなむ山名だそうです。ふ
たつの山名の由来は、山ろくに伝わる炭焼長者伝説によるとされて
います。天子ヶ岳には、伝説にからむヨウラク(瓔珞)ツツジが見
られる。
・静岡県富士宮市、芝川町、山梨県南部町の境。

▼991号「富士周辺・長者ヶ岳と天子ヶ岳のヨウラクツツジ」

【本文】

富士山の西方田貫湖わきに天子山地があり、北に長者ヶ岳、その
南に天子ヶ岳が連なっています。長者ヶ岳は、山ろくの田貫湖の別
称である長者池や、炭焼長者の伝説にちなむ山名だそうです。また
天子ヶ岳は、別称天守ヶ岳、きりう山というそうです。

南の方から見ると山の姿が天守閣に似ているので「天守ヶ岳」とい
い、それが天子ヶ岳に転化したとの説もあります。この山はユキザ
サ、エンレイソウ、バイケイソウ、モミジガサなども多くあります。

標高900mくらいから上部は自然林で、伝説にからむヨウラク(瓔
珞)ツツジ(サラサドウダン)やシロヤシオ(ゴヨウツツジ)など
のツツジ類が多く見られます。

山頂からの眺望は、長者ヶ岳では、富士山側がよく見え、正面から
大沢崩れを見られます。天子ヶ岳の方は高い木が多く展望はよくあ
りません。山頂から少し南に下ったところに石祠があります。

長者ヶ岳・天子ヶ岳のふたつの山名の由来は、山ろくに伝わる炭焼
長者伝説によるとされています。静岡県の『芝川町誌』に、柚子野
村(ゆのむら)(いまの富士宮市西部)の住人の炭焼き松五郎はよ
く働き、年中暇なしでした。松五郎の生まれ故郷は甲州の明日見(あ
すみ)村(いまの富士吉田市大明見、小明見・月江寺駅の東方)
でした。

松五郎の炭焼きかまどから出る煙は空高くまでたなびき、遠くから
でも見えました。その当時、京に住んでいた某(なにがし)の皇女
様は、東の空に立ちのぼる煙を見て不思議に思いました。

有名な陰陽師に占ってもらったところ、その皇女の婿になる人の知
らせであるとのこと。縁遠かった皇女は早速、京から大勢の家来を
連れて、はるばる柚野の里に訪ねてきました。

松五郎の家を訪ねてみると、ちょうど松五郎は故郷の明日見村に行
っているという。留守居の人が「明日見にござらっしゃった」とい
う。「なに、明日もう一度訪ねてこいだとッ」。

家来は腹を立てましたが、皇女様は、その見識が頼もしいと思い、
家を去りました。その次の日も松五郎の家を訪ねましたが、同じ答
えでした。留守居の人がいったのは「明日見(村に)にござらっし
ゃった」という意味だったのです。

3日目にやっと本人に会え、皇女は贈り物として小判を2枚渡しま
した。松五郎は、そんな大事なものも知らず、無造作に懐に入れて
付近を案内しだしました。大きな池のほとりにきました。この池は
長者が池といい、2羽の鶴が楽しくたわむれていました。

松五郎は、その鶴に向かって小判を投げつけたのです。それを見た
皇女はその無欲さにいたく感心。松五郎はその皇女の婿になったの
でした。2羽の鶴は、小判をいただいたまま、人穴地区の北の大沼
へ飛んでいきました。いまでもこの大沼には、小判形をしたアシが
生えているということです。

皇女は、幸せに暮らしていましたが、ふとしたことから病気になり、
松五郎の懸命の看病も空しく病は重くなるばかり。ある日皇女は松
五郎に「私が死んだら、この冠を京都が見えるような高い山の頂上
に埋めてください」と言い残して亡くなりました。病気になってか
ら7日目、48歳でした。

松五郎は、すぐ近くの一番高い山の頂上に、その冠を埋めました。
この山を天子ヶ岳といいます。翌年、冠を埋めたところから、2本
の芽が出てきて美しい花をつけました。里人は、これを瓔珞躑躅(ヨ
ウラクツツジ)と呼びました。

このツツジの枝を折ると大嵐がくるとされ、里人は恐れていまなお、
このツツジを折ることはしないそうです。このツツジは雨乞いの神
木とされていたという。これには類話があり、炭焼の名を藤次郎と
か長次郎としています。

また、別の筋の類話もあります。『嶽南史』(鈴木覚馬著)に、「富
士郡芝川町−世に伝ふ、田貫次郎に一女あり延菊といふ。容姿鮮妍
(せんけん・あざやかでうるわしい)にして、一笑百美を生ず。信
濃宮の田貫に至らせ給ふや、次郎命じて宮の左右に奉仕せしむ。

其後、信濃宮は田貫を出で、上野国に赴かせ給ふ途、富士の大河原
に至り、士兵の簇(そう・群がり)起こりて途を塞ぐに遭ひ、終に
戦死し給ふを聞き、十二郷の民等深く其の薨去(こうきょ)を悲し
み、祠を天子ヶ岳の頂に営み、厚く其の英霊を奉祀せしが、延菊も
亦これを聞き、悲嘆措(お)く能(お)はず(せずにはおれない)、
終(つ)いに寝食を廃するに至りぬ。

延菊は、親族の形見に慰め止むるに、耳をも貸さず、思ひはいとど
まさりけむ、一夜家人の隙をうかがひ、頭に冠を戴き、手に瓔珞(よ
うらく)を捧げて殉死しければ、郷人深く之を哀み、其の屍を収め
て、天子ヶ岳に合葬しけり。

然るに其の明年、其の墓前に一株の躑躅生じ、見も知らぬ美しき花
咲きければ郷人等怪しみ見るに、其形恰も瑶珞の如くなり因って郷
人等、延菊の霊の化するものとし、称して瓔珞(ようらく)躑躅の
名、已に其異を伝ふるに足るに、此の躑躅また、人苟(いやしく)
もその枝を折るものあれば、晴天にも忽ち黒雲を生じ、沛然(はい
ぜん)(雨が勢いよく降るさま)として大雨を降すより、人また崇
(たっと)みて雨乞神とし、長(とこし)へに崇敬して措(※お)
かずといふ」と出てきます。読みづらい長文でスミマセン。

ちなみにヨウラクツツジは花の咲く姿が、仏像の飾りなどに使う瓔
珞(ようらく)に似ていることにちなむ」という。ヨウラクツツジ
はツリガネツツジ類とも呼ばれる落葉低木で、美しい花をつけるの
に、一般にはあまり知られていない。北アメリカに3種、日本に7
〜8種が分布しているそうです。

▼長者ヶ岳【データ】
【所在地】
・静岡県富士宮市、富士郡芝川町との境。JR身延線甲斐大島駅
の東8キロ。JR東海道本線富士宮駅からバス、田貫湖停留所下車、
さらに歩いて2時間で長者ヶ岳。

【位置】
・長者ヶ岳三等三角点:北緯35度20分28.56秒、東経138度32
分4.92秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:人穴

▼天子ヶ岳【データ】
【所在地】
・静岡県富士宮市、富士郡芝川町、山梨県南巨摩郡南部町の境界
をなす天子山地に位置する。JR身延線甲斐大島駅の東8キロ。

【位置】国土地理院「電子国土 分ポータルWebシステム」から
・天子ヶ岳標高点:北緯35度19分44.97秒、東経138度32分
12.23秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:上井出

▼【参考文献】
・『嶽南史』(全5巻)鈴木覚馬(かくま)著(大正14年(1925)
完成)第二巻書引郷土文献:古代より江戸中期までの静岡県にか
かわる歴史上での出来事や口碑伝承を収録:『嶽南史』復刻版(名
著出版)1973年(昭和48):『嶽南史』(全5巻)鈴木覚馬(かく
ま)著嶽南史刊行会(大空社)1998年(平成10)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』竹内理三編(角川書店)1991年
(平成3)
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編(角川書店)
1982年(昭和57)
・『植物の世界6巻・63号』(週刊朝日百科)(朝日新聞社)1995年
(平成7)。
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説大系7・中部』(長野・静岡・愛知・岐阜)岡部由文ほ
か(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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