山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼838号 「カールが売りの北アルプス・薬師岳」

【概略】
太陽の加減で1日に5回色が変わるといわれる薬師岳。東斜面に
は南から北へ南陵カール、中央カール、金作谷カール、そして北
カール(不明瞭)と、4つの大カールががならび、薬師岳の圏谷
群として、昭和27(1952)年、国の特別天然記念物に指定されて
いる。
・富山県富山市

▼838号 「カールが売りの北アルプス・薬師岳」

【本文】
富山県富山市(旧上新川郡大山町)にそびえる、北アルプス薬師
岳(2926m)は本当に雄大でどっしりとしています。山頂には立
派な祠が建っており、中に薬師如来や観音像が鎮座しています。

祠の屋根の下には鐘がぶら下がっていて、時おり登山者が鳴らす
音が響きます。薬師岳から北へ歩いて40分位のところに北薬師岳
があり、南へ1時間足らずのところに薬師岳山荘があります。

「富山県山名録」によれば、この山は「太陽で1日に5回色が変わ
るといわれ、夕日に赤く染まる姿はとくに美しい」という。

東斜面には南から北へ南陵カール、中央カール、金作谷(だん)
カール、そして北カール(谷壁が崩壊した不明瞭)と、4つの大
カールががならび、薬師岳の圏谷群として、昭和27(1952)年、
国の特別天然記念物に指定されています。

その直下に黒部渓谷の上廊下があって、そこを隔てて雲ノ平、そ
の先に水晶岳、ならんで赤牛岳が望めます。西側ふもとに有峰湖
という有峰ダムにせき止められた有峰湖があります。

この湖底には、かつては平家の落人が開いたとつたえる有峰の村
がありました。そこにはこんな伝説が残っています。

昔、この村に駕籠の担架棒作りを仕事としているミザの松という
貧しい職人がいたそうです。ある日、担架棒を作る木を探しに行
ったのか、「ミザの平」というとところで、ついウツラウツラとし
てしまいました。

すると「ミザの松、ミザの松」という声で目をさますと光り輝く
薬師如来がおわします。ミザの松は驚いて如来のもとにかけ寄る
と如来は遠くにおわします。

みざの松がかけ寄ると如来はまた遠くにおわします。後を追いか
けていくうちに次第に山が高くなり、如来は如来は五ノ目の自然
石でできたお堂に入って姿が消えたというのです。

「これはきっと薬師如来がこの山にお堂を造らせるために導いた
のだ」と思ったミサノ松は、山頂にお堂を建て、村に里薬師をも
建立、薬師如来をまつったといいます。

以前、有峰村には旧暦6月25日の「岳の薬師」のお祭りがあって、
村民の15歳から50歳までの男子が登山参拝する習わしがあった
という。

祭りの1週間も前から厳重な物忌みが行われ、家から出るときに
は塩で身を清め、なおも太郎兵衛平や薬師岳の雪氷で、3回けが
れを落とす習わしだったという。

頂上手前180mからは素足になり、山頂にヒエでつくった白酒の
御神酒をあげ、願いごとのある人は鉄板を切り抜いた剣を奉納し
たといいます。ここもかつては女人禁制の山で、当時は女性は真
川谷で引き返す掟だったという。

奉納した鉄剣は長さ4〜5寸、厚さはさまざまで、ある文献には
1955年(昭和30)ころまであったがいまはないとあります。しか
し私が訪れた時は祠の前には剣の形をした鉄板がたくさん散らば
っていました。のちにお参りした時のものでしょうか。

「薬師岳の信仰と有峰びと」(広瀬誠)によれば、かつて山頂の祠
は白木造りで南面間口8尺、奥行き3尺くらいで、三つに仕切ら
れ、左側が薬師如来、真ん中が宝蔵になっており、右側が山の神
をまつってあったという。

江戸時代文化12年の「有峰御薬師参詣」(浮田家文書)には「東ノ
御間 御薬師尊・御地蔵尊「中ノ間 御たから也」「西ノ御間 山
ノ御神」とありお地蔵さんも合わせまつっていたこともあったとい
う(「薬師岳の信仰と有峰びと」)。

まつられていた薬師如来は1尺7、8寸の黄金立像で、百数十年
前に盗まれて大阪へ売られたことがあったという。その時「有峰
に帰りたい」というご託宣があり、恐れて送り返したといいます。

しかし、その後再び盗難にかかり、現在行方不明になっているそ
うです。いまある薬師岳山頂の祠は1959年(昭和34)、旧上新川
郡大山町観光協会の手で再建されたものというから丈夫にできて
いるものですね。

屋根の岩をたくさん乗せ、ガラス戸で中が見えるようになっていま
すが、風雪によく耐えるものです。

中は金色の焼きし如来がよく目立ち、向かって左方に赤や黄色、青
い布で編んだ紐のようなものが下げられ、そのわきに色彩を施した
神像がまつられ、薬師如来の右側には山の神でしょうか、錫杖を持
った手に大きな数珠をかけられた像が恐い顔をしてにらんでいま
す。役ノ行者のようですが、頭に二つ瘤のような角があります。

その後ろには古書にあるようにやはりたくさんの石仏がならんでい
ます。有峰の村は1920(大正9)年、県営ダム建設のため全域を
県が買い上げ、住民は全員、富山や大庄、大沢野、舟津などに移
住したそうです。

▼薬師岳【データ】
【山名・地名】・薬師如来の信仰から命名。

【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)。富山地方
鉄道立山線有峰口駅の南東19キロ。富山地方鉄道立山線有峰口駅
からバス・折立から歩いて8時間で北ア薬師岳。二等三角点
(2926.01m)がある。地形図に三角点標高と卍寺院記号、南方に
避難小屋の記載あり。

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「薬師岳(高山)」。5万分の1地形図「高
山−槍ヶ岳」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典16・富山県」坂井誠一ほか編(角川書店)
1979年(昭和54)
・「山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化」五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」高瀬重雄ほか(平凡社)
1994年(平成6)
・「薬師岳の信仰と有峰びと」広瀬誠著:「山岳宗教史研究叢書10・
白山・立山と北陸修験道」高瀬重雄編(名著出版)1977年(昭和
52)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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