山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼582号 「北ア・焼岳中尾峠」

【概略】
戦国時代、飛騨高山の城主・三木秀綱は城を捨て信州に逃れた。中
尾峠を通り上高地で秀綱は坂巻温泉へ、奥方は徳本峠から島々谷へ
と別れたという。中尾峠から上高地までは梯子や鎖が続く。こんな
所を一行が?そうだ当時は爆発で大正池も出来ていないはず。別の
ルートがあったのだ。
・長野県松本市と岐阜県高山市との境

▼582号 「北ア・焼岳中尾峠」

【本文】
突然ですが、天正13(1585)年、豊臣秀吉の将・金森長近の猛攻で
飛騨高山の城主・三木秀綱は大野郡の松倉城を捨て、信州に逃れま
した。

北アルプス焼岳北峰の中尾峠を通り、上高地へ出て、そこで奥方と
別れ、別々に逃れることになりました。秀綱は坂巻温泉へ下り、奥
方は徳本峠をへて島々谷を下りました。

奥方は途中、島々谷で木こりに見つかってしまいました。木こりた
ちから見れば、こんな山奥にいるはずのない高貴なお方がお供とト
ボトボとあらわれた。しかも見たこともない高価な衣装を着たまま。

「??これは狐に違いない。なにか悪さなどせぬうち、引っ捕らえ
て化けの皮をはがせ」と奥方をあろう事か真っ裸にして木に吊して
しまいました。

翌日、村人は狐の様子を見にやってきました。奥方は木こりたちを
を睨みながら息を引き取りました。村人はさては狐ではなかったか。
大変なことをしてしまったと大騒ぎ。それ以来、村に変死者が相次
ぎます。

一方、三木秀綱も奈川村の農民に襲われ無念の最期。恐れをなした
た村人は集落に社を建て、2人を一緒に祭ったということです。

先年の7月、岐阜県側から焼岳に登り、中尾峠を通り上高地まで歩
いてみました。このルートは結構梯子や鎖が続いています。

昔、こんな所を一行が通れたのか、と思いましたが、そうだ当時は
爆発で大正池もまだ出来ていないはずです。当時は小倉村から大滝
山を越え、上口(いまの上高地)の湯屋を通って焼岳の肩の中尾峠
を越えていたという。別のルートがあったんですね。

▼【データ】
【所在地】
・長野県松本市(旧南安曇郡安曇村)と岐阜県高山市上宝町(旧岐
阜県吉城郡上宝村)との境。篠ノ井線松本駅の西34キロ。松本電鉄
新島々駅からバス、上高地から歩いて4時間50分で中尾峠(標高21
00m・等高線から)。そのほか付近に何もなし。地形図上には峠名
のみ記載。峠より北東方向直線約230mに新中尾峠がある。峠より
北東方向直線約380mに焼岳小屋がある。

【名峠】
・郷土出版社版「定本信州百峠」(第59番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【中尾峠】緯度経度:北緯36度14分04.01秒、東経137度35分27.77


【地図】
・2万5千分の1地形図「焼岳(高山)」

【参考】
・『北アルプス物語』朝日新聞松本支局編(郷土出版社)1982年(昭
和57)
・『信州峠百科』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995年(平成7)
・「信州百名山」清水栄一著(桐原書店)1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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