山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼983号「東京奥多摩・芋木ノドッケ」

【序文】
140字
奥多摩長沢背稜にある「芋木ノドッケ」という山は、登山用地図
には芋木ノドッケと芋ノ木ドッケの文字がならんでいます。イモ
ギとイモノキ、どっちでしょうか。秩父三峰方面の古老は、いま
もイモギと発音しており、コシアブラの異名のイモギが多く生えて
いる突起(尖峰)の意味らしい。
・東京都奥多摩町と埼玉県秩父市との境
(本文は下記にあります)

▼983号「東京奥多摩・芋木ノドッケ」

【本文】

奥多摩雲取山から長沢山、酉谷山方面の長沢背稜に入ると最初に「芋
木ノドッケ」という山があります。国土地理院発行の2万5千分
の1地形図「雲取山」には、「芋木ノドッケ」、登山用地図には芋
木ノドッケと芋ノ木ドッケがならんでいます。「ドッケ」はトッキ、
トッケ(突起、尖峰)からきている名前。

しかし、この「イモギ」か、「イモノキ」が問題で、昔から議論の
もとになっているそうです。明治時代のの本『多摩郡村誌』(「多
摩郡の山川」)にはイモギとなっており、それをもとに書いた『武
蔵通(誌)山岳編』も、もちろんイモギと記載されています。し
かし、秩父地方ではイモノキというそうです。

ちなみに『多摩郡村誌』は、明治11(1878)年、斉藤真指(まさ
し・幕末-明治時代の歴史家で、高水三山にある青渭(あおい)神社
神職)の編集編纂の書。また『武蔵通(誌)山岳編』は、地理学
者の河田羆(たけし)が、1894-1895(明治27〜28)ごろに著し
た私撰地誌だそうです。

さて、イモギと呼ばれる木とはなんの木か。イモノキはどんな木
なのでしょうか。この問題について、『奥多摩』の著者宮内敏雄氏
は、明治時代の登山家の木暮理太郎氏から聞いた話として同書に述
べています。ちょっと長いですが転載させて戴きました。

「…イモギとイモノキ、どちらにしようかと実は小生も迷って居り
ました。イモノキは「武蔵通志」で初めて知ったのですが、其後「郡
村誌」を見ましたらイモギとなってゐます。「武蔵通志」は「郡村
誌」を基として書いたものですが、河田氏のことですから無論無条
件に取り入れたものではあるまいと思ひます。

しかし原本にしたがってイモギとした方がよいと思ひ、…(中略)
…。イモギの俗称ある木はタカノツメ、コシアブラ(アブラギ、ゴ
ンゼツ等の名あり)、コガノキ、カクレミノ、およびヒチニキと5
種類あるようです。…(中略)…。

タカノツメは間違ひなくイモノキの俗称がありますが、コシアブラ
の方は普通イモギですが、それでもイモノキといふのもあるのを三
峰で聞き知った記憶があります。両者ともウコギ科の植物ですが、
タカノツメの葉は長い葉柄の先に三小葉がありコシアブラの方はそ
れよりも更に長い葉柄の先に五小葉があるのですから葉の形を聞い
ただけで両者を間違へることはありません。

両者とも木は軟(らか)で白い丸箸や下駄なぞを造ります。両者と
も秩父にあるさうです。さて問題の山にはどちらがありますか未だ
実地に調べたことはありませんが、大木となるのはコシアブラの方
で、タカノツメはコシアブラほど大きくはなりません。若し大木が
あったとすればコシアブラでせう。

従ってイモギの方がよい訳で、よし両者ともあるにしても「郡村誌」
(※イモギ)に従ふのがよいと思ひます。但し、イモノキと呼ぶ人
のあったことも確かですから、イモノキはブラジル産のみとは限っ
ているわけではありません。日本のイモノキはブラジルのものより
ずっと堅いですから、ステッキで突き刺すことなどはできません。
尤も木曾ではコシアブラをナマドウフなどと軽蔑してはゐますが
…」とあります。

それをふまえ、宮内敏雄は、「三峰方面の古老の謂う山名由来は、
今でもイモギと発音しているから、木暮先生のお説の如くコシアブ
ラの大木としてよいであろう」としています。結局は、コシアブラ
の異名である芋木(イモギ)の大木が多く生えている尖峰に落ち着
くようです。

また同書は、埼玉県秩父地方、三峰山東ろくを流れる大血川方面で
は、芋木のドッケあたりを白岩山と呼んでいるとしています。つま
り白岩山は南峰、北峰に分かれていて、三角点は北峰にあり、両者
の中間はヒラは「ソーデーラ」と呼んでいるそうです。また芋木の
ドッケはニョングラとも呼ぶそうです。

芋木のドッケの山頂は樹木のなかで展望はききません。雲取山方
面から長沢背稜縦走のおりに、山頂を通過する場合が多く、この
山だけを目的に登る人はほとんどいません。

ちなみに三峰山方面に向かう途中にある白岩山(三角点1921.3m)
には北陸石川県にある白山の白山妙理大権現を勧請したと、1933
年(昭和8)の三峰山観音院記録下書にあるそうです。また三峰
本社にも白山権現がまつられていたそうです(天明3年(1783)の
観音院別当(神社の経営管理を行う)性幢が京都聖護院に宛てた口
上書控えによる)。

▼芋木ノドッケ【データ】
★【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町と埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)
の境界にある。JR青梅線奥多摩駅三峰駅からバスで鴨沢下車、
歩いて5時間で雲取山。さらに2時間で芋木ノドッケ。標高点1946
m。

★【位置】
・北緯35度52分26.94秒、東経138度57分15.42秒

★【地図】
・旧2万5千分の1地形図:雲取山

★【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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