山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼902号 富士山と高さくらべを挑んだ山々

美しく成長していく妹の富士山。醜くなっていく伊豆下田富士は
その間に天城山という屏風を立ててしまった。心配した妹は姉の
様子を見ようと背伸びをしてどんどん大きくなり、姉は隠れよう
とますます小さくなった。日本一の高さになった富士山に各地の
山々が高さ競べを申し込んできました。
(本文は下記にあります)

【本文】

昔、伊豆にある下田富士は、美しい妹の富士山にくらべ、醜い自
分を恥じて姿が見えないよう間に天城山という屏風を立てて見ら
れないようにしてしまいました。驚いた妹は様子をうかがおうと背
伸びをします。そのたびに富士山は大きくなっていきました。

この日本一の高さになった富士山をみて、あちこちの名山といわれ
る山々がわれもわれもと背競べをいどんできました。茨城県の筑波
山や、岩手県の岩手山(岩手富士)、青森県岩木山(津軽富士)な
ども勝負をいどんできしました。しかしあっけなく負けてしまいま
した。そのなかでも有名なのが八ヶ岳との背競べです。

八ヶ岳から富士山へ樋(とい)をかけ、水を流したら背の高い八ヶ
岳から富士山の方へ流れました。負けた富士山はおこって八ヶ岳の
頭を樋で打ったうえ、横腹を蹴り上げました。そのため八ヶ岳の峰
はいくつにも分かれてしまったという(『伊呂波字類抄・いろはじ
るいしょう』)。木花開耶姫のアンヨも大したものですね。

ところで富士山のすぐ南東に愛鷹山(最高峰越前岳1504m)とい
う山があります。愛鷹山は昔は足高山とも書いたそうです。柳田國
男は「日本の伝説」の中でこの山は大昔、中国から富士山と高さ競
べをしにやってきた山というようなことを書いています。

それによると、駿河の足高山は、大昔諸越(もろこし)という国
から、富士山と背競べをしに渡ってきた山だという。それを聞い
た箱根の足柄山の足柄明神が「富士山と勝負だなんて生意気な山だ」
と怒って足で蹴飛ばして崩してしまいました。そのかけらが海の中
からだんだん寄せ集まり、海岸に小高い陸地ができあがりました。
それが浮島が原だということです。

この山は富士山や箱根火山よりも古い火山で、実際に崩壊前は富士
山よりも高峰であったと推定される(「日本山名事典」)そうです。
富士山よりも高い山が昔はあったんですね。ちなみに、足高山(愛
鷹山)は、その足の字からか、箱根の足柄山、富士山北麓の足和田
山とともに、「富士の三足」とか「富士三脚」とも呼ばれているそ
うです。

また富士山と白山との背競べというのもあります。白山には大昔か
らこの山に登った者はわらじをぬいで帰らなければならぬという掟
があります。それにはこんな理由があります。その昔白山が富士山
と高さ競べをしたといいます。勝負をつけるため、審判の一人御嶽
さんが、樋を通して水を注ぎますと水は低い白山の方へ流れようと
しました。あわてた白山側の応援団の1人がわらじをぬいで樋にあ
てがったところ、ちょうど平になったという。そのためいまでも白
山に登る人は山の上にわらじをぬいで帰るのだそうです。ところで
富士山と白山の高さの差は約1074m。随分と分厚いわらじだった
のですね。

東北の鳥海山にもこんな話があります。鳥海山も自分が日本で一番
高い山だと思っていました。ところがある旅人がきて、富士山の方
がずっと高いと聞き腹を立ててしまいました。くやしくてくやしく
て、いても立ってもいられず、頭だけ遠く海の方へ飛んでいってし
まいました。それがいまの飛島になったのだという。海の中にある
島ですが、鳥海山と同じ神さまをまつってあるそうです(郷土研究
三編、山形県飛島村)(柳田國男「日本の伝説・背競べ」から)。山
でも神でも負けてくやしいのは人間と同じですね。

▼富士山【データ】
【異名・由来】
・異名:不尽、不二、布士、富慈、芙蓉峰(ふようほう)、富岳な
どの呼び方がある。

・由来:天地の富を士(つかさどる)故に富士山と号し、郡名と
作(な)す。勅使が大勢の兵士を連れて登ったので、富士山が兵
士でいっぱいになった。そこで「士に富む山=富士山」になった
(「竹取物語」)。

富士山8合9勺(はちごうきゅうしゃく=3360m)からから上、約
400万平方mは、徳川家康が富士山本宮浅間大社に寄進したとの記
録があるが、明治維新後国有地にされていた。8合目から上の神
社の施設のある約16万平方m分は1952年(昭和27)に大社に譲与
されているが、富士山頂が返還されなかったため、大社側が国を
相手取って裁判を起こしました。

1974年(昭和49)、最高裁の判決で大社側の所有が認められた。し
かし静岡、山梨の県境が確定しておらず、登記手続きがとれず(東
海財務局)、2004年(平成16)12月17日、土地の所有権が国から富
士山本宮浅間神社に移った。(2004年(平成16)12月18付け朝日新
聞から)。

しかし、土地の所有権は認められはしたものの、山頂付近の静岡
県と山梨県の県境はまだ定まっていないという。したがって、土地
登記が出来ずじまい。住所は、もちろん静岡県でもなく山梨県でも
ない。

所在地は、日本国富士山無番地なのだそうです。同大社側は「これ
で所有権の手続きは解決した。県境の問題は県民感情もあり、登記
に向けて時間をかけて解決したい」と話しているという。2013年
(平成25)6月22日、ユネスコの世界遺産委員会により、世界文
化遺産に登録。

【所在地】富士山頂
・山梨県富士吉田市、同県南都留郡鳴沢村と静岡県富士宮市、富
士市、御殿場市・同県駿東郡小山町との境だが八合目付近から上
部は富士山本宮浅間大社の「私有地」になっており、境界がはっ
きりしていない(電子ポータル地形図には山梨県の町村境のライ
ンが引いてある)。

・富士急行河口湖駅からバス、河口湖口五合目から5時間30分で
富士山頂。山頂剣ヶ峰に電子基準点(3777.39m)と二等三角点(3
775.63m)、白山岳に二等三角点(3756.36m)がある。火口内に写
真測量による標高点(3535m・標石はない)がある。

【位置】
(山頂剣ヶ峰に電子基準点と三角点、白山岳に三角点、火口内に
標高点がある)
・剣ヶ峰電子基準点:北緯35度21分38.78秒、東経138度43分38.24

・剣ヶ峰三角点:北緯35度21分38.26秒、東経138度43分38.51秒
・白山岳三角点:北緯35度22分00.02秒、東経138度43分46.42秒
・火口内標高点:北緯35度21分46.51秒、東経138度43分53.22秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図:「富士山(甲府)」

【参考文献】
・『伊呂波字類抄』(『色葉字類抄』いろはじるいしょう)(編者・橘
忠兼)平安末期・院政期成立の国語辞書
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『信州の伝説』(日本の伝説3)浅川欽一ほか(角川書店)1976
年(昭和51)
・『日本伝説大系5・南関東』(千葉・埼玉・東京・神奈川・山梨)
宮田登ほか(みずうみ書房)1986年(昭和61)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・「山の伝説」日本アルプス編(青木純二)(丁未出版)1930年(昭
和5)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ちくま文庫)1990年(平成2)

ゆ-もぁイラスト・漫画家・
山と田園の画文ライター
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