山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼513号 「北ア・笠ヶ岳の播隆上人」

【概略】
江戸も後期の1823(文政6)、笠ヶ岳再興を果たした播隆。笠ヶ岳
山頂に立ち、東の空に浮かぶ荒々しい穂高連峰の岩峰の中に、ひと
きわ天を突く槍ヶ岳を見て感激しました。あの山こそ、絶好の修行
の場所だ。そう確信した播隆は槍ヶ岳に登ることを決意したのでし
た。この瞬間から槍ヶ岳開山に挑む播隆の人生がはじまりました。
・岐阜県高山市

▼513号 「北ア・笠ヶ岳の播隆上人」

北アルプスの笠ヶ岳はどこから見ても笠の形に見える山です。槍ヶ
岳の初登頂でおなじみの念仏僧・播隆(ばんりゅう)上人が笠ヶ岳
に登り、ここから見た槍ヶ岳に感激し、槍ヶ岳を開山を決意した話
は有名です。

江戸も後期の1823(文政6)年、笠ヶ岳再興を果たした播隆は翌文
政7年8月、笠ヶ岳の登山道に8体の石仏を4キロごとに「路碑」
として建て、山頂に阿弥陀仏を祀ったといいます。

この登山は大阪や西国からも大勢の信者が集まり、計66人もの集団
登山になったといわれます。いまも笠ヶ岳山頂にはなごりの祠があ
ります。

笠ヶ岳山頂に立った播隆は、東の空に浮かぶ荒々しい穂高連峰の岩
峰の中に、ひときわ天を突く槍ヶ岳を見ました。

「おお!あの山こそ、絶好の修行の場所だ。」播隆はそう確信、な
んとかして槍ヶ岳に登ることを決意するのでした。この瞬間から槍
ヶ岳開山に挑む播隆の人生が始まるのでありました。

そして長野県安曇野市三郷地区名(旧南安曇郡三郷村)の中田又重
郎をを案内人に槍ヶ岳登頂を果たしたのは笠ヶ岳再興を果たした3
年後の1823年(文政9)のことだったといいます。

▼【データ】
【山名】・笠ヶ岳(どこから見ても笠の形)・肩ヶ岳(人の肩の形に
似ている)・迦多ヶ岳・迦多賀嶽

【所在地】
・岐阜県高山市上宝町(旧岐阜県吉城郡上宝村)。高山本線高山駅
の北東34キロ。JR高山本線高山駅からバス、新穂高温泉から歩
いて7時間で笠ヶ岳(標高2897.5m)二等三角点がある。地形図に
山名と三角点の標高あり。三角点より北方294mに笠ヶ岳山荘があ
る。

【位置】
・三角点:【緯度経度】北緯36度18分55.79秒、東経137度33分01.32
秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)


【地図】
・2万5千分の1地形図「笠ヶ岳(高山)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「高山−上高地」(「電子
国土ポータルWebシステム」から検索)

【参考】
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「秘録・北アルプス物語」朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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