山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼553号 「北ア・読売新道のヘリコと赤牛岳」

奥黒部ヒュッテから登る「読売新道」。長い急坂を登り切った時、
ヘリコプターが一機、猛スピードで大町方面へ飛び去っていった。
ちょうどそのころ前穂の岩をやっていた友人が滑落、ヘリで病院に
運ばれたが間に合わなかったとあとで聞いた。あれこそ友人を乗せ
たヘリだといまでも信じている。
【本文】は下方にあります。

▼553号 「北ア・読売新道のヘリコと赤牛岳」

【本文】
北アルプス黒部湖の最奥に「平ノ渡シ」というところがあり、黒部
の水上を渡してくれる渡船があります。そこからさらに黒部川をさ
かのぼり、奥黒部ヒュッテを経由して赤牛岳、水晶岳に至る「読売
新道」があります。

この登山道は1961年(昭和36)に開かれた道で、「平ノ渡シ」から1
3キロにも及んでいるという。その名のように富山県高岡市に読売
新聞社北陸支社ができたのを記念して、立山大集会(登山教室など)
を開催。その一環として地元の山岳ガイドらの協力で、5年間を費
やして完成させたのがこの「読売新道」だという。

ここは登りで10時間20分、下りだと8時間20分、途中に避難小
屋もなく水場もありません。時にはビバーグを覚悟しなくてはなり
ません。長い樹林帯を抜けたあたりから振り返ると、遠く黒部湖が
広がる気持ちのよいところに出ます。ハイマツの中にテントを張れ
る小平地もあります。

ある夏、その平地にテントを張ろうと出かけました。奥黒部ヒュッ
テテント場を5時半出発、奥黒部ヒュッテテント場を5時半出発、薄暗
い展望のきかない樹林帯の中、ダラダラとどこまでもつづく急坂にう
んざり気味です。急坂をやっと登り切り樹林帯から出ました。

しばらく歩き、烏帽子岳から野口五郎岳、水晶岳、赤牛岳、そして
黒部湖を眺めながら小休止。その時、ヘリコプターが一機、猛スピ
ードで大町方面へ飛び去っていきました。ただごとではない飛び方
です。

あとで知ったことですが、ちょうどそのころ穂高の前穂岳で岩をや
っていた友人が滑落し、ヘリコプターで病院に運ばれた時刻と時刻
と一致します。しかしついに間に合わなかったという。あれこそ病
院に向かう友人を乗せたヘリコだったといまでも信じています。

ちなみに赤牛岳は、山肌が赤いため昔からとくに目立ち、山麓の芦
峅の村民は赤牛三吉と人の名前で呼び、三吉はこの山に住んでいる
となどとしています。三吉とは江戸時代の信州の杣(そま)の名で、
木材を盗伐中に加賀藩の役人に見つかり逮捕され大騒ぎなったとい
う。

それ以来、三吉に因んだ場所を三吉小屋場、三吉谷、三吉道などの
地名ができたという。こんなことから赤牛岳に三吉をつけて呼ぶよ
うになり、さらに山鬼伝承も重なり赤牛岳は神秘の山になったとい
うことです。

▼赤牛岳【データ】
【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)。大糸線信
濃大町駅の南西23キロ。JR高山本線高山駅からバスで新穂高温泉、
さらに歩いてのべ17時間30分で赤牛岳。三等三角点(2864.2m)が
ある。そのほかは何もなし。地形図に山名と三角点の標高にみ記載。

【位置】
・三角点:北緯36度27分41.83秒、東経137度36分11.74秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「薬師岳(高山)」

【参考】
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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