山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼676号 「南アルプス赤石岳・大聖寺平と宗良親王」

【序文】
赤石岳南麓には高貴なお方の伝承が多い。南朝の宗良親王は伊那
の奥地に幽居したという。また赤石岳北方の大聖寺平は良月親王
を埋葬した場所とも伝えています。一説には親王の御守刀の大小
(刀)を埋めたから大小寺平であるという人もいるという。そう
いえば大聖寺平は大小寺平とも書くといいます。
・静岡県静岡市と長野県大鹿村との境

▼676号 「南アルプス赤石岳・大聖寺平と宗良親王」

【本文】
南北朝時代の南朝後醍醐天皇の皇子・宗良親王は足利氏調伏を祈る
ため、赤石岳によく登ったという。【ひとり画展】487号で紹介しま
したように、赤石岳北方の大聖寺平は宗良親王の故事によるとされ
ています。大聖寺平は大小寺平とも書くそうです。

1930年(昭和5)の『山の傳説』によれば「山でなくなられた良月
(ながつき)親王の遺骨を足利勢に奪はれることを恐れた南朝の遺
臣が遺骨をこゝまで背負ひあげて埋葬申し上げたと里人は云ってゐ
る」とあります。

また「一説には親王の御守刀の大小(刀)を埋めたから大小寺平で
あるといふ人もある」とも書いています。

吉野朝廷を開いた後醍醐天皇は、地方武士を掌握するため、その皇
子たちを各地方に派遣しました。「日本史諸家系図人名辞典」では、
天皇には皇子が8人いるとされますが8番目の記載してある後村上
天皇も第7(または第8)皇子かはっきりしないような状態。

ところでここに出てくる良月親王とは?「皇室大鑑」まで探しまし
たがとうとう見つかりませんでした。

▼大聖寺平【データ】
【山名・地名】
・【異名、由来】:南北朝時代、西麓長野県側の大鹿村大河原に籠居
していた宗良親王(むねながしんのう)の故事による「大小寺平」
がもとになっている説。

【所在地】
・静岡県静岡市と長野県下伊那郡大鹿村との境。飯田線飯田駅の東
南東31キロ。JR飯田線伊那大島駅からバス・塩川終点から歩いて
三伏峠経由延べ17時間40分で大聖寺平。指導標とケルン、霊神碑が
ある。地形図上には地名と記念碑記号のみ記載。長野県大鹿村への
下山道分岐。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【大聖寺平】北緯35度28分35.42秒、東経138度09分23.79秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「赤石岳(甲府)」

【参考】
・「山の伝説」青木純二著(丁未(ていび)出版社)1930年(昭和
5)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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