山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼858号 「天狗とは(天狗のはじまり)」

▼858号 「天狗とは(天狗のはじまり)」

【本文】
山を歩いていると天狗岳、天狗岩、天狗平などの地名をよく見かけ
ます。辞典で天狗を引いてみると「深山に住むといわれる怪物。人
間の形をして顔が赤く、鼻が高く、不老不死、神通力で自由に空を
飛ぶいたずらもの」とあります。

ところで、中国では古くから災いをもたらすといわれる、天かける
星・流星やすい星を天狗といっていたそうです。中国の古書「史記
天官集」第五には「テングは状大奔星の如くにして声あり、その下
りて地に止まるや狗に類すウンヌン」とあり、やはり流星をテング
星と呼んでいます。

『日本書紀』(巻第二十三)舒明天皇9年の条に、九年春二月(き
さらぎ)丙辰(ひのえたつ)の朔(ついたち)戊寅(つちのえとら
のひ)に大きなる星、東(ひむがし)より西に流る。便(すなわち)
音ありて雷(いかづち)に似たり、時の人の曰(い)はく、「流星
(ながれぼし)の音なり」といふ。

亦(また)は曰(い)はく、地雷(ちのいかづち)なり」といふ。
是(ここ)、僧旻(みん)僧(ふふし)が曰(い)はく、「流星に非
(あら)ず。是(これ)天狗(あまつきつね)なり。其の吠ゆる声
雷(いかづち)に似たらくのみ」といふ(岩波文庫「日本書紀4」)。
と何やらコムズカシそうな言葉がならんでいます。

つまり、飛鳥時代、舒明天皇9(637)年のきさらぎの丙辰(ひの
えたつ)の23日に、都の空に突然大彗星が現われ、ゴロゴロと雷
のような音をたてながら西の方に飛んでいった。不吉の前兆と不安
がる人々に、中国への留学から帰国したばかりの僧の旻が、「これ
はあまつきつねなり」といったというのです。

これが日本で最初の天狗の記録だということです。この時代にはい
までいうテングのイメージはうまれていないようです。平安時代前期の
推定される『先代旧事本紀』には、素佐男命の吐瀉物から化ったとい
う極悪神・天逆姫(ざこひめ)、その子の天逆雄神(ざこを)が登場。

その後、天狗の記録は200数十年間なにもなく、平安中期になり『源
氏物語』、『宇都保物語』などに登場しはじめ、平安時代後期の『今
昔物語』に「今は昔、天竺に天狗ありけり」とちらほら出てくるようにな
ります。

鎌倉時代になってからは『平治物語』の京都鞍馬山で牛若丸が天狗
を師として修行する話や、『平家物語』、『源平盛衰記』などにゾロ
ゾロ出てくるようになります。

しかし当時の天狗は、くちばしのとがったトンビのような顔、全身
毛むくじゃらのけもの姿のカラス天狗でした。いまのような鼻の高
い山伏姿の天狗があらわれたのは室町末期になってからだそうで
す。

さらに下った南北朝のあたりから、天狗思想は修験道と結びつき、
寺院と同じようにそれぞれの山号に僧正、阿闍梨(あじゃり)、内
供奉(ないぐぶ)、道了薩?(土偏に垂・さった)などの名前がつ
けられはじめます。天狗たちが一番活躍したのはこの南北朝時代の
ようです。

天狗というと日本特有の魔界だとされていますが、外国にも天狗は
いたようです。『是害坊絵巻』(鎌倉時代)によると、中国の大天狗
の首領・是害坊(ぜがいぼう)天狗が、日本の比叡山の坊さんに戦
いを挑むためやってきて、愛宕山の天狗集団の所にわらじをぬいだ
という。そして何回か僧と戦いましたが負けてしまったそうです。

これでは「格好」悪くて本国へ帰れないだろうと、愛宕山の天狗に
そそのかされて3度目に挑戦しましたが、こんどは座主(ざす)の
慈恵大師が相手でしたからたまりません。さんざん打ちのめされて
本国へ逃げ帰ったということです。

▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「天狗の足跡」平田正春(発行不明)
・『日本書紀』720年(養老4):岩波文庫「日本書紀」全5巻(校
注・坂本太郎ほか)(岩波書店)1995年(平成7)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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