山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼967号「山梨県・セーメーバン山と安倍清明」

【前文】
「水の便が悪く田や畑をつくれない」という村人の声を聞いた安倍
清明。「明日の朝までに山の向こう側を流れる水を尾根を削ってこ
ちらに引いてやる」と約束。しかし、岩殿山の鬼にだまされ失敗。
くやしくてくやしくて「キリキリ」いいながら、近くの峰(セーメ
ーバン山)で憤死していたという。
・山梨県大月市。
(本文は下記にあります)

▼967号「山梨県・セーメーバン山と安倍清明」

【本文】

 山梨県JR大月駅の北方にセーメーバン山という山があります。セイメイ

バンとか、晴明盤、清明盤、晴明盤とも書かれるそうですが、ここでは『日

本山名事典』(三省堂)の表記「セーメーバン山」に従いました。セーメー

は安倍清明のこと、バンは鉱脈を意味しており、かつて陰陽師の安倍晴

明が鉱脈を探したという説があるそうです。



 このあたりには次のような伝説があるそうです。岩科小一郎氏の『大菩

薩連嶺』によると、昔々、平安時代の春のこと、陰陽博士として名高い安

倍清明が諸国漫遊の途中、ここ山梨県賑岡村(にぎおかむら)(いまの大

月市賑岡町各町)は端倉(はしくら)に立ち寄りました。ところがこの村に

は、野良仕事をする人の姿がなく、田畑が草茫々です。



 訳を聞いてみると、このあたりは昔から水の便が悪く田や畑をつくること

ができないとのこと。「なんだ、それならたやすいこと」。安倍清明は山向

こうの菅沢の水をこちらに引いてやろうと考えました。「明日の朝までにこ

の細い川が水であふれるようにしてみせよう」と約束しました。



 清明はその晩、大岱山(おおぬたやま)(セーメーバンの北西)に登っ

ていきました。そして彼は尾根を薬研(やげん)状に掘っていきました。山

の向こうの沢の水を尾根を削ってこちら側に流れてくるようにしようという

わけです。仕事は順調に進んでいきました。真夜中の時間が刻々と過ぎ

ていきます。



 しばらくするとどこからか「清明ドノ、そろそろ鶏が鳴く、もう夜明けじゃ」

との人声がしました。「やや、もう夜が明けるか」、清明は力を込めました。

しかしその時、一番鶏の声が流れてきました。「ワッ。間に合わなかった

か」。慌てた清明は仕事をやめてしまいました。



 そして村人たちにどういい訳けをしようかと考えました。しかしなかなか

夜が明けません。これはみんな、岩殿山(大月駅北側にある山)にすむ

鬼が、阿倍清明をねたんでしたいたずらだったのです。「わしともあろうも

のが、たかが鬼にだまされたなんてッ」。朝になり、村人が様子を見に山

に登ってみると、安倍清明はだまされたのを恥じ、くやしくてくやしくて「キ

リキリ」しながら、近くの峰で憤死していたということです。



 それからというもの、その峰をセーメーバンと呼ぶようになり、清明が掘

った場所は大岱山(本沢頭とも)の内にホリガネ(堀兼)として薬研状の大

きな窪地となって残っているそうです。その後、金谷峠付近に隧道を掘っ

て、菅沢の水を引いて、いまは新田の灌漑用水に使っているそうです。



 セーメーバン山は、国土地理院の2万5千分の1地形図にも標高のみ

記載されている名前のない小高いピーク。簡単な標識だけで、気がつか

ず通り過ぎてしまいそうなところです。



 主人公の安倍清明は、平安中期の陰陽師(おんみょうじ)。父は摂津

国(せっつのくに・大阪府の北西・南西部と兵庫県の東部)の安倍野の武

士である安倍保名(あべのやすな)。母は和泉国(いずみのくに・いまの

大阪府南西部)の信田(信太)森(しのだのもり)の狐(白狐)。



 ある時父の保名(やすな)は敵役悪右衛門に狩り出された狐の命を助

けました。するとその恩を感じた狐が、女性の姿になってあらわれ、保名

の妻になって仕え、一子をもうけました。あるとき、庭の菊の花に見とれて

いた母は、うっかり狐の本性のあらわしてしまいました。それをわが子に

見つけられました。母は童子に悲しくも別れを告げ、信太(信田)の森へ

帰っていくのでした。



 しかしその後、父の保名(やすな)と童子が、信太の森をさまよいながら

母を探していると、母狐が出てきてわが子に霊力を授けました。そして時

の帝の病いを取り除いた功で五位に授し、清明の名を授けられました。

彼の墓は京都東福寺門前の遣迎院(けんこういん)の竹やぶの中にある

という。『今昔物語集』巻第二十四(第十六)には、識神(式神・しきがみ)

(陰陽師が術で使役する神)を自在に駆使して老僧との術くらべに勝った

話、また草の葉を投げて蛙をぺっちゃんこにした話が出てきます。



 ちなみに岩殿山にすむ鬼は赤鬼で、富士急行禾生(かせい)駅の東

にある九鬼山(くきやま・970m)でおこった内乱で青鬼に追われてきた

のだという。またセーメーバンの北西にある大岱(ぬた)山のホリカネと呼

ぶ薬研堀状の堀は、鉱山にかかわるものらしいという。



 その北西に金山峠があり、またその先に「百間干場」という所がありま

す。登山文化史研究家、谷有二氏によると干場(カンバ)は鉱山の勘定

場、または金を精錬する所の「金場」、または鉱山監督の事務所、あるい

は魚のヤマメを干すところではないかという。



「百間干場」という標識は奈良子川上流の橋の上にあります。まわりをみ

れば崖を深く削ったような沢の源頭。10軒くらいは家が建つような広さは

あります。昔はここに鉱山に関係する建物があったに相違ありません。な

るほどなるほどと感心しながら、橋のたもとにテントを張りひと晩過ごしまし

た。



 もちろん、こんなといっちゃなんですが、何にもない山奥の人っ子ひと

りいない場所、夜中にトイレに起きても「シ〜ン」とした真っ暗な、ただの

草地でした。野生の動物の気配すらありませんでした。翌日、金山峠・大

岱山・セーメーバン経由で岩殿山方面へ。かのセーメーバンで一休み。

頂上というほどの特徴もない雑木林の中のピークです。



 三等三角点とここがセーメーバン山頂だよと分からせてくれる標識があ

るだけ。展望はありません。大きなモミの木が大きな枝を片側に張り出し

ています。行動食を食べながら梢からのぞく空を見上げます。連れだっ

たカラスが数羽、鳴きながらもつれ合って飛んでいきました。そんな地味

なフツーの所でありました。




▼セーメーバン山【データ】
【所在地】

・山梨県大月市。中央本線大月駅の北北西5キロ。JR中央本線大月
駅からバス、遅能戸停留所下車、さらに歩いて2時間でセーメーバ
ン山。三等三角点(1006.2m)。(そのほか付近に何もなし)。
【位置】
・三角点:北緯35度39分07秒.1707、東経138度55分25秒.8992
【地図】
・2万5千分1地形図:大月。

▼【参考文献】
・「エリアマップ・山と高原地図・23」(塚田正信著)昭文社(昭和56年
版)
・『今昔物語集3』:日本古典文学全集23『今昔物語・3』馬淵和夫
ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『大菩薩連嶺』岩科小一郎(朋文堂)1959年(昭和34)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)
・『山梨「地理・地名・地図」の謎』平山優(実業之日本社)2015年(平成
27)
・『山の名前で読み解く日本史』谷有二(青春出版社)2002年(平成14)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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