山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼548号 「中ア木曽駒麦草岳と麦草」

【概略】
木曽駒ヶ岳から西へ少しはずれた麦草岳は静かだ。雪解けがすすむ
と、山の斜面に大蛇の雪形があらわれ、ふもとの上松町の風物詩に
なっている。ハイマツの生えた傾斜地は、春になると緑が鮮やかさ
になりまるで麦草が生えているようなのでその名があるという。
・長野県木曽町と上松町との境

▼548号 「中ア木曽駒麦草岳と麦草」

【本文】
 中央アルプス木曽駒ヶ岳から西へ少しはずれた麦草岳は、にぎ
やかな木曽駒山頂とくらべて訪れる人もなくウソのように静かで
す。この山は、長野県木曽町(旧木曽福島町)と同県上松町との
境にあり、山頂には三等三角点と、祠があります。

 ここ麦草岳は、西ろくの上松町の人の呼び方だそうで、それよ
り北にある旧木曾福島町側では「駒石岳」と呼んでいるそうです。
「駒石」というのは山頂三角点の北側直下にある岩で、木曽側で「駒
ヶ岳」の名前の由来になっているもとのひとつ。

 江戸時代の木曾地方の地誌『吉蘇志略』の上田の項に「駒ヶ岳
 是(れ)木曾の東嶽なり、其の高さ数千仞(じん・両腕を広げ
た長さ)にて数峰連続す、其の一つの峰は頂(き)に石有り、形
馬の如し故に名づく」とあります。

 また、大正時代の長野県の地誌『西筑摩郡誌』にも「……本岳の
西北に前嶽(2826米)あり、山に駒形石あり駒ヶ岳の称是より起
こるといふ」とも出ています。

 麦草岳山頂にある祠は、上松町にある駒ヶ岳神社の末社の祠(上
松町教育委員会)で、農業、蚕、牛や馬の守護神になっています。
祭神は、(1)天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、(2)高
皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、(3)神皇産霊尊(かみむすび
のみこと)、(4)神代五代尊神(かみよのいつよそんしん)。国の
無形文化財にも指定されているそうです。

 この山は5月ころ、雪解けがすすむと、上松町側から見ると山
の斜面に大蛇の雪形があらわれ、農作業の暦としてふもとの町の
風物詩になっています。山頂のハイマツの生えた傾斜地は、春に
なると緑がいっそう鮮やかさになるといいます。

 下界(上松町)からみると、その緑がまるで麦草が生えている
ようなので麦草岳というのだそうです。とりわけ、麦草岳と木曾
前岳、三ノ沢岳の山なみが美しく、江戸時代、貝原益軒も木曽路
を歩き、「上松の民家八十ばかり、此辺の景ことにすぐれたり」と
書いているそうです。

 また、木曾八景のひとつに「駒の夕日」というのがあります。
ふもとの村はとっぷり陽が暮れているのにかかわらず、陽光が山
々をピンクに染めている風情はナントモ美しい。明治28(1895)
年に出版されて、評判になった志賀重ミ(しがしげたか)(地理学
者、政治家)の『日本風景論』には、上松町から望む風越山、三ノ
沢岳、木曾前岳、麦草岳の風景が表紙に使われているそうです。

 ある夏、木曽駒ヶ岳のとなり木曽前岳から山姥の奇岩を経て、
麦草岳に向かいました。お花畑にはわずかな踏み跡がつづいてい
ます。はしごと岩峰を越えて間もなく、開けた山頂に飛び出しま
した。広々とした頂は、ひざくらいまでハイマツにおおわれ、山
名の由来も納得です。

 赤い屋根の祠のわきに寝転がり、しばらく流れる雲を眺めまし
た。訪れる人は全くありません。赤い屋根の祠のわきに寝転がり、
汗を拭きながら、しばらく流れる雲を眺めてしまいました。

 ちなみに1991年(平成3)に国土地理院から発行された「日本
の山岳標高一覧・1003山」には標高は2733m(測定点)になってい
ました。しかし2008年(平成20)6月に電子国土ポータルWebシス
テムで検索した時には2721.1m(三角点)になっていました。


▼【データ】
【山名・地名】麦草岳(むぎぐさだけ)
・【異名・由来】麦のような雑草が生える草原であることから集落
名(小字)がうまれ、それが山名に転移「日本山岳ルーツ大辞典」。

【所在地】
・長野県木曽郡木曽町(旧木曽郡木曽福島町)と長野県木曽郡上松
町との境。飯田線沢渡駅の西14キロ。JR中央本線上松駅から6時
間で麦草岳。三等三角点(2721.1m)と、上松町の駒ヶ岳神社の末
社の祠がある。地形図上には山名と三角点記号とその標高、それに
駒石の文字の記載あり。付近に何も記載なし。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【三等三角点】緯度経度:北緯35度47分52.3787秒、東経137度47
分09.9115秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」5万分の1地形図「飯
田−赤穂」


▼【参考文献】
・長野県上松町教育委員会提供
・『上松町の神社と仏閣」(町誌別編)長野県上松町教育委員会1985
年(昭和60)
・『吉蘇志略』(きそしりゃく)巻第二。上田の項(松戸秀雲・君
山)1757年(宝暦7)
・『駒ヶ岳研究・第一輯』(上伊那教育会編)1940年(昭和15)
・『信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『西筑摩郡誌』長野県西筑摩郡役所編(出版:長野県西筑摩郡)
大正4(1915)年
・『徳原讃岐支配扣(ひかえ)」(筑摩郡(ごおり)上松村)明治2
(1869)年
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『ふるさとの山・駒ヶ岳ものがたり』赤羽篤(国土交通省天竜川
上流工事事務所調査課提供)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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