山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼512号 「北ア・内蔵助谷の流れ星」

【概略】
北アルプスの静寂境内蔵助谷。大カールの最低部の氷は一千数百年
もの前の「生きている氷河」といわれている。佐々成政も信州への
往来に利用したともいわれる所。内蔵助平の鉄橋の水場近くに張っ
たテント。外は満天の星。流れ星を肴にイッパイ。天の川はオレの
ものだあ!。
・富山県立山町

▼512号 「北ア・内蔵助谷の流れ星」

内蔵助谷と書いて「くらのすけだん」。黒四ダムの下流、黒部川左
岸の支谷・内蔵助谷は、上流に氷河地形のカールとモレイン(堆石)
があることで有名です。

なかでも内蔵助平は、内蔵助谷の東流から南流への転折点にある浸
食盆地で、真砂岳、丸山、黒部別山が取り巻く中流域にある長円形
の浸食盆地になっています。

北アルプスに残された数少ない静寂境のひとつで、高山植物の宝庫
としても知られています。真砂岳の東側に当たる場所が内蔵助谷の
大カール。

その底には、堆石提によってS字の形にせき止められた雪渓があっ
て夏でも融けないという。雪渓は20mも堆積した氷河氷になって
おり、夏になると直径1mものマンホールのような穴がいくつもあ
くといいます。

名古屋大学水圏科学研究所の樋口敬二教授が中心となって万年雪渓
の穴の底などを調査。氷につつまれた木や葉の破片を測定したとこ
ろ1700年前の植物片と分かったという。

そんなこんなで1988年(昭和63)には日本での最古の氷と認定、
「生きている氷河」ともいわれています。さらに1999年(平成11)
には、国立極地研究所の福井幸太郎氏によって、近くの砂礫の地下
から永久凍土が発見されたとの報告もあります。

これらの現象は、冬に強い南西の季節風が吹き荒れ、尾根の東側に
多量の雪が吹きだまりになることによるのだろういう。

ここはまた戦国時代から安土桃山時代の武将で、真冬の北アルプス
越えをしたことで知られる、あの佐々成政も信州への往来に利用し
たとも伝えられる所。

成政は一名内蔵助ともいい、ここ内蔵助谷の地名もここから来てい
ます。立山の真砂岳真砂尾根にある内蔵助山荘は、かつては内蔵助
カールの堆石提上に建てられていましたが、雪崩に2度もあい、い
まの所に移されたものだそうです。

佐々成政といえば埋蔵金。笹の印がある短冊形純金の壺49個が、
ここ内蔵助平や、鍬崎山、針ノ木岳、水晶岳、有峰などに隠されて
いるとうわさされています。

7月、剱沢テント場で、雨のため停滞。予備日を使い果たし、仙人
谷から欅平へ行くのをあきらめ、真砂沢ロッジから黒部ダムに向か
いました。

途中、ハシゴの谷(だん)乗越の展望台で展望を楽しんだあと、内
蔵助平の鉄橋の水場近くにテントを張りました。物音は沢の流れの
音だけです。夜中にふと目が覚めました。

テントから顔を出して覗くと外は満天の星。外に出て流れ星を肴に
イッパイ始めました。星よもっともっと流れろ。天の川はオレのも
のだあ!。

▼【データ】
【地名】・信州への往来に利用した伝えられる佐々成政の異名(内
蔵助)に由来。

【所在地】
・富山県中新川郡立山町。JR大糸線信濃大町下車、バスで扇沢か
ら黒部ダム、さらに歩いて3時間あまりで内蔵助平。原野が広がる。
小川にかかった橋のみがある。地形図に内蔵助平の文字のみ記載。
付近に何も記載なし

【位置】
・【内蔵助平】緯度経度:北緯36度35分35.21秒、東経137度39分18.
44秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「十字峡(高山)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)

【参考】
・「角川日本地名大辞典16・富山県」坂井誠一ほか編(角川書店)1
979年(昭和54)
・「立山の昔話」立山黒部貫光(出版年不明)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」(平凡社)1994年(平成6)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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