山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼672号 「不思議な富士山出現伝説」

【概略】
孝霊天皇5年、琵琶湖の所がへこみ、その土で富士山が湧き出たと
いう説があります。江戸時代「孝霊五年あれをみろ、あれをみろ」
という川柳が北斎の版画にもなっています。当時は学者までが本当
と思いこみ、山が荒れると琵琶湖の土地名「近江、近江」といって
おまじないをしたそうです。

▼672号 「不思議な富士山出現伝説」

【本文】
富士山は日本人にとって大昔から特別な存在。その出現伝説がい
くつも残っています。古川柳に「孝霊五年あれをみろ、あれをみ
ろ」というのがあります。

これは「孝霊天皇五年、近江国水海湛、駿河国富士湧」。つまり孝
霊天皇五年(『日本書紀』の記述による年代計算では紀元前286年)、
江州(滋賀県)の地面がへこみ一夜のうちに駿河の国(静岡県)
に富士山が盛り上がった。そしてへこんだところに水が溜まって琵
琶湖が出現したというのです。

万治3年(1660)ころに刊行された『東海道名所記』(浅井了意)で
は、富士山は「近江のみづうみ、はじめて湛へ、その土ここにわき
出て、この山となりたり」などと記されています。寛政9年(1797)
刊の名所案内記『東海道名所図会』(文・秋里籬島)の中にも、「近
州(近江)琵琶湖とともに一夜に現ずともいい伝えたり」との一文
があります。

また江戸時代中期初頭の百科事典『和漢三才図会』(大阪の医師・
寺島良安著)巻第69にも「孝霊天皇5年(『日本書紀』の記述に
よる年代計算では紀元前286年)6月に富士山がはじめて姿を現し
た。

そもそも江州(おうみ)の湖が一夜に湧出してその土が富士山と
なったのである。だから今でも江州人は七日精進するだけでよい。
その他の人は百日潔斎してから山に登る。

登山は毎年6月上旬から7月に至るまで。その頂上には常に煙気
があって、四時いつも雪は消えない。ただ6月15日の1日だけ雪
が消え、その夜にまた降る」とあります。

一方その昔、神々が駿河と甲斐(山梨県)の間に大きな山をつく
ろうと相談。山頂を神々の集合場所とし、四方の悪神ににらみを
利かせようとしました。

これを聞いた上野(群馬県)に住む天狗が山づくりの速さの競争
を挑みました。しかし天狗と神との競争、勝てるわけがありませ
ん。とうとう天狗は途中で逃げ出しました。

こうして出来たのが富士山。神々たちはその土を近江から運び、
あとにできた大きなくぼみは琵琶湖になったといいます。そして
天狗がつくりかけた山はその名も榛名富士だという話もあります。

▼富士山頂【データ】
【山名・異名】
・富士山(ふじさん・ふじやま)、不尽、不二、布士、富慈、芙蓉
峰(ふようほう)、富岳などの呼び方がある。

【ご利益】
・【浅間神社奥宮】:【浅間神社】安産・火災除け
・【富士山本宮浅間大社】五穀豊穣、湧水守護の神

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第72番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第69 番選定)
・山梨県選定「山梨百名山」(第100番選定)

【地図】
・2万5千分の1地形図「富士山(甲府)」。5万分の1地形図「甲
府−富士山」

【参考文献】
・『山岳宗教史研究叢書・17』(名著出版)1981年(昭和56)
・『日本山岳風土記・3』(宝文館)1960年(昭和35)
・『富士山縁起』室町時代の古書の筆写本。富士宮市村山の浅間神
社宝物館に所蔵していた巻物。室町時代の古書の筆写本。富士宮市
村山の浅間神社宝物館に所蔵していた巻物:『山岳宗教史研究叢書・
17』(名著出版)1981年(昭和56)−
・『富士山・史話と伝説』遠藤秀男(名著出版)1988年(昭和63)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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