山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼519号 「北ア・白馬鑓ヶ岳の硫黄取り」

【概略】
白馬鑓ヶ岳の裏側、富山県側に草木も生えない山朱殿坊山。硫黄が
とれ村人は我も我もと採取に登り、一時は松本藩が税金まで課した
という。場所が場所だけに時々事故が起こり、三次郎台地や六左衛
門滝など人の名が地名となって残っている。

▼519号 「北ア・白馬鑓ヶ岳の硫黄取り」

【本文】
火をつけるのに使うマッチができる以前は、残り火から火種を起こ
には「つけ木」というものがありました。

つけ木は細かく割った板の先に硫黄を溶かして付けたもので、どこ
の家でも使う必需品だったそうです。それに用いる硫黄は高値がつ
いたといいます。

硫黄は山の岩壁などから採れ、硫黄採りはいい稼ぎになったといい
ます。白馬岳から白馬三山を尾根づたいに南下すると、白馬鑓ヶ岳
の裏側、富山県側に草木も生い茂らず黄褐色を帯びた異様な感じの
山が目につきます。

私は縦走路を歩きながら眺めただけですが、そばに近づいてみると
硫化水素の臭いが鼻につき、黄褐色の岩石のところどころに硫黄の
結晶が見られ、野ウサギや小鳥の死がいが転がっているそうです。

この山にはこんな歴史があります(『北アルプス白馬連峰7』)。ここ
は朱殿坊山と呼ばれ、硫黄がとれることで山麓の人たちに昔から知
られていました。

村人は我も我もと硫黄取りに登り、一時は松本藩が「運上金」とい
う雑税まで課したこともあったという。しかし山の産物を掘るのは
山の神のたたりも心配です。

また危険なところでもあり、なるべく安全な春から夏かけてとか、
農閑期の期間だけ採取を行う申し合わせとし、あまり大がかりには
採集しなかったという。

それでも場所が場所、時々事故が起こったといいます。その人たち
の名が地名になっていまも残っています。白馬大雪渓の下方、バス
の終点・猿倉から鑓温泉へ向かう途中の三次郎台地は、三次郎とい
う人が当時、硫黄を精製したところだという。

いまも硫黄カスの山があるそうです。また山頂南直下、鑓温泉に下
る途中の大出原は夏はお花畑になるところですが、かつて大出村の
村人が大勢遭難したところ。

一方、鑓温泉直下の湯の入沢にある六左衛門滝。二股から沢沿いに
奧二股を通り、湯の入沢を鑓温泉まで登るルートは、戦前歩かれた
コースだったという。

その昔、六左衛門という人が仲間とともに朱殿坊に硫黄をとりに行
きました。硫黄の鉱石はネマガリダケなどを編んだ芝ぞりに積んで
雪渓を引き下ろして行きました。

その時六左衛門を乗せたそりは雪渓を滑り出し、そのまま大滝の滝
壺に落ちてしまったという。深い滝壺のなかで助けを求める六左衛
門、それを助けようと必死の仲間。

2日2晩頑張りましたが、ついに六左衛門は滝壺のなかに沈んでいっ
たという話も伝説になって残っています。(地形図に朱殿坊山は記載
なし)

・【データ】
【所在地】
・富山県黒部市(旧下新川郡宇奈月町)と長野県北安曇郡白馬村の
境。大糸線白馬駅の北西10キロ。JR大糸線白馬駅からバス、白馬
尻下車。さらに歩いて6時間30分で白馬鑓ヶ岳。三等三角点(2903.
1m)がある。そのほか付近に何もな。地形図上には山名と三角点
記号とその標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【三等三角点】緯度経度:北緯36度43分52.85秒、東経137度45分1
9.16秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「白馬町(富山)」or「欅平(富山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「富山−白馬岳」

【参考】
・『秘録・北アルプス物語』朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷土出版社)1
986年(昭和61)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)

山と田園の画文作家
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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