山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼612号 「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」

【前文】
ここも神話の高天原伝承地。昔、ここに土蜘蛛が住んでいたという。
土蜘蛛は鬼と同じように、古代、朝廷に従属しない先住の人々をよ
ぶ蔑視語。伝説では矢で射殺され、蜘蛛塚に埋められたという。蜘
蛛窟は杉林の中、径2m位の場所がコンクリートで固められ石碑も
建っている。
・奈良県御所市

▼612号 「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」

【本文】
 『古事記』や『日本書紀』などの神話伝説に出てくる高天原はこ
こだという所は各地にありますが、ここ奈良県御所市高天集落もそ
のひとつです。『日本書紀』(神代上・かみのよかみのまき)に出て
くる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、『古事記』(上つ巻)に出
てくる高御産巣日神(たかみむすびのかみ)を祭神とする高天彦神
社(たかまひこじんじゃ)もあります。

 昔、ここにクモのような部族・土蜘蛛が住んでいたといいます。
土蜘蛛は鬼と同じように、古代、朝廷に従属しない先住の人々をよ
ぶ蔑視語。ここ奈良県葛城地方で、土蜘蛛の史蹟が2ヶ所あります。

 ひとつは高天彦神社の北西にあたる葛城一言主神社の境内にある
土蜘蛛塚で、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活し
ないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれています。ほかの
ひとつがここ高天彦神社のそばにある蜘蛛窟。

 その昔、このあたりに足が千本もある大きな「土蜘蛛」がすんで
いて、付近の村々にいたずらや悪さのし放題。この目にあまる行為
に時の天皇は、土蜘蛛を退治するため勅使を派遣。

 勅使は字サルチ(猿伐)という所から、土蜘蛛めがけて矢を射て
殺しました。その矢が落ちたところを「矢の段」というそうです。
そして土蜘蛛を高天彦神社のそばに埋め、蜘蛛塚といったと伝えて
います(御所市史による)。

 かなり前の4月、吉野・山上ヶ岳・洞川集落などを歩くついでに、
高天彦神社から土蜘蛛の住処だったという蜘蛛の窟を訪ねました。
夕べ、東京駅から大垣夜行に乗り名古屋駅から紀勢本線・関西本線
経由、王子駅乗り換え和歌山線御所駅下車、一言主神社を訪ね土蜘
蛛塚を訪ねましたが、歩き通しで寝不足も手伝ってかなりきつい。

 蜘蛛窟は杉林の中にあり、径2m位の場所がコンクリートで固め
られ石碑も建っています。そこから伸びる踏み跡が一本続いていま
す。途中でザックをおろし、踏み跡をたどりますが行っても行って
も。

 結構な距離をいや〜歩いた歩いた。やっとたどり着いてみれば枯
れ葉で埋まった同じようなくぼ地がポツン。登山靴で切り株を蹴り
つけてやりました。



▼高天彦神社【データ】
【所在地】
・奈良県御所市高天。JR和歌山線御所駅から歩いて3時間で高天
彦神社。

【位置】(電子国土ポータル)
・高天彦神社:北緯34度25分04.77秒、東経135度41分45.61秒

▼【地図】
・2万5千分の1地形図「五條(和歌山)」or「御所(和歌山)」(2
図葉名と重なる)


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典29・奈良県』永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『続・神々の系図』川口謙二(東京美術)1980年(昭和55)
・『古事記』:新潮日本古典集成『古事記』西宮一臣校注(新潮社)2005
年(平成17)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成
4)
・『日本書紀』:岩波文庫『日本書紀(一)』坂本太郎ほか校注(岩
波書店)1996年(平成8)
・『日本歴史地名大系30・奈良県の地名』(平凡社)1981年(昭和56)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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