山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼564号 「大菩薩峠・荷渡し場」

【概略】
かつて大菩薩峠で行われていた無言貿易。荷物の交換場所は峠から
小菅・丹波側に下ったフルコンバ付近。両麓の村人がお互いに荷物
を峠に置きっぱなしにしてそれぞれが取りに行ったという。いま荷
渡し場と標識のある所は明治9年峠が現在の新峠に移したとき建て
たものらしい(塚田信正氏)。
・山梨県丹波山村と小菅村との境

▼564号 「大菩薩峠・荷渡し場」

【本文】
大菩薩峠といえば、中里介山の小説「大菩薩峠」を思い浮かべます。
江戸時代は大菩薩の峠をふくむ稜線を大菩薩嶺(れい)とし、嶺を
「タウゲ」とも呼び、当山を大菩薩峰といっていたという。

「大菩薩」の地名は、仏教の菩薩に大をつけたもの。明神をおおげ
さに大明神というのと同じものだという。

ところで大菩薩峠という所は3つあり、いま大菩薩峠といっている
ところは明治になってから開かれた「大菩薩の新峠」。

もうひとつは小菅大菩薩峠といっている峠で、東麓の小菅村へ下る
いまの石丸峠。

もうひとつが丹波大菩薩峠といい、いまでは廃道になってしまった
旧大菩薩峠(いまの賽の河原)をいうそうです。この旧峠は甲州と
丹波地区を結ぶ物資の重要な補給路。この旧大菩薩峠で無言貿易が
行われていたといいます。

江戸時代の地誌「甲斐国志」にも両麓の村人がお互いに荷物を峠に
置きっぱなしにしてそれぞれが取りに行ったと出ています。

しかし、実際の荷物の交換場所は峠から小菅・丹波側に下ったフル
コンバ付近でここに荷渡し小屋があったという。いま荷渡し場と標
識のある所が1876年(明治9)年、大菩薩峠を現在の新峠に移した
とき建てたものという(塚田信正氏)。

自然にとけ込むにはそこに一泊することと考える私は、山梨県山梨
県北都留郡小菅村から入山して、フルコンバというところに泊まり
ました。

北側の水場へ下る道は晩秋にはもう雪でその下は凍てついていまし
た。小高い丘の小屋跡はまさに風の通り道。見慣れぬちん入者にと
まどったのか夜中、小動物がテントのまわりをうろついていました。

翌日、大菩薩新峠へ向かう途中、「荷渡し場」との標識がありまし
たが、左下雄滝方面へ下のか枝道が一本ある変哲のないところ。や
はり夕べテントを張ったフルコンバはちょっとした小平地で荷渡し
するには適していると思いました。

なお、荷渡し場は、昔は旧峠にあった妙見の祠前が荷渡し場だった
とする説もあります。

▼【データ】
【山名・地名】
・【異名・由来】:実際の荷物の交換場所は峠から小菅・丹波側に下
ったフルコンバ付近でここに荷渡し小屋があったという。いま荷渡
し場と標識のある所は明治9年峠が現在の新峠に移したとき建てた
ものという(塚田信正氏)。昔は旧峠にあった妙見の祠前が荷渡し
場だった(羽賀正太郎)。

【所在地】
・山梨県北都留郡丹波山村と山梨県北都留郡小菅村との境。中央本
線塩山駅の北東10キロ。JR中央線塩山駅からバス、大菩薩登山口
から歩いて4時間30分でフルコンバ。小屋跡の小平地。水場あり。
地形図上になにも記載なし。付近に何も記載なし。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【フルコンバ】緯度経度:北緯35度44分40.66秒、東経138度51分4
5.65秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「大菩薩峠(甲府)」&「柳沢峠(甲府)」(2
図葉名と重なる)。

【参考】
・「エリアマップ・山と高原地図・23」(塚田正信著)昭文社(昭和
56年版)
・「甲斐国志・3」(巻55〜72・神社部)(巻73〜90・仏寺部)(巻91
修験):「大日本地誌大系・別巻」(雄山閣出版)に所収
・「角川日本地名大辞典19・山梨」(角川書店)1991年(平成3)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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