山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼539号 「丹沢表尾根・一ノ塔がないわけ」

【概略】
なぜか二ノ塔からはじまる丹沢表尾根。その昔、毎晩のように山に
何か光るものが現れた。麓の秦野市横野の加羅古神社に最初のご神
燈(一ノ燈)。そして二ノ塔に灯り、三ノ塔にも灯っていった。村
人はあの峰は二ノ塔(灯)、こっちは三ノ塔(灯)と呼んだという。
・神奈川県秦野市

▼539号 「丹沢表尾根・一ノ塔がないわけ」

【本文】
 神奈川県丹沢の表尾根は、展望にも恵まれた縦走路。ヤビツ峠
までバスも入る便利さで、多くの人に愛され、東京近郊の人なら
誰でも一度は歩いているコースです。また峠から東方の大山まで
も1時間の距離です。

 この縦走路は、千年以上も前に大山の山伏により開かれたとい
うのが定説ではあったようですが、はっきりした記録がありませ
んでした。しかし、1963年(昭和38)に伊勢原市の日向薬師の常
連坊から「峯中記略控」という記録が発見され、昔から修験道入
峰修行の場であったことが確認されました。

 奈良時代の716(霊亀2)年、行基が関東へ巡りきたとき、大山
を開こうとしましたがなしえませんでした。次に奈良東大寺の良
弁大僧正がここに登り、お堂などを建て阿降山大山寺(うごうさ
んだいさんじ)と号し、本社を石尊社としました。

 のち、山岳修験の出現で大山もその修行道場の中心として栄え、
山伏たちは表尾根道を開き、自分たちの本尊・大日如来をブナの
巨木の股にに安置(木の又大日)、その手前にも新しく如来を置き
(新大日)、次第に塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳と奥へ奥へ修行の場を
広げて行ったのだそうです。

 表尾根へは、秦野駅からバス、ヤビツ峠下車、富士見山荘から
しばらく木立のなかを歩き、滑りやすい急坂をあえぐことからは
じまります。さらにカヤトのなかを登り切ると二ノ塔に飛び出ま
す。つづいて三ノ塔を経て烏尾山へとつづきます。ここはなぜか
二ノ塔から始まり、一ノ塔がありません。不思議だとは思いませ
んか。

 これには二ノ塔の南西の麓にある神社が関係しているのだそう
です。その昔、唐からやってきた唐古明神という神さまが、秦野
市横野集落に延びる尾根の上にご神燈を灯しました。遠い稜線の
上に点々と灯ったご神燈に村人は畏れひれ伏しました。そして最
初に灯ったところを神聖な場所、横野集落に神社を建てました。
それがいまの唐子神社だという。

 そして2番目に灯った峰を「二ノ塔」、3番目に灯った峰を「三
ノ塔」というようになったのだそうです。なお別の説としてこん
なのがあります。いつのころからか、山仕事で山に入ったむら人
の休憩所として、「一の所・二の所・三の所」というようになりま
した。そしてこの「二の所」というのを「二のト」となり「二ノ
塔」になったともいわれています。

 蛇足ながら、秦野市秦野横野にある、鎮守の唐古明神社(いま
の唐古神社)は、「相中留恩記略」という文書の縁起では、祭神は
「山中拘留孫仏垂迹(垂迹)」で、寿永2年(1183)の勧請という。
となると、唐子神は塔ノ岳尊仏岩の狗留孫仏(くるそんぶつ)が
本当の姿なのでしょうか。

・▼三ノ塔【データ】
【山名】
・【異名、由来】:秦野市横野の加羅古神社に一ノ燈が灯り、二ノ燈
がピーク(二ノ塔)に、三ノ燈が次のピーク(三ノ塔)に灯ったと
いう伝説から。

【所在地】
・神奈川県秦野市。小田急小田原線秦野駅の北北西8キロ。小田急
秦野駅からバス、ヤビツ峠から歩いて40分で旧ヤビツ峠。また1時
間45分で二ノ塔(標高1140m)。地形図に山名のみ記載。標高表示
なし。付近に何も記載なし。

【位置】
・【二ノ塔】北緯35度26分3.08秒、東経139度11分43.84秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

【参考】
・「尊仏・2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成1)
・『日本歴史地名大系・神奈川『平凡社1990年(平成2)
・『丹沢山麓 秦野の伝説』(岩田達治著)1980年(昭和55)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る