山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼576号 「北ア剱岳・カニのタテバイ」

【概略】
「人登る能はず、人登るべからず」の剱岳。鎖や鉄ばしごにつかま
り垂直に登る「カニのタテバイ」。ツアーの人たちの動きが心もと
ない。割り込んできた中年婦人が動けず助けを求めている。いちい
ち足のかけ場所を教え、お尻を押し上げ、面倒を見るはめになった。
・富山県上市町と立山町との境

▼576号 「北ア剱岳・カニのタテバイ」

北アルプス立山の北にそびえる剱岳。かつて弘法大師がワラジ6千
足を使っても登れなかったされる厳しい山。昔から「人登る能はず、
人登るべからず」といわれ、神聖な山として長く不入の山として付
近に立ち入ってもならぬとされていました。

立山曼陀羅では奥の方に白い針の山に描かれています。立山の信仰
では遠くからあがめる礼拝の山だったそうです。その峻険さは「針
の山」にたとえられ、剣のように突き立っているのでその名がある
という。

「山の姿峨々として険阻画のごとくなるは越中立山の剱峯に勝れる
ものなし…最も高く聳え、たがひに相争ふ程なる峯五ツあり、剱峯
も其一也」。江戸後記の医者で文人の橘南谿の「名山論」(『東遊記』
巻末)の一文です。

8月、登山口の剱沢はことのほか残雪が多い。土砂降りのなかでの
幕営です。天気になった翌早朝、岩場が混まないうちにと、2時に
起きて出発です。

ところがどこの小屋に泊まっていたのかツアーの団体さんと一緒に
なってしまいました。鎖やはり金、鉄ばしごにつかまりながら垂直
に登る「カニのタテバイ」。ツアーの人たちの動きが心もとありま
せん。

割り込んできた中年婦人が頭の上で動けなくなって助けを求めてい
ます。いちいち足のかけ場所を教え、お尻を押し上げ、面倒を見る
はめに。「よその人のことばかり…」と同行してくれたY女史にい
までも怒られました。

▼【データ】
【山名】剱岳(つるぎだけ)。

【所在地】
・富山県中新川郡上市町と立山町との境。富山地方鉄道立山線立山
駅の北東19キロ。富山地方鉄道立山駅からケーブル美女平からバス
・室堂から歩いて6時間30分で剱岳。三等三角点(2997.07m)と
写真測量による標高点(2999m・標石はない)と、須佐之男神をま
つった剱岳神社の小祠がある。地形図に山名と三角点の標高と標高
点の標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第48番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第42番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・標高点:北緯36度37分23.76秒、東経137度37分00.7秒
・三角点:北緯36度37分24.09秒、東経137度37分1.7秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「剱岳(高山)」or「十字峡(高山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「高山−立山」

【参考】
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」(平凡社)1994年(平成
6)
・「名山論」橘南谿:東洋文庫248「東西遊記1」宗政五十緒校注
(平凡社)1986年(昭和61)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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