山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼740号 「奈良県大峰山・山上ヶ岳と役ノ行者」

【概略】
【序文】
山上ヶ岳の大峰山寺は役ノ小角行者が修行中に感得した蔵王権現を
まつっています。行者は全国各地の山々80座以上も開山したと伝え
られる修験道の開祖です。江戸後期になり、朝廷から「神変大菩薩」
の称号が贈られ、いま大峰山寺わきに「神変大菩薩壹千貳百年御遠
忌」の像が建っています。
・奈良県天川村

▼740号 「奈良県大峰山・山上ヶ岳と役ノ行者」

【本文】
修験道の山山上ヶ岳。山頂には役ノ行者が感得した蔵王権現を祭る
大峰山寺があり、峰々のいたる所に行者の石像が建っています。役
ノ行者は本名役小角。修験道の開祖とされ、全国80数座の山々を開
いたと伝えられています。

飛鳥時代の634年、舒明(じょめい)天皇6年(634)の正月、大和
国(奈良県)南葛城郡茅原(ちばら)、いまの奈良県御所市茅原の
吉祥草寺で生まれたとされています。

吉祥草寺の境内には、いまでも行者が浸かった産湯の井戸や腰掛け
石があります。

行者の本名は役ノ小角(えんのおづぬ)。役ノ公(えんのきみ)、役
優婆塞(えんのうばそく)、小角仙人などとも呼ばれています。

子どものときから神童といわれ、子供のころからひとり石を拾って
は仏像や仏塔を造っていたという。13歳のころから、葛城山(金剛
山)に入り、山の霊気と一体となり、家に帰らない日も多かったと
いう。

32歳のとき、葛城山(いまの金剛山)に入り山岳修行。ついに思い
のままに行動できる呪術(じゅじゅつ)を得たといいます。39歳の
ころ蔵王権現を感得。

62歳(伝記によっては64歳)の時、一言主神の讒奏により朝廷の捕
らえられ、伊豆の大島に流されます。しかし行者は、昼間は命に服
してはいますが、夜になると波をけり、富士山に登って修行したと
いう。

その後奈良へ帰った行者は、母親を鉢に乗せ唐へ飛び立ったという。
そんなことから「本朝神仙伝」は37人中、5番目の仙人にあげてい
ます。

江戸後期になると朝廷から「神変大菩薩」の称号が送られ、いま山
上ヶ岳大峰山寺わきに「神変大菩薩壹千貳百年御遠忌」の像が建っ
ています。

▼山上ヶ岳【データ】
山名:さんじょうがたけ

★【所在地】
・奈良県吉野郡天川村。近鉄吉野線吉野駅の南東14キロ。近鉄吉野線
下市口からバス洞川下車、歩いて3時間30分で山上ヶ岳。一等三角
点(1719.2m)と蔵王権現を祭る大峰山寺がある。地形図に山名と
三角点の標高、大峰山寺と山上宿坊、西ノ覗岩大峰山寺境内、東ノ
覗岩の文字の記載あり。

★【名山】
・「日本三百名山」(日本山岳会選定):第288番選定:日本百名山以
外に200山を加えたもの。

★【位置】
・山上ヶ岳三角点:北緯34度15分8.58秒、東経135度56分27.8秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「弥山(和歌山)」or「洞川(和歌山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「和歌山−山上ヶ岳」

★【参考】
・『日本霊異記』:中田祝夫校注・訳「日本霊異記」日本古典文学全
集・第6巻(小学館)1993年(平成5)
・『扶桑略記』阿闍梨皇円(?〜1169年)黒板勝美ほか編輯(新訂
増補国史大系第12巻)(吉川弘文館)1974年(昭和49)
・『本朝神仙伝』大江匡房著:(日本古典全書・古本説話集 川口久
雄・校注)(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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山と田園の画文ライター
イラストレーター・ゆ-もぁ漫画家
【とよだ 時】

 

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