山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼781号 「奥武蔵・多峯主山とハンノウザサ」

【概略】
数多い周囲の山の中でも主峰という多峯主山。ここにあるハンノウ
ザサは牧野富太郎が発見・命名した固有の種だという。しかし、現
在アズマザサと同一種と考えられていて図鑑には載っていません。
でも命名されたのはこちらの方が早いというので「ハンノウザサ」
の名を使う研究者もいるという。
・埼玉県飯能市

▼781号 「奥武蔵・多峯主山とハンノウザサ」

【本文】
埼玉県奥武蔵の入口に多峯主山という山があります。多峯主と書
いて「とうのす」と読むそうです。山名については、山頂または
山中の平坦地などに砂地の多い山の意。また周囲に数多い山の中
で中心の山という説もあります。

江戸時代中期の1765年(明和2) に経文を書いた石を土中に埋めて
築かれたという経塚や、上州沼田藩主黒田直邦の大名墓があると
いう。また湿地帯にある池は「雨乞いの池」だとされ、「池の水を
汚すと雨が降る」とか、「鼻をつまんで池の周りを七まわりすると
異変が起こる」などと説明されています。

そこから多峯主山に登る坂は見返り坂といい、源義経の母・常盤
御前がこの山に登ったとき、あまりの景観のよさに後を振り返り、
振り返り、登ったことによりこの名がついたといわれていると現
地の看板にあります。この見返り坂に、植物学者・故牧野富太郎
博士が発見、命名したハンノウザサ(飯能笹)の植生があります。

この笹は「アズマザサの仲間で、根茎は横に走り、茎はこげ茶色
をしてまっすぐ立ち、高さは150センチ前後、直径0.6センチほど。
茎の上部で枝が分かれ、枝の端には手のひらを広げたように数枚
の葉が集まってついている。葉は細長く、長さ13〜20センチ、幅
2センチ内外で先はとがっている。

質は薄い洋紙質で表面は毛がなく裏面にはビロード状の細毛があ
る。中央の脈は細く裏面に隆起しており、この両側に5〜8本の
脈をもっていて、冬期に葉のふちは白色となる。一見普通の笹の
ように見えるが、幹の色、枝の出方などに特色がある。繁殖力は
さほどなく、古くからこの地にのみ限られて生えている」との説
明です。

現在この種はアズマザサと同一種と考えられておりこちらの名を
使い、ハンノウザサの名は「牧野新日本植物図鑑」にも取り上げ
られておらず、ほかの図鑑にも見あたりません。しかし、研究者
によってはハンノウザサの命名の方が早いということから「ハン
ノウザサ」の名を使う人もいるそうですよ。

なお、常盤御前の名が出てきましたが、鎌倉時代初っ端の文治2
年(1186)、常盤御前が京都一条河崎観音堂あたりで、鎌倉勢に発
見され、捕らわれたことになっています。史実ではその後、鎌倉に
送られた形跡もなく、のち釈放された模様で、以後、常盤御前に関
する記録はないようです。

常磐御前はこの時、鎌倉に送られ、一時、人目を避けて奥多摩の高
水山の北方の山中で暮らしたという伝説があります。その時この
多峯主山付近にも立ち寄ったのでしょうか。
・イネ科アズマササ属の小形の常緑竹

▼多峰主山【データ】
山名:とうのすやま

★【異名・由来】
由来:山頂または山の平坦地などに砂地の多い山。周囲の山々の中
で中心の山という説もある(「日本山岳ルーツ大辞典」)。

★【所在地】
埼玉県飯能市。西武新宿線飯能駅から歩いて1時間で多峯主山。三
角点(271m)がある。そのほか付近に何もなし。地形図上には山
名(多峯主山)と三角点の記号とその標高のみ記載。付近に何も記
載なし。

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【多峰主山三等三角点】緯度経度:北緯35度52分05.33秒、東経139
度17分52.59秒

★【地図】
2万5千分の1地形図「飯能(東京)」。5万分の1地形図「東京−
川越」

★参考】
「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
「郷土資料事典11・埼玉県」ふるさとの文化遺産(人文社)1997年
(平成9)
「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
「植物の世界・11」(朝日新聞社)1996年(平成8)
「世界の植物・8」(朝日新聞社)1975年(昭和50)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

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