山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼924号 北アルプス・乗鞍岳と木曽義仲

尾北アルプス南端の乗鞍岳は、岐阜県高山方面から見ると、まるで馬
の背に似た形をしているところから山名がつけられました。信州で
も松本付近から眺められ、最初に朝日が当たるので朝日岳と呼んで
親しまれ、昔からの長野県歌にも「御嶽、乗鞍、駒ヶ岳、浅間は
ことに活火山」と歌い込まれているほどです。木曽義仲が自らを
朝日将軍と名乗ったのもそこから来ているという。この山は「乗
鞍23峰」と呼ばれるように23の峰と、7ヶ所の湖、8ヶ所の平原
があり、乗鞍岳というのはその総称です。最高峰は一ノ池火山帯の
剣ヶ峰(標高3025.7m)。富士山、白山の眺めがすばらしい。
・長野県松本市と岐阜県高山市との境。

【本文】は下方にあります

▼北アルプス・乗鞍岳と木曽義仲

【本文】
北アルプス南端に乗鞍岳という山があります。北の端にも同じ名前
の乗鞍岳(標高2456m)がありますが、ここは白馬乗鞍岳という
名で区別しています。南端の乗鞍岳は、岐阜県高山方面から見ると、
山の形がまるで馬の背に似た形をしているところから山名がつけら
れました。

信州側でも松本付近から眺められ、最初に朝日が当たるので朝日岳
と呼んで親しまれ、昔から長野県歌にも「御嶽、乗鞍、駒ヶ岳、
浅間はことに活火山」と歌い込まれているほどです。木曽義仲が
自らを朝日将軍と名乗ったのもその朝日岳から来ているという。

この山は「乗鞍23峰」と呼ばれるように多くの峰があり、乗鞍岳
というのはその総称です。最高峰は一ノ池火山帯の剣ヶ峰(標高
3025.7m)。その峰は、剣ヶ峰、大日岳、屏風岳、薬師岳、雪山岳、
水分岳、朝日岳、蚕玉岳の八峰と、北へ富士見岳、不動岳、摩利
支天、恵比須岳、さらに烏帽子岳、四ツ岳、猫岳、大崩山などと
連なり、北側は安房峠と平湯峠から、南側は野麦峠まで信州と飛
騨の間をつないでいます。

山頂からは富士山、白山の眺めがすばらしい。山頂部には、権現
池、五ノ池、鶴ヶ池、大丹生池、土樋池などと火口湖が多く、7ヶ
所の湖、8ヶ所の平原もあります。

亀ヶ池はわが国で初めて田中阿歌麿(あかまろ)が亀甲土(氷河周辺
地形の一種)が発見したところだそうです。乗鞍岳の山名は、江戸
時代前期の正保(しょうほう)2年(1645年)につくられ幕府に
提出された国絵図に「乗鞍岳」と記載されたのが最初だとか。古
くは愛宝山(あぼうやま)、位山(くらいやま)、朝日岳、鞍ヶ嶺、
権現岳、(ただの)岳、騎鞍岳(くろがね)、騎鞍岳(のりくらだ
け)、大山、御岳(みたけ)とか呼ばれていたようです。とくに位
山は、平安時代の中ごろ以降は、歌枕にもなっていて、いろいろな
歌人の宇田が残っています。

くらゐ山岑(みね)までつける杖なれば今万代のさかのためなり(大
中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)平安時代中期の貴族、歌人、
三十六歌仙の一人(『拾遺集』)。位山木だかくならむ松にのみ八百
万代と春風と吹く(源実朝)(『金槐集』)。位山の「くら」は馬の鞍
ではなく、神がやどる、神をまつる岩座(いわくら)の意味だそう
です。

頂上には乗鞍神社(騎鞍権現)が鎮座しています。平安時代初期の
大同2年(807)、坂上田村麻呂が飛騨評定の時、この山の登り、乗
鞍三座の神に戦勝祈願したのにはじまるという(『乗鞍山縁起』)。
ちなみに『乗鞍山縁起』とは、江戸後期の文政3年(1820年)成
立、修験者明覚法印(報徳霊神)の記録です。その後、鎌倉前期
建暦2年(1212)になり社殿を造営したという。

また平安末期の寿永2年(1183)に、木曾義仲の「知恵者」とい
われた僧・大夫坊覚明が山頂乗鞍岳奥ノ院に、朝日将軍(木曽義
仲)の冥福を祈って大日如来を安置しました。大夫坊は、長野県
旧小県(ちいさがた)郡海野(うんの)の出身で、義仲の死後仏門
に入り、更級郡の稲荷山に康薬寺を開創した人物。

江戸前期の天和3年(1683)(元年とも)には、鉈彫りで有名な僧
円空が千体仏を彫り、乗鞍山頂に登り大丹生池に沈め祈祷したと
いう。この池には魔神がすむといわれ、村人が恐れていたといい
ます。円空は、そんな迷信を払拭し豊作と悪病退散を祈ったとい
う。このとき魔王岳や摩利支天岳を開山し、命名したという。ま
た延享(えんきょう)元年(1744・江戸中期)には高山役所の長谷
川代官が2羽の雷鳥を捕らえさせ、将軍家に贈った記録もあります。

山頂には信州(長野県)側信徒による朝日権現社(乗鞍大権現)と、
それに背中合わせに飛騨(岐阜県)側による鞍嶺社(くらがねしゃ)
があります。明治15(1882)年になり、このふたつは合併させら
れて「乗鞍神社」になり、長野県側の「朝日権現社」にまつられて
いたご神体の大日如来像が、岐阜県側の「鞍嶺(くらがね)神社」
に移されました。

ところが信州側と飛騨側の信徒の間でゴタゴタがおこり、飛騨側が
大日如来像を岐阜県岩井谷村におろしてしまいました。その後、岩
井谷村では、毎年8月8日に村人一同が、本来信州側のものである
大日如来像をたてまつって登山し、祭礼を行っているといいます。
また高山市朝日町の行者、上牧太郎之助は1895年(明治28)から
1907年(明治40)にかけて青屋口を開き、石仏180余体を安置し
ています。

この山も古くは登山が許されず、山ろくで遙拝しました。長野県側
は松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)大野川の大池にある梓川神社の
あるところ。岐阜県側では大丹生ヶ池付近が遙拝所でした。長野県
側遙拝所だった、松本市大野川の大池にある梓水神(乗鞍権現)は
雲を呼び、雨を降らせる竜神であるという伝説があります。

「ある時、年を経た熊がこの大池にはまって死んでしまいました。
竜神は池がけがれたとして怒りました。池には紫雲がたちこもり、
あたりがまっ暗くなり、竜は天空に登って乗鞍岳山頂の権現池に行
ってしまいました。しかしこの大きな竜は小さな山上の権現池から
はみ出してしまい、頭は権現池に、胴体は大池に、さら尾っぽは諏
訪湖まで達していたそうです。そんなことからか、江戸時代後期、
この大池の梓水神社は、諏訪湖の祭神である、建御名方(たけみな
かた)神をまつり、諏訪大明神といっています。

畳平から岐阜県側へ下る四ッ岳(2680m)のふもとの土俵ヶ原に
は、かつて2人の仙人が、山頂の主の座を争って相撲をとったとい
う伝説もあります。剣ヶ峰山頂の三角点は、明治27(1894)年に
陸地測量部の館潔彦が設けたものです。登山者として、外国人で
は明治政府の御雇い外人で、日本アルプスの命名者W・ガウラン
ドが明治11(1878)年に、またW.ウエストンが同25年に登って
います。

第2次大戦後、摩利支天の山頂に東京天文台コロナ観測所、すぐそ
ばの肩の小屋の隣に宇宙線観測所が開設。これにともなって山頂部
に通じる道路が整備されてバスが通うようになり、日帰り登山、夏
スキー、観光が可能になったということです。

高山植物は、7月初旬にキバナシャクナゲ、コケモモ、ハクサン
イチゲ、クロユリなど。つづいてタカネウスユキソウ、ヨツバシ
オガマ、ミヤマリンドウ、コマクサ、アオノツガザクラ、キバナ
ノコマノツメ、ハクサンフウロ、ミヤマキンバイ、マイヅルソウ
など。8月下旬から9月下旬にかけてはウサギギク、ミヤマアキ
ノキリンソウ、トウヤクリンドウなどが咲きます。
秋風の浅間のやどり朝つゆに、あめの戸開く乗鞍の山(伊藤左千夫)。

▼乗鞍岳【データ】
【山名】
・のりくらだけ:岐阜県高山から見ると馬の背に似た形をしている
ところから山名がつけられた。

【異名・別称】
・愛宝山(あぼうやま)、位山(くらいやま)、朝日岳、鞍ヶ嶺、
権現岳、(ただの)岳、騎鞍岳(くろがね)、騎鞍岳(のりくらだ
け)、大山、御岳(みたけ)。

【古名】
・愛宝山(あぼうやま):平安時代の『日本三代実録』(貞観15年
・873)に、飛騨国司が「大野郡愛宝山に三度紫雲がたなびくのを
見たとの瑞兆(ずいちょう・良い事が起こる前兆。吉兆)を朝廷
に言上した」とあり、愛宝山(あぼうやま)と出ている。
・位山(くらいやま):古歌などによると、平安から室町時代にか
けては位山と呼ばれていた。
・剣ヶ峰を別名権現岳:重明行者という乗鞍講の創始者が命名し
た。
・騎鞍岳(くろがね)、騎鞍岳(のりくらだけ):明治6(1873)『斐
太後風土記』富田礼彦著飛騨地方誌。

【所在地】
・長野県松本市と岐阜県高山市との境。三角点は岐阜県高山市。
高山本線高山駅の東27キロ。上高地線新島々駅からバス畳平停留
所下車、歩いて1時間30分で剣ヶ峰(三角点3025.7m・一等三角
点名乗鞍岳(TR15437142401)

【位置】
・乗鞍岳剣ヶ峰:北緯36度06分23.38秒、東経137度33分12.99


【地図】
・旧2万5千分の1地形図「乗鞍岳」

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷土出版社)
1986年(昭和61)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』(平凡社)1989年(平成
元)
・『乗鞍山縁起』(江戸後期の1820年・文政3成立、修験者明覚法
印(報徳霊神)の記録。
・『斐太後風土記』富田礼彦著(明治6・1873)。飛騨地方誌:「大
日本地誌大系」第7,10冊『斐太後風土記.』(下・巻13〜20,附録)
(大日本地誌大系刊行会)大正4、5年(1915、16)。
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

ゆ-もぁイラスト・漫画家・
山と田園の画文ライター
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