山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼730号 「北ア喜作新道と大天井岳」

【概略】
喜作新道ができる前は、燕岳から槍ヶ岳へは常念岳の北の鞍部を下
ったという。そういえば数年前まで常念小屋から一ノ俣谷へ下るコース
がありました。いまは中房温泉から燕、大天井岳の北側をトラバースす
るルートがあり、3日のコースになりました。
・長野県安曇野市と安曇村松本市との境

▼730号 「北ア喜作新道と大天井岳」

【本文】
天を突くような北アルプスの槍ヶ岳はあまりにも有名で、いつも
登山者の人気の的のなっています。槍ヶ岳を目指すコースに表銀
座縦走コース、裏銀座縦走コースなど面白い名前のものもありま
す。そのひとつ表銀座コースのエピソードです。

かつて長野県安曇野市中房温泉から燕岳を経由して槍ヶ岳を目指
すには、まず大天井岳(三等三角点2922m)北側切通岩から大天
井岳を南側に越えます。

そして東天上岳と常念岳の鞍部を一ノ俣谷に沿って南へ下り、横
尾から槍ヶ岳へ向かう槍沢を登るルートをたどったという。当時
は槍ヶ岳まで4日の行程だったそうです。

いまは切通岩から山頂へ登らずに、北東側をトラバースして、大
天井ヒュッテに行き、赤岩岳、西岳経由で槍ヶ岳に行くコースで
す。

この槍ヶ岳まで3日に短縮したルートは大正11(1922)年にでき
たものだそうです。これはいまの安曇野市穂高に住んでいた猟師
の小林喜作が開拓したものだという。これを喜作新道といってい
ます。

これを記念して、大天井岳の周辺には喜作のレリーフがいくつか
掲げてあり、秋には「喜作祭り」の記念山行も行っているそうで
す。槍ヶ岳直下の殺生小屋を建てたのも小林喜作だそうです。

この新道を開いた小林喜作も、大正12(1923)年3月、息子と一
緒に猟に出かけ際、後立山連峰の爺ヶ岳裏の棒小屋沢で雪崩に遭
い、亡くなってしまったということです。

いま大天井岳の山頂にある三等三角点は、明治29(1906)年、柴
山虎熊という人が測量に登り、設置したものという。

ある年の8月、きのうは喜作新道赤岩岳南のヒュッテ西岳のテン
ト場で、したたか雷に脅かされました。きょうは打って変わって
上天気。太陽がなんともまぶしい。

大天井ヒュッテから大天井岳の山頂に向かいます。ザラザラな小
石の中のジグザグ道をただテクテク登ります。急斜面上手の瓦礫
の中に、いまが盛りのコマクサの株がいくつも咲いていました。

細かく裂けたような葉が根元から生え、高さ5センチくらいの茎の
上に馬の顔に似たピンクの花を下に向けてつつましく風に揺れてい
ます。

夕べは西岳にテントを張っていました。夜、天空で暴れる雷鳴。
逃げまどう私の姿を見ていたのでしょうか。

▼【データ】大天井岳(おてんしょうだけ)
★【異名・由来】
別神明岳、御天照、御天璋、御天上、おおてんじょうだけ。「南安
曇郡誌」南安曇郡教育会1923年(大正12)

★【所在地】
・長野県安曇野市穂高(旧南安曇郡穂高町)と長野県松本市安曇(旧
南安曇郡安曇村)との境。大糸線有明駅の西16キロ。JR大糸線穂
高駅からタクシー、中房温泉から歩いて9時間30分で大天井岳。三
等三角点(2921.9m)と大天荘がある。地形図に山名と三角点の標
高と南側に大天荘、北側に切通岩の文字の記載あり。

★【ご利益】
穂高神社の分祠:福徳開運・交通安全

★【名山】
・「日本二百名山」(深田クラブ選定):第163番選定(日本百名山以
外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる)
・「信州百名山」(清水栄一選定):第64番選定

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・三等三角点:北緯36度21分54.04秒、東経137度42分03.99秒

・【地図】
2万5千分の1地形図「槍ヶ岳(高山)」。5万分の1地形図「高山
−槍ヶ岳」

★【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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