山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼827号 「南ア前衛・山梨県釜無山」

【概略】
生い茂った笹の中にわずかな踏みあと。まるで笹の波を泳いでいく
ような中、目の前が開け前方になだらかな山頂があらわた。ササの
葉だけがゆれる。平らな山頂は眺望はない。西側が開けていれば中
央アルプスが目前なのにもったいない山ではある。
・長野県伊那市と富士見町との境

▼827号 「南ア前衛・山梨県釜無山」

【本文】
スズランの山として有名な山梨県入笠山の南方にある釜無山(かま
なしやま)は、観光地化された入笠山の陰に隠れ、また山頂が黒木
などに覆われて眺望に恵まれていないためもあって訪れる人は少な
い。

この山は赤石山脈最北部、甲斐駒ヶ岳・鳳凰山系の北端をなしてい
る山。「日本山岳ルーツ大辞典」によれば、釜無山の「カマ」とは
滝のことをいう地形語で、この山には滝らしい滝がひとつもないと
いう山名だとあります。また。東面を流れる釜無川からついたとす
る説もあります。

この山は、甲州側(山梨県側)・諏訪側(長野県側)双方共通の入
会になっていたそうで、江戸時代前半の延宝8年(1680)9月、御
鷹山への出入りの禁止、大木伐採の禁止、他国の杣の入山禁止、萩
・蓬・藤葉などを山の口開け以前に刈ることの禁止などを申し合わ
せているそうです(「釜無山入会議定書」平岡共有)。

しかし元禄12年(1699)以後、しばしば山論が繰り返されて、と
くに文政10年(1827)には御射山神戸村の入会地囲みに端を発し
た山論が起こり、釜無山への立ち入り禁止(山留)に反対する強訴
事件があった(「日本歴史地名大系20・長野県の地名」)といいま
す。どこの山でも山中の草木材料の所有権争いが起こっているので
すね。

釜無川は一級河川。甲斐駒ヶ岳、鋸岳とつづく横岳峠に発する本谷
と鋸岳東方の七っ釜付近に発する中ノ川が釜無橋付近で合流して釜
無川となって一旦北流、富士見町落合小学校付近から流れを東に変
え、甲府盆地を通り上流とは真反対の南へと流れ、笛吹川と合流し
て富士川となり駿河湾へそそいでいます。

建設省の河川台帳では釜無川を含めて富士川となっていて、釜無川
の名は俗称になるのだそうですが、山梨県の台帳にはこれを用いて
いるという。上流端から笛吹川合流し富士川になるまでの流路は延
長61キロといいます。

江戸時代の地誌である「甲斐國志」には「本州ノ人深譚ヲ釜ト云フ、
此ノ下流ニ至リテハ砂川ニテ深譚ナシ、故ニ釜無川ト呼ブ」。また
「甲斐叢記」には「釜はクマの転語にてクマナシは曲がれる隈のな
き義なり(中略)蓋(けだし)信濃の千曲川に対て称る名ならんか」
(「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」)とあります。

この川は日本三大急流の上流部にあたり、上流部に花崗岩地域を持
つことから、荒れ川として有名で武田信玄の信玄堤も山梨県竜王町
付近にあるそうです。

川の名はまた、流水が温暖で釜をたく必要がないためにその名がつ
いたともいいます。さらに水流膨張して氾濫「隈無し」から釜無と
名づけられたという説もあるそうです。

ある年の6月、コナシの花が咲き乱れる入笠山JA牧場のテント場
を後にし、大阿原湿原を経由して釜無山に向かいました。

林道作業のクルマが2、3走る舗装道路を進むと登山口がありまし
た。標識に導かれ山中に入りました。導かれてとはいっても生い茂
って地面も見えない笹の中にわずかな踏みあとがあるだけ。

まるで笹の波を泳いでいくようです。そんな中目の前がパッと開け、
前方になだらかな山頂があらわれました。ササの葉だけがゆれてい
ます。

あとは道なりに進むだけ。平らな山頂は黒木に覆われて眺望はあり
ません。これで西側が開ければ中央アルプスが目前なのにもったい
ないことだと三角点を触りながら思ったことでした。

▼【データ】
山名:釜無山(釜無山)

・【異名・由来】
由来:釜無山の「カマ」とは滝のことをいう地形語で、この山には
滝らしい滝がひとつもないという山名(「日本山岳ルーツ大辞典」)。
東面を流れる釜無川からついたとする説もあります。

・【所在地】
長野県伊那市長谷(旧上伊那郡長谷村)と長野県諏訪郡富士見町と
の境。中央線小淵沢駅の西12キロ。JR中央本線青柳駅から歩い
て6時間40分で釜無山頂。三等三角点(2116.5m)がある。地形
図に山名と三角点の記載あり。付近に何も記載なし。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【釜無山三角点】緯度経度:北緯35度51分18.16秒、東経138度11
分10.05秒

・【地図】
2万5千分の1地形図「信濃富士見(甲府)」。5万分の1地形図「甲
府−高遠」

・【参考文献】
「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)1984
年(昭和59)
「角川日本地名大辞典20・長野」(角川書店)1991年(平成3)
「コンサイス日本山名辞典」徳久球雄編(三省堂)1979年(昭和54)
「コンサイス日本地名事典」三省堂編修所(三省堂)1987年(昭
和62)
「信州百名山」清水栄一著(桐原書店)1990年(平成2)
「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」磯貝正義ほか(平凡社)1995
年(平成7)
「日本歴史地名大系20・長野県の地名」一志茂樹ほか(平凡社)1990
年(平成2)

 

 

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