山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼882号 北アルプス・立山雄山・牛になった天狗

立山雄山神社本社の宝物に開山「有頼」が所持していたという刀、
またその時有頼が熊を射た矢の根、鬼牙一つ、角二つのほか、牛に
なった天狗の爪があるという。いずれも立山雄山、剱岳の周辺に伝
わる伝説に登場するもので、いまでも宝物として奉納されていると
いう。公開はしないんでしょうね。
(本文は下記にあります)

【本文】

♪越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ、と歌
われる立山は、僧徒たちにとって特別な山。民衆でも朝日の昇る
立山の方に向かって汚れた腰巻きなど干さないようになどと戒めら
れたという。

信仰の対象の雄山神社は立山の山麓に富山県中新川郡立山町岩峅
寺(いわくらじ)に雄山神社前立社壇(まえだちしゃだん)、同じ
く立山町芦峅寺(あしくらじ)に中宮祈願殿があります。それに対
して、雄山頂上にある社殿を峰本社と称して本社としています。

その雄山神社本社の什物(ほうもつ)に、立山開山の時の逸話に
登場する「有頼」が所持していたという刀、またその時有頼が熊
に放ったとする矢の根(蟇股の鏃・かりまたのやじり)、行基菩薩
が奉納したとされる錫杖(しゃくじょう・行者が持っている杖)
のほか、鬼牙一つ(北山石蔵の口牙)、角二つ(若狭老尼の額角)、
駒角(藤義丞が馬になったとき生えた角)、牛になった天狗の爪(光
蔵坊天狗の手爪)があるという。いずれも立山雄山、剱岳の周辺
に伝わる伝説に登場するもので、いまでも宝物として奉納されて
いるという。

江戸時代の図入り百科事典『和漢三才図会・わかんさんさいずえ』
(寺島良安)の「巻第六十八」には大体次のように書かれていま
す。鬼牙一つ(北山石蔵の口牙)については、「室堂 左に三宝崩
れという山がある。昔、飛騨小萱(こかや)郷に北山石蔵という
ものがいた。

生まれつき「貧欲猛悪」で、いつも動物の命を奪い人を害し、つ
いに自ら鬼神に化けて、尖(とがり)牙が生えここに隠れていた。
しかし別山の金剛童子に追い払われ、牙が抜けて口は噤(こも)
ってしまい死んでしまった。その牙はいまもあって宝物となって
いる」。

また、角二つ(若狭老尼の額角)は、「伝によれば、昔、若狭(わ
かさ)小浜(おばま)の女僧止宇呂尼(とうろに)というものが、
壮年の女一人、童女一人を伴って強引に女人結界の山に登った。
そのため、山神の怒りにふれてここで壮女はたちまち杉の木と化
した。よって美女杉という。

彼の童女は怖れて進むことができなかった。ときに尼は尿(ゆば
り)をしながら、そのありさまを見て大変ののしった。その地に
深さいくらとも分からぬ穴ができた。そこを叱尿(しかりばり)
という。若狭の老尼はここでついに額に角(つの)が生えて石と
化した。それを姥石(うばいし)といい、そこを姥ヶ懐という。
その角(つの)はいまもあって宝物となっている」とあります。

また、駒角(藤義丞が馬に化したとき生えた角)については、「奥
州板割沢に藤義丞というものがいて、立山に登山し、しきりに居
眠して馬に変じた。また角(つの)も生えたといい、その角は宝
物としていまも存している」。

さらに天狗の爪(光蔵坊天狗の手爪)について『和漢三才図会』(寺
島良安)は、森尻地区(もりしり・富山県中新川郡上市町森尻。
ここにある神度神社は、江戸時代は立山社とか立山権現といってい
ました)に智明坊というものがいた。

この坊さんは生まれつき「驕慢」で、にわかに牛の吼(ほ)える
ような声を出し、ついに天狗と化し、自ら光蔵坊と名のって市の
谷に棲んでいた。剱岳の刀尾天神(たちおてんじん・山麓を含め
て剱岳、、立山一帯の地主神)は光蔵坊を追い出したが、光蔵坊は
逃げるとき一つの爪を落としていった」と記しています。

これについて、天狗研究の第一人者知切光歳氏は「『越中旧事記』
という本にも…智明坊なる僧、性驕慢にして、俄に牛の吠ゆるが
如き声して、天狗に変じ、光蔵坊と称せしを、立山権現の追ひ出
し給えるとき、一爪(いっそう)を遺せし…とあり、はじめ、智
明坊という僧であったとあるが、芦峅寺の衆徒か客僧が、突然、
天狗に変容したというのだから、一度は骨身を削る文覚的荒行を
修した行者にちがいない」としています。この山を追い立てられ
た光蔵坊がその後どこにすんでいるのか知りたがっています。

また一説では、「智妙房(『和漢三才図会』での智明坊)なる者、
僧坊にありながら強欲非道慢心虚栄の悪心の持ち主であったが、あ
る年に多くの檀那衆の先達として立山案内をしたとき、一同ようよ
うに一ノ谷の鎖につかまって這い上がり、やれやれと見渡すと、案
内先達の智妙房が不思議や突然に牛の姿に変身し、袈裟(けさ)を
掛けたまま谷を越えて笹原に迷い迷い行くので、一同打ち驚き口々
に智妙房の名を大声に呼べど、牛の鳴き声を残しながら見えなくな
ってしまった。

一同せん方なく恐る恐る参詣を済まし、一ノ谷の上から原に向かっ
て智妙房の名を大声で呼ぶと、一頭の牛が此方へ向いて来るやに見
えたが、そのまま遠吠えだけに終わったという。

その後智妙房は、一心懺悔して懺悔改心して泰澄大師の手によって
救済され、光蔵坊と申す天狗に生まれ変わり、長く立山の天狗山に
棲んだと伝えられ、その爪が社石としていまに残っている」とあり
ます(「立山をめぐる伝承説話」佐伯幸長『山岳宗教史研究叢書10』
に収納)。この話、ものすごく興味がありますが、このような宝物
は一般公開しないのでしょうね。

▼立山雄山【データ】
【所在地】
・富山県中新川郡立山町。富山地方鉄道立山駅の東22キロ。富山
地方鉄道立山駅からケーブル、美女平からバス、室堂から2時間3
0分で雄山。一等三角点(標高2991.6m)と写真測量による標高点
(3003m)と雄山神社がある。地形図に雄山の山名と雄山神社に
標高点の標高と南方85mに三角点の記号とその標高の記載あり。

【位置】
・標高点:北緯36度34分23.49秒、東経137度37分04.38秒
・三角点:北緯36度34分21.23秒、東経137度37分2.85秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」or「黒部湖(高山) 」(2
図葉名と重なる)。

▼【参考文献】
・『山岳宗教史研究叢書10・白山・立山と北陸修験道』高瀬重雄編
(名著出版)1977年(昭和52)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『和漢三才図会』寺島良安:東洋文庫「和漢三才図会・10』(巻
第66〜巻第68)島田勇雄ほか訳注(平凡社)1988年(昭和63)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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