山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼982号「山梨県大月市・百蔵山の伝説」

【序文】
140字
百藏山は桃倉山。犬目地区がある梁川駅、鳥沢駅に猿橋駅と、J
R中央線周辺には桃太郎伝説があります。地元名物の「おつけだん
ご」を分け与え、それぞれのところで猿、犬、キジを家来にして、
大月駅前の岩殿山にすむ鬼退治に出かけたという。
・山梨県大月市。
(本文は下記にあります)

▼982号「山梨県大月市・百蔵山の伝説」

【本文】

山梨県大月市、JR中央本線猿橋駅の北方に百藏(ももくら)山
という山があります。かつては「桃倉山」とも書かれ、昔はふも
とにモモの木がいっぱい生えていて、とてもきれいな里だったそう
です。

またJR東日本の中央本線の高尾方面から大月へ向かうと、梁川
(やながわ)という駅があります。この駅北側には犬目(いぬめ)
という地名があり、さらに鳥沢(とりさわ)駅、猿橋(さるはし)
駅とつづきます。

そして大月駅南方都留市に九鬼(くき)山があります。モモ、サ
ル、イヌ、鳥(キジ)、鬼とつづけば「桃太郎」です。そのとおり
で、このあたりには桃太郎伝説があるという。

そもそもこのあたり一帯がまだ海だったころ、当時島だった山々の
ひとつ、九鬼山には赤鬼、青鬼たちがすんでいました。が、赤鬼た
ちは色が赤いために青鬼たちに嫌われ、山を追い出されて大月駅近
くの岩殿山にすみつきました。

岩殿山に移りすんだ赤鬼たちは、自暴自棄になって大酒を飲んで
は、ふもとから金銀財宝を盗んだり、女性や子どもをさらったり、
牛や馬を食べたりして、村びとから恐れられていたといいます。

そんなころ、百蔵山(ももくらさん)のふもとに、おじいさんと
おばあさんが住んでいました。ふたりには子どもがなく、子どもが
欲しいと神さまにお祈りしながら、モモを栽培していたという。

ある日、ふたりが桃畑に行き、大きなモモの実がなっていたので、
喜んで家に持ち帰りました。また、別の資料では、百蔵山から大
きな桃が西ろくの葛野川(かずのがわ)に転がり落ち、下流で洗
濯をしていたおばあさんに拾われました。

家に帰って食べようとしたところ、ふたつに割れてなかから男の
子が生まれました。桃太郎と名づけられた男の子は、地元名物の
「おつけだんご」(キビダンゴのことらしい)を食べてたくましく
成長。岩殿山の鬼の話を聞いた桃太郎は、鬼を退治しようと思い
ました。桃太郎は、おばあさんから餞別におつけだんごを作って
もらい、途中いまの犬目地区で、おつけだんごを与えてイヌを家来
にしました。

さらに鳥沢地区でキジを、猿橋でサルを家来にしました。地元にも、
「桃太郎ここらで伴や連れにてけん、犬目、鳥沢、猿橋の宿」とい
う歌があるそうです(『大月市の伝説と民話』)。こうして桃太郎は、
勇んで岩殿山に赤鬼たちを退治に出かけたのでした。

ところで、民俗学者の柳田國男は、『柳田國男全集10』(桃太郎の
誕生)のなかで、「上流から桃が流れる」という表現は、「上流は
神がすむ場所」であり、また赤子が、驚くべ早さで成長するのは、
神の霊異であり、神の子だからだという意味のことを書いていま
す。本当に桃太郎の成長の早さ、習いもしない武芸や読み書きな
ど、確かに神の子かも知れません。

さて、鬼のすんでいる岩殿山は、標高634mと高くはありません
が、巨岩、岩壁が露出。大岩壁の下は、巨大な岩陰が、大きくえぐ
られたような洞窟になっています。幅はおよそ30m、奥行きは10
m、高さは最大で5mはありそうです。地元でも「洞窟は桃太郎に
退治された鬼のすみかだった」といいつたえられています。

岩殿山に着いた桃太郎が、大声で叫ぶと、鬼は洞窟から出てきて、
怒って手に持っていた石の杖を折り、一方を桃太郎に向かって投げ
つけました。それが、途中で落ちて地面に突き刺さり、地震を起こ
しました。その辺りを「石動」というようになり、石の杖は今でも
「鬼の杖」として残っています。

その後、鬼は残りの杖を投げつけ、笹子のあたりまで飛んでいきま
した。こちらは、「鬼の立石」と呼ばれています。激闘の末、桃太
郎は鬼を山頂まで追い詰め、東の山に足をかけて逃げ出そうとした
ところに、刀を振り上げ、ついに退治しました。

退治された鬼の腸が固まったといわれる所は、「鬼の腸」といわれ、
鬼の血と呼ばれるところには、赤い色をした土が残っています。桃
太郎は、鬼が盗んでしまっておいた金銀財宝を岩殿山の洞窟から取
り戻しました。

いまでも、この洞窟は権現洞窟と呼ばれています。ふもとの円通寺
(天台宗)の小堂裏手には、宝珠ではなくモモを持っている石地蔵
が建っています。その上、野原町の談合坂の地名も、桃太郎伝説の
「団子坂」が改名されたという説もあります。

ところで鬼からぶんどった財宝はどうしたのでしょう。それが武田
の軍資金の埋蔵金になっているという人までいるのです。天正10
年(1582)、武田信玄の四男武田勝頼は、織田徳川連合軍の攻撃に
遭い、新府城に火を放って岩殿城に向かいます。しかし、岩殿城主
小山田信茂のうらぎりに遭い進路を断たれ、田野という所で勝頼一
家は自害しました。

ここでちょっと考えてみるに、武将として自決を覚悟しているもの
が新府城を、なぜ捨てたのしょうか。それは大月方面のどこかに、
武田の埋蔵金があり、その資金で体制を建て直して、連合軍と最後
の戦いをするためだろうとしています。

さて話は変わって、いま桃太郎といえば「岡山」が有名です。なぜ
いまごろになって山梨県大月なのかという疑問が出てきます。「岡
山の桃太郎」は、最近になってから「はやり」だしたものだという
のです。

昭和のはじめごろ、岡山在住の難波金之助という人が、『桃太郎の
史実』という本を出版。そのなかで桃太郎物語を吉備津彦と結びつ
け、桃太郎岡山発祥説を唱えましたが評判はイマイチ。

時は過ぎ、昭和37年(1962)に岡山県で開かれた国民体育大会開
催の時、当時の岡山県知事が、この地域おこしの宣伝戦略として桃
太郎を利用したのが最初という。

一方、明治23年(1890)の菱川春宣が描いた桃太郎の錦絵には、
背景に明らかに大月あたりから見られる富士山とわかる山が描かれ
ているというのです。だからといって即、そこが大月だとはいえま
せんが、貴重な物証ではあります。

地元大月市では、新しい名物を作りたいと、きびを栽培し大月の郷
土料理に練り込んだ「きび団子汁」を3年前に考案。また大正時代
に売られていた桃太郎もちの復刻版をこの春、山梨県内に住む大学
生が開発して販売もしています。山の伝説に遊ぶにはもってこいの
ところです。

▼百蔵山【データ】
★【所在地】
・山梨県大月市。中央本線猿橋駅の北北東3キロ。JR中央本線
猿橋駅から歩いて2時間30分で百蔵山(ももくらさん)。三等三角
点(1003.4m)がある。

★【位置】
・山三角点:北緯35度38分17秒.2128、東経138度58分51秒6668

★【地図】
・旧2万5千分1地形図名:大月

★【参考文献】
・『大月市の伝説と民話』大月市文化財審議委員・石井深編(1980
年(昭和55)発行)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「山梨日日新聞記事データベース」
・「山梨日日新聞縮刷版」1989(平成元)年2月号、19988(平成1
0)年4月号、5月号
・「ムー」(学研プラス)2017年2月号

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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