山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼526号 「上州・荒船山の不思議な伝説」

【概略】
「諏訪大明神は母御前のいる日光へ通ううち、荒船山に住む姫と顔
見知りになり夫婦になった」(室町時代の「神道集」)。姫はインド
のクルベイ国の長者の娘だったが、国王がしつこく言い寄るため逃
げてきて隠れ住むことになったという伝説がある。
・群馬県下仁田町と南牧村、長野県佐久市との境

▼526号 「上州・荒船山の不思議な伝説」

【本文】
大きな船が荒波のなかを航行する形のその名も荒船山。群馬県と長
野県の境にあって、南北1200m、幅800mの台地のような船の形を
した山。

船首にあたるのがこの山の最高峰行塚山(1423m)で、その昔弘法
大師が経文を埋めたという伝説があり、経塚山とも呼ばれています。

甲板は平担で、低い樹林帯になっていて南北に気持ちのよいハイキ
ングコースがつづいています。船体は南向きで船尾は北の端でとも
岩になっています。

とも岩は高さ約170m、幅600mの大絶壁。近くに今夜お世話になる
避難小屋があります。この荒船山には不思議な伝説があります。

室町時代の『神道集』(室町時代成立といわれる神社の由来縁起な
どを説いた何やら難しそうな本)には「さて諏訪大明神は、母御前
のいる日光の岳へ通ううち、この姫(荒船山に住む姫で貫前神とい
う女神)と互いに顔見知りになり、男女の道に心を移して夫婦にな
った」とあります。

姫はインドのクルベイ国の長者の娘で、国王がしつこく言い寄るた
めここまで逃げてきて、荒船山に隠れ住むことになったというので
す。一方、ここに祭られている荒船大明神はこの姫の美人侍女の一
人だとしています。

11月、今夜はとも岩の避難小屋で一泊。太陽も沈み、眼下の林道を
走るクルマのライト、町の夜景が見事です。吹きあげる冷たい風に
冷やされた体を、燗をした酒で温め寝袋へ。

翌朝、ガスが木々の枝に凍りつき霧氷になっていました。キラキラ
と朝日に光る霧氷の中のハイキングはまさに別天地。行塚山へ着く
ころ、霧氷はもう消えていました。

・【データ】
【山名・地名】荒船山(あらふねやま)
・【異名、由来】:行塚山。船体を山並みの上に浮かべたよう。弘法
大師が経文を埋めたというので経塚山。

【所在地】
・群馬県甘楽郡下仁田町と群馬県甘楽郡南牧村、長野県佐久市との
境。上信電鉄下仁田駅の西14キロ。上信電鉄下仁田駅からバス、三
ツ瀬下車、歩いて2時間45分で荒船山行塚山。二等三角点(1422.5
m)がある。そのほか付近に何もなし。地形図上には三角点記号と
その標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【名山】
・深田クラブ選定「日本二百名山」(第134番選定):日本百名山以
外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(30番選定)
・群馬県選定「ぐんま百名山」(10選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【二等三角点】緯度経度:北緯36度12分14.38秒、東経138度38分1
3.55秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「荒船山(長野)」。5万分の1地形図「長
野−御代田」

【参考】
・「神道集」安居院作:東洋文庫94「神道集」貴志正造訳(平凡社)1
994年(平成6)
・「日本歴史地名大系10・群馬」(平凡社)1987年(昭和62)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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