山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼550号 「鳳凰三山・地蔵ヶ岳の子授け地蔵」

【概略】
鳳凰三山地蔵岳の下の賽の河原は、石の地蔵がたくさんならんでい
る。「子授け地蔵」といい、子どもの欲しい夫婦が、この石仏を借
りて家に帰り、祀っておくと不思議に子宝が授かるという。そのお
礼には地蔵を2体にして返す習慣がある。
・山梨県韮崎市と南アルプス市武川村との境

▼550号 「鳳凰三山・地蔵ヶ岳の子授け地蔵」

【本文】
南アルプス入口の鳳凰三山は山麓の清水山法雲寺が、以前は山号
を鳳凰山といい、観世音菩薩・地蔵菩薩・薬師如来の3尊を安置し
てあるため、それぞれの山名にしたという。オベリスクに弘法大師
が黄金の仏像を納めるため登ったともいわれます。

地蔵ヶ岳は子授けに霊験があるという。この山は、砂礫地の上に
突然巨大な岩峰(オベリスク)が天に向かって立っています。ふ
もとからもよく見えて、地元では、地蔵仏岩とか大日岩、鳥岩、「お
おとがり」と呼んでいたという。

昔から山岳信仰の奥ノ院として神聖な神の座(くら・神さまの座
るところ)だったという。その昔、奈良法皇が病気治療で、早川
町の奈良田地区に滞在した時、ここに登り安産を祈願して地蔵を
安置したというせいか、 岩峰の下の賽の河原は、石の地蔵がたく
さんならんでいます。この地蔵さんは「子授け地蔵」といい、子
どもの欲しい夫婦が、この石仏を借りて家に帰り、祀っておくと
不思議に子宝が授かるといいます。そのお礼に地蔵を2体にして
返す習慣があり、一時は数百体もの地蔵が建っていたということ
です。

奈良法皇伝説については『甲斐名勝志』(巻の四・鳳凰山の条)(萩
原元克編・天明年間(1781〜1789年)成立)に次のようなことが
載っています。「地蔵岳、薬師岳という山があって、鳳凰山と峰つ
づきになっている。これを三岳という。麓の柳沢というところに
宿泊して登る。山中に一夜泊まって翌日また柳沢に帰るのだが、
諏訪の湖水も見えて景色がよい。絶頂の岩の上に黄金で鋳た三寸
ばかりの衣冠をつけた像があって鳳凰権現といい、これは奈良の
法皇のお姿であるという。昔から盗賊が何とかしてこの像を取り
去ろうとすると、盤石のように重いので盗み去ることができず、
いまもなお岩の上にある。

土地の人いうには、昔奈良の法皇がこの国に流されてきて、この
山に登り、都をしたいたもうたので、法皇ヶ岳と呼ぶということ
である。西河内領奈良田というところに法皇の住まわれていた跡
だという礎がいまも残っている。これは弓削道鏡(ゆげのどうき
ょう)(早川町奈良田に伝わる伝説)だろうというが、続日本紀(平
安時代はじめに全巻完成の歴史書)には、道鏡は下野国に流され、
薬師寺の別当となって一生を終わったとされているので道鏡では
なかろう」とあります。

また『裏見寒話』(巻の三・法皇の条)には、昔法皇が都からはる
ばるこの国に来られたまま山中に入り還幸(かんこう)されなか
ったが、法皇が甲州へこられたということは聞いたことがなく、
弓削道鏡が都から条法皇と潜号して国民をあざむいたともいい、
また法皇は奈良法皇ともいうが国史には見当たらない、と書かれ
ています。

これは中巨摩郡早川町奈良田に伝わる伝説に、女帝・孝謙天皇(称
徳天皇)が天平宝字元年(757)年退位し、奈良法皇と称し、病気
治療のため奈良田に転地、8年間滞在しました。その間に登った
ので法皇山(鳳凰山)だということからきています。奈良法王と
いうのは、第46代孝謙天皇(第48代になると称徳天皇といった
女帝)、または女帝が寵愛した弓削道鏡ではないかともいわれてい
ます。

その他鳳凰山には、平安時代、京の朱雀大路の公卿(くぎょう)・
六ノ宮の娘で、春房卿の妻、都那登姫も登ったとされています(「甲
斐の山旅・甲州百山p271」)。地蔵岳岩峰には鳳凰三山の開発に尽
力した地元の山岳会白鳳会の初代会長小屋忠子のブロンズ像が岩
峰したの花崗岩にはめ込まれています。

▼【データ】
【山名】・異名:地蔵ヶ岳・地蔵岳・地蔵仏、大鳥ヶ岳、おおとん
がり(大尖り)、ウェストンピーク。

【所在地】
・山梨県韮崎市と山梨県南アルプス市芦安(旧山梨県中巨摩郡芦安
村)、山梨県北巨摩郡武川村との境。中央本線韮崎駅の西13キロ。
JR中央本線韮崎駅からマイクロバス、青木鉱泉から歩いて6時間
30分で地蔵ヶ岳。写真測量による標高点(2764m)がある。山頂直
下に賽の河原がある。地形図に山名と標高点の標高のみ記載。オベ
リスク標高点より南方向90mに賽の河原がある。

【ご利益】
・【賽の河原の地蔵】:子授け

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯35度42分43.28秒、東経138度17分55.37
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「鳳凰山(甲府)」

【参考】
・『裏見寒話』宝暦2年・野田成方編
・『甲斐名勝志』萩原元克編(巻の四・鳳凰山)(天明年間(1781
〜1789年)成立)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『続日本紀』(全3巻のうち中巻)宇治谷孟「現代語訳」講談社
学術文庫版(講談社)1992年(平成4)
・『新稿日本登山史』山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系19・山梨県」(平凡社)1995年(平成7)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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