山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼971号「奥多摩市道山・市へ通う市の道」

【序文】
奥多摩の市道山は戸倉三山のひとつ。市道山とは、昔、五日市町の
市へ通う道があったのが山名の由来。周辺の村の人々は骨休みの日
になると、「市ゆき姿」という改まった様相をして、市で交易する
生産物を背負って、五日市町で開催される市に出かけたという。
・東京都あきる野市と檜原村との境。
(本文は下記にあります)

▼971号「奥多摩市道山・市へ通う市の道」

【本文】

奥多摩の市道山(いちみちやま)は、刈寄山(かりよせやま)・臼
杵山(うすぎさん)とともに戸倉三山と呼ばれています。市道山と
は妙な名前の山ですが、昔、五日市の市へ通う道があったのが山名
の由来という。もともと日本にも、何日間か働くと骨休みの日があ
ったという。

そんな休日には村人は、「市ゆき姿」という改まった様相をして、
市で交易する生産物を背負って、五日市で開催される市に出かけた
そうです。山の地方からは農産物を、浜からは海産物を搬んできま
した。そのちょうど都合のいい場所が、いまのあきる野市五日市町
だったのです。登山用の地図をみると、市道山の山頂には三等三角
点があり、その南東側にイッポチ山の文字が打ってあります。

『奥多摩』宮内敏雄によれば、「『多摩郡村誌』の檜原村ノ条に、「イ
ッポチ山(一名醍醐峠戸倉ニテ市道山アルヒハ千ヶ沢ノ峯トモ云)
東南ノ方ニアリ、高三百○六丈八尺、……登路山ノ東北戸倉村ノ辺
ヨリ盆堀川及ビ千ヶ沢(ちがさわ)二沿フテ、南又西ヘ上ルコト三
十余町ニシテ嶺上二達スベシ。之ヲ市道或ハ、イッポチト呼ブ……。」
とあります。

ちなみに『多摩郡村誌』は、幕末-明治時代の歴史家だった斉藤真
指(さいとうまさし)編集編纂の書。斉藤真指は、明治5(1872)
年には、高水三山惣岳山にあるおなじみの青渭(あおい)神社の神職
だったそうです。

宮内氏はつづけます。「…近来の登山者の裡(うち)にはこの市道
山とイッポチを別個の称として、即ち地図で示せば、三角点峰にイ
ッポチを、その東南の同高度の突起に市道山を与へてゐるのは可笑
しいと思ふ。−これは三角点峰に建てられてあった測量櫓に、「逸
歩地」三等三角点とあるのを見て錯覚を起こしての間違ひであろう
が…。…市道はイッポチと同じで、イチミチの発音が転訛してイッ
ポチになったのであろうと考へられるのである」とあります。

そのころの地図は、795.1mの三角点のあるところをイッポチ、イ
ッポチ山の文字のあるところを市道山といっていたのでしょうか。
この市道山の名は、いまの八王子市の上恩方町、下恩方町方面から
五日市町の市に通う道のことだったという。五日市の市へは、山梨
県上野原市旧上野原町各地区名(旧北都留郡上野原町)、青梅町、
飯能町、秩父町などからも通ってきたというから驚きです。

これらの市道のほかに、多摩川上流の小河内村方面からも、岫沢(く
きさわ)(いまの奥多摩湖小河内神社の岸向こうの山のふるさと村
ビジターセンターのあるあたり)の集落から、風ッ張峠、浅間尾根
を通り、東ろく北秋川経由で五日市に出たという。そのためのイチ
ミチの地名もいまに残っているそうです。

また宮内敏夫氏は、「あしなか第3輯」(山村民俗の会)のなかで、
『新編武蔵風土記稿』(1810・文政11年)に採録されている、戦国
時代の宿将北条氏直の文書の「此度小郷内油虫(ユチ)道敵一人合
打致候無比類ノ次第候」の一文の、小郷内油虫道というのは、「小
河内のイケミチ」のことだとは、つとに郷土史家の説く処である、
としています。

このイケミチはイチミチの誤植か?昔の市道は、もちろんいまの地
図の道ではなく、たとえば八王子方面からの道は、醍醐丸から東南
峰(いまのイッポチ山)に登ったら山稜を東に、そして最初に北に
蹴出した小尾根を盆堀川支流千ヶ沢べりに降りるものだったそうで
す。

これらの市道は、前出の北条氏直の文書のほか、安土桃山時代の天
正2年(1574)の古文書にも、すでに五日市の地名が見受けられて
います。降って明治11年(1878)、神奈川県庁(当時は八王子や南
西北3多摩郡は神奈川県の管轄だったという)より委託されて編纂
した『多摩川郡村誌』のころまでは、まだ五日市の市はあったとい
う。

なくなったのは、明治40年(1907)ごろらしい。ちょうどそのこ
ろ、中央線の鉄道が開通し、そのため、経済の中心が五日市から八
王子に移ってしまったらしいということです。
・東京都あきる野市と檜原村との境。

▼市道山【データ】
【所在地】
・東京都あきる野市と檜原村との境。JR五日市線武蔵五日市駅
からバス、元郷停留所下車、さらに歩いて3時間で市道山。三等
三角点(795.2m)がある。

【位置】
・市道山三等三角点795.2m:北緯35度41分23.99秒、東経139度10
分10.5秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:五日市

▼【参考文献】
・『あしなか第1冊』「あしなか第3輯」(山村民俗の会)1943年(昭
和18)
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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