山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼947号「戸隠荒倉山と鬼女紅葉」

【前文】
都から追放された鬼女、戸隠連峰荒倉山にすみつきました。都か
ら討伐にきた平惟茂は、上田別所の北向き観音に参拝、また八幡
権現にも祈願。大乱戦の末退治しました。『太平記』にも戸隠山の
鬼を退治する話があり、このあたりの山中には昔から鬼がすむと
考えられていたようです。
・長野県長野市戸隠。

・【本文】は下記にあります。

▼947号「戸隠荒倉山と鬼女紅葉」

【本文】
長野県の戸隠山は上信越高原国立公園に属し、山名のように日本神
話の「天の岩戸伝説」がその由来だという。話は神話の時代、天照
大神(あまてらすおおかみ)が、弟の須佐之男命(すさのおのみこ
と)の乱暴に怒って、天の岩戸に隠れてしまったとき、天手力雄尊
(あめのたぢからおのみこと・天手力男命)が岩戸を開けて、開け
た戸を空に向かって投げました。

それがここに落ちてきて戸隠山になったのだという。また岩戸が落
ちたときものすごい地響きが起こり、戸隠連峰の一峰・九頭竜山の
神さまが誕生したといいます。そこにある九頭竜社には、役ノ行者
が九頭竜を閉じこめたという伝説もあります。この神さまは雨除け、
風よけ、霜よけ、虫除けなど、五穀や作物を守る神としても崇めら
れています。

ふもとの戸隠神社は奥社、中社、宝光社の3社に分かれており、奥
社には手力雄尊をまつり、中社には天八意志兼命(あめのおもひか
ねのみこと・知恵を司る神)、宝光社には天表春命(あめのうわば
るのみこと・思兼神の子。天孫降臨の際,警護のために天から降っ
た一神)がまつられています。また、天の岩戸で「裸踊り」をした
天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつる日之御子社、天岩戸守
命を祭神とする九頭竜社があります。

九頭竜山ノ神にはこんな伝説があります。昔、戸隠村の代官が九頭
竜山の山神を見たいと奥山に分け入りました。すると向こうから美
しい娘がやってきます。「こんなところで不思議なことだ。もしか
したら九頭竜かも知れない」と思い捕らえようとすると、その娘は
口から火を吐き出したのです。驚いた代官はあわてて逃げ帰りまし
たが、その後代官は、戸隠山の種ヶ池に向かい叫びました。

「九頭竜の神、魔性があるならこのわしの体を隠して見よ」。する
とたちまち池が渦巻いて、男を水底深く巻き込んでいきました。年
月が過ぎて、この男の息子の夢に九頭竜の神があらわれ、「お前の
父親は、わしの本体を見たいといって命まで捧げた。お前にも本体
を見せてやろう」といったところで目が覚めた。不思議に思い、一
夜山に目をやるとなんと九頭竜が一夜山(戸隠山の南方、長野市鬼
無里)を7巻半巻いていたという言いつたえもあります。

戸隠山でとくに有名なのは鬼女紅葉(「紅葉狩」)の伝説です。「紅
葉狩」は能と歌舞伎にある演目。戸隠山本峰の南方、旧鬼無里村と
旧戸隠村(いまは両方とも長野市)との境にある荒倉山(あらくら
やま)に残る伝説です。ここは砂鉢山(1432m)を最高峰とする
小山塊の総称。いろいろな岩峰が奇勝をつくり「鬼の塚」、「鬼の岩
屋」などの地名があって、昔から鬼がすんだところといわれていま
す。「紅葉狩」のあらすじです。

その昔、万葉の歌人大伴家持の子孫伴善男(とものよしお、)が放
火の疑いをかけられ伊豆へ流されました。その子孫に伴笹丸という
者がおり、奥州会津に住んでいましたが、妻菊世との間には子があ
りませんでした。そこで第六天の魔王に祈ったところ、承平七年(937
・平安時代)に女の子を出産、名前を呉羽(くれは・呉葉)とつ
けました。呉羽は成長するに従い大人もおよばぬ賢さとなり、さ
らに年ごろになると絶世の美女に成長し大評判。呉羽(くれは)
は紅葉(もみじ)と改名し、都に上り源経基(つねもと)に仕え
ました。

しかし紅葉は、経基の御台所(みだいどころ・夫人)を殺害しよ
うとたくらみ、それがばれて信濃の国、戸隠村の西どなりの木麻
村に流されてきたのでした。紅葉は悪才ぶりを発揮、村人をだま
し黒姫山の山賊どもを手下にして、荒倉山を根城に周辺の村々や
街道を襲っては略奪を働いていました。紅葉のこの悪事の噂がや
がて都に伝わります。

天皇は平惟茂(これもち)将軍を討伐隊長として信濃の国にさし
向けました。信濃の国に着任した惟茂はある日、従者を連れて戸
隠山に紅葉見物に出かけました。すると山一面の紅葉の中、幔幕を
めぐらして宴を催している女性の一行があります。惟茂は従者をや
って主人は何者か尋ねさせますが、老女は「高貴な女性」とだけ答
えます。立ち去ろうとすると、先ほどの老女が出てきて惟茂を酒宴
の座に招きます。

美しい姫は惟茂らに酒をすすめ、腰元と従者たちは酒の肴にと舞い
を見せはじめます。最後に姫が優雅に舞いました。惟茂らはすっか
り酔って眠ってしまいました。それを見て姫は、女たちをつれて姿
を消しました。そこに戸隠山の山神が姿をあらわし「姫と見えたの
は実は鬼女、目をさませ」とうながします。冷たい山風が吹きだし、
やっと目をさました惟茂は、さては鬼神であったかと姫たちのあと
を追います。

姫の姿だった紅葉は鬼女の本性をあらわして、濃霧や地形を利用
して遠征軍をさんざん悩まします。攻めあぐねた惟茂は、上田別
所の北向き観音に参拝、また八幡権現にも祈願しました。そして
大乱戦の末、惟茂は名剣小烏丸の威徳もあって鬼女紅葉を退治で
きたのでした。

この時惟茂は南方にある北向観音に対して再拝し「頼みつる北向山
の風さそひ、あやし紅葉はとく散りにける」と詠んだという。鬼女
紅葉の屍(しかばね)は柵(しがらみ)の五輪坂に葬り、五輪塔
を建てたという。こうして木麻村は鬼女のいない里となり、やが
て鬼無里村(いまの長野市鬼無里)になったのでした。

さて、鬼女紅葉の部下に「おまん」という大力無双、足の速い鬼
女がおりました。「おまん」は乱戦のなか戸隠中社の寺に逃げ込み
ました。そして紅葉一族の全滅を知り世の無常を感じ髪をおろし出
家しましたが、やがて自害して果てたということです。

一方勝利を収めた平維茂は「紅葉」を斬った剣を戸隠権現に奉納し
ました。しかしながら維茂は紅葉との戦いに傷つき、長野県千曲市
の稲荷山の八幡宮で亡くなったとか、同県上田市の別所温泉で湯治
中に死んだとかいわれています。

この話は大和政権に抵抗した山中部族伝説だと広く伝承されてい
ます。ただこの伝説は能「紅葉狩」以前にさかのぼることはでき
ず、能作者・観世小次郎信光の創作ではないかというから困っちゃ
います。『太平記』(南北朝時代の軍記物語)にも多田満仲が戸隠山
の鬼を退治する話があり、このあたりの山中には昔から鬼がすむと
考えられていたようです。

▼戸隠山【データ】
【所在地】
・長野県長野市戸隠(旧上水内郡戸隠村)。北陸新幹線長野駅から
バス、1時間10分で奥社入り口バス停下車、歩いて2時間30分で
戸隠山。写真測量による標高点(1904m)がある。地形図上には
山名と三角点の記号とその標高のみ記載。

【位置】
・【戸隠山標高点】:北緯36度46分13.39秒、東経138度03分18.23秒
・【荒倉山】:北緯36度41分39.98秒、東経138度02分3.45秒
・【紅葉の岩屋】:北緯36度42分27.76秒、東経138度3分17.52秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「高妻山(高田)」

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書01・山岳宗教の成立と展開』和歌森太郎編
(名著出版)1975年(昭和50)
・『山岳宗教史研究叢書16』(修験道の伝承文化)五来重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本鬼総覧』(歴史読本特別増刊)(新人物往来社)1995年(平
成7)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・『和漢三才図会10』(寺島良安著):東洋文庫島田勇雄ほか訳注(平
凡社)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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