山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼522号 「奥秩父・甲武信岳のげんこつ」

【前文】
甲斐、武蔵、信濃の三つの国にまたがるので各国名から一字ずつと
って甲武信。しかしいまでは甲武信ヶ岳と書く。その昔、山が大空
に「ゲンコツ」をふり上げた形なので、武蔵側では以前からこれを
拳(こぶし)と呼んでいた。そこで甲武信と書いて「こぶし」と読
ませたという。
・埼玉県秩父市と山梨県山梨市、長野県川上村との境

▼522号 「奥秩父・甲武信岳のげんこつ」

【本文】
山梨・埼玉・長野の3県にまたがる奥秩父・甲武信ヶ岳(2475m)
は、その旧国名の甲斐(甲斐)、武蔵(埼玉)、信濃(長野)からそ
れぞれ一字ずつをとってつけた名前だという。

かつてこの山は、山梨県三富側では「3国の境なので三国」、長野
県川上村では「三方山」と呼びました。ただこれは甲武信ヶ岳の北
方にある三宝山(さんぽうさん・2483m)を指していたのではない
かという人もいます。

また埼玉県大滝側では大空に「ゲンコツ」が持ち上がっているよう
なので、「拳(コブシ)」と呼んでいたそうです。さらに遠く群馬県
の西部では「三国山」、同県浜平では大三国と呼んでいたそうです。
このように各山麓から見てそれぞれの山名で呼んでいたわけです。

しかし、いまの名は甲武信ヶ岳。しかし甲武信と書いて「こぶし」
と読ませるには、やはりちょっと無理があります。知らない人が「こ
うぶしん」と読んでいるのも無理からぬこと。

この読み方にしたのには理由があります。明治時代、農商務省が地
図を作ったとき、出版した「甲府図幅」に三つの国名の一字ずつを
とって「甲武信」と記載しました。

さらに武蔵側で「拳(コブシ)」呼んでいることに目をつけました。
そして甲武信の字を「こぶし」と読ませたというのです。機転の効
いた頭のいい人がいたものですね。

さてここの甲武信ヶ岳を起点に、雁坂峠から雲取山方面の東へ延び
る尾根、また西へのミズシから国師ヶ岳方面へ延びる尾根、さらに
三宝山、十文字峠方面の北へ延びる尾根があります。

この三つの尾根が分水嶺になり、甲武信ヶ岳は南に流れる笛吹川、
西に流れる千曲川・信濃川、北東へ流れる荒川と三つの川の源流部
が集まっています。

甲武信小屋から西へ下ったところに荒川の源流があり、またミズシ
との鞍部を北に下ったところに千曲川の源流、それぞれ水源地標が
あります。毎年このあたりはシャクナゲの時期になると登山者でに
ぎわう所です。

ちなみに山の名前についてはさらに、かつて甲武信ヶ岳は6.5キ
ロ南西の国師ヶ岳と混同され、コクシと呼ばれていたという。

このことについて原全教は「奥秩父回帰」の中で、コクシが転化し
てコブシになったのだろうとしています。蛇足ながらクシは「越す」
から転じて小丘の意味を持つといいます。

▼【データ】
【山名】甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)
・【異名・由来】:甲武信岳(こぶしだけ、こうぶしんだけ)。三国、
拳、三方山、三国山、コクシ。甲斐、武蔵、信濃の国名からとった。

【所在地】
・埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)と山梨県山梨市三富(旧東
山梨郡三富村)、長野県南佐久郡川上村との境。中央本線塩山駅の
北22キロ。JR中央本線塩山駅からバス、西沢渓谷入口下車、歩い
て6時間20分で甲武信ヶ岳。写真測量による標高点(2475m)があ
る。そのほか付近に何もなし。山頂直下に甲武信小屋がある。地形
図上には山名と標高点の標高のみ記載。標高点より南南東方向直線
約300mに甲武信小屋がある。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第67番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・山梨県選定「山梨百名山」(第9番選定)
・清水栄一選定「信州百名山」(第46番選定)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第50番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【標高点】緯度経度:北緯35度54分32.9秒、東経138度43分43.92


【地図】
・2万5千分の1地形図「金峰山(甲府)」

【参考】
・『角川日本地名大辞典・長野』(角川書店)1991年(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『山の憶い出』小暮理太郎:「日本山岳名著全集2」(あかね書房)
1962年(昭和37)所収

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山の伝承【ひとり画展通信】
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