山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼812号 「奥日光白根山・一属一種シラネアオイ」

【概略】
シラネアオイは「白根葵」の意味。日光の白根山に多く、花がタチ
アオイに似るため名づけられた。鹿の食害や盗掘などから一時、絶
滅を心配されたが地元有志の懸命な復旧作業のお陰でいまはもとの
ようになりつつあるいう。
・キンポウゲ科シラネアオイ属の多年生草本。一属一種の日本固有種

▼812号 「奥日光白根山・一属一種シラネアオイ」

【本文】
7月の声を聞くと、奥日光白根山へシラネアオイを見に毎年行って
いたことありました。日光白根山直下の弥陀ヶ池一帯に咲き乱れる、
みずみずしい青紫色の大きな4弁の花。登山者はカメラをのぞくの
に夢中です。

シラネアオイはドイツの医師・博物学者シーボルト(1796〜1866)
・江戸後期の文政6年(1823)オランダ商館付き医師として長崎に
着任、日本の歴史・地理・言語・動植物などを研究)が、日本から
持ち帰った標本にもとずき、ツッカリーニ(1797〜1848)がキン
ポウゲ科の植物として発表して以来、長い間、キンポウゲ科と見な
されていたそうです。

しかし、近畿大学教授の田村道夫教授が、雄しべが多数あり、遠心
的に発生すること、雌しべは2個しかなく、互いにもとで合着する
こと、雌しべは成熟すると、この合着部分が伸びて四角形の袋果と
なることなど、キンポウゲ科との相違を詳しく研究。1972年(昭
和47)、オトギリソウ目の一科として、シラネアオイ科であると提
唱。

その後、ヤング(1982年、キンポウゲ目)、ソーン(1983年、ボタ
ン目とする)、ダールグレン(1983年、キンポウゲ目)、タハタジ
ャン(1987年、シラネアオイ目)などいろいろな学者により独立
した科として認められ、いまではシラネアオイ科は日本の被子植物
中、ただひとつの固有の科とみるのが「定説」になっているそうで
す(週刊朝日百科「植物の世界・092号」)。

シラネアオイは、本編では高山植物としましたが、低山帯から高山
帯まで、生える中型の多年草です。高さ15センチ〜60センチほど。
太い根茎の先に1枚の根生葉をつけるか1本の地上茎を立てていま
す。

地上茎には根生葉がなく、茎葉は3枚、下の2枚は直径8センチ〜
20センチ。掌状に切れ込んで長い柄がありますが、上の1枚は丸
くて小さく柄がありません。

花は一個で、直径3〜10センチ、4枚の淡紅紫色のものはがく片
で、花はその中にあるたくさん集まった黄色い部分。花弁はないの
だそうです。

北海道から本州の北アルプスの後立山連峰および槍ヶ岳までの中部
山岳地帯・日本海寄りに分布しています。大きながく片は本州に生
えているものは先の方が鋭く尖り、北海道にあるものは鈍い傾向が
あるという。

ちなみに名は白根葵の意味で、日光の白根山に多く生え、しかも花
がタチアオイに似るところから名づけられたという。群生地の火口
湖・弥陀ヶ池のシラネアオイは、鹿の食害や盗掘などから一時、絶
滅するのかとまでいわれていました。

しかし、地元有志が懸命に復旧作業に励んだお陰でいまはもとのよ
うになりつつあると聞いています。
・キンポウゲ科シラネアオイ属の多年生草本。一属一種の日本固有


▼【参考文献】
「植物の世界・092号」(週刊朝日百科)(朝日新聞社)1996年(平
成8)
「世界の植物・全120巻」(週刊朝日百科)(朝日新聞社)1978年(昭
和53)
「日本大百科全書・12」(小学館)1986年(昭和61)
「日本の野草」(山と渓谷社)1983年(昭和58)
「牧野新日本植物図鑑」牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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