山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼508号(00・07) 「富士山と役ノ行者登山ルート」

【概略】
伊豆大島に流された役ノ行者は、たびたび富士山頂で修行したとい
う。そのルートは小御岳から屏風岩を通り、富士山頂に登って行っ
たというもの。もうひとつは、深いガスにはばまれ山頂には行けず、
小富士まで登り、そこを山頂に見立てたというものだという説があ
るそうです。登山口は大島からの道すじにあたる須走口が有力です。
【本文】は下記にあります。

▼508号「富士山と役ノ行者登山ルート」

【本文】
何年か前、役ノ行者(えんのぎょうじゃ)「千三百年遠忌(おんぎ)」
の年があり、東京上野美術館などで、行者にちなんだ美術品の展覧
会も開かれました。

修験道の祖・役ノ行者小角(おづぬ)の伝説は不思議な話です。奈
良大和葛城山(やまとかつらぎさん)から吉野方面の大峰山山上ヶ
岳(さんじょうがたけ)まで、空中に岩の橋をつくって信者の人た
ちを渡らせようとした「岩橋(いわはし)づくり」という話があり
ます。

役ノ行者はまず、全国の天狗や山神、鬼たちを集めて岩の橋づくり
の作業にあたらせようとしました。その時、地元葛城山の神とされ
る、葛城一言主(ひとことぬし)の神も一山神として使役させられ
ていました。一言主は役ノ行者に叱られた腹いせに、行者が天下を
覆そうと画策しているとうそを朝廷に言いつけました。

怒った朝廷は行者の母親を利用したりして苦労の末、役ノ行者を捕
らえて伊豆の大島に島流しをしました。その後、神のお告げにより
釈放されて、3年後に奈良に帰りました。しかし、こんどは逆に富
士山麓にはびこる悪神を退治するよう天皇から勅命を受けました。

役ノ行者は、静岡県御殿場高根村の「魔の淵」にすみ悪事を働き村
人を困らせている怪物を神呪を唱えて呪縛。口が耳元まで裂け炎を
吹き上げた怪物は年を経た一匹の青竜でした。怪物はその本性をあ
らわし、淵の奥深く姿を消しました。行者は仏化した竜のために増
田という所にお寺を建立(いまの青竜寺)しました。

次に須走村に向かいます。突然襲う2匹の鬼。鋭い爪が行者の体に
突き刺さったかどうかというとき、鬼たちは悲鳴をあげました。役
ノ行者の不動金縛りにかかったのです。2匹の鬼は改心し、以後行
者の忠実な従者になったといいます。この鬼たちの話は、奈良の大
和葛城山系で行者に改心させられ従者になった前鬼後鬼(ぜんきご
き)の話によく似ています(ここでも前鬼後鬼といっています)。

行者は西湖の真向かいにそびえる十二ヶ岳(じゅうにがたけ)の行
堂で修行を続けます。十二ヶ岳の近くにある鬼ヶ岳は2匹の鬼の住
処だったという。その後も役ノ行者は、たびたび富士山頂に登って
修行したという。

この登山のルートについては2説あるといいます。ひとつは小御岳
(こみたけ)から屏風岩を通り、富士山頂に登って行ったというも
の。もう一つは、深いガスにはばまれ山頂には行けず、小富士まで
登り、そこを山頂に見立てたというものだそうです。

また、行者が富士山へ登った登山口は、伊豆大島からの道すじにあ
たる須走口が有力で、役ノ行者に関する遺跡や伝承が多く残ってい
ます。静岡県御殿場周辺に多いツバキの木は、役ノ行者が伊豆の大
島からタネを伝えたためだとされています。そういえば大島はツバ
キの名所です。

また静岡県御殿場の高根村に「やあさ原」という所があります。あ
る日、役ノ行者が富士山登山の人たちの先頭に立って御殿場を通り
ました。行者はその時、キャリ(輿)に乗って「やあサ、やあサ」
と音頭とりながら采配をふりました。一行はそれに答えて、「六根
清浄」をとなえながら登ったという。そのためそこを「やあさ原」
というようになったという地名伝説もあります。

▼【データ】
【山名】富士山、不尽、不二、布士、富慈、芙蓉峰(ふようほう)、
富岳などの呼び方がある。富士山8合9勺(はちごうきゅうしゃく
=3360m)からから上、約400万平方mは、徳川家康が富士山本宮
浅間大社に寄進したとの記録があるが、明治維新後国有地にされて
いた。

8合目から上の神社の施設のある約16万平方m分は1952年(昭和27)
に大社に譲与されているが、富士山頂が返還されなかったため、大
社側が国を相手取って裁判を起こしました。1974年(昭和49)、最
高裁の判決で大社側の所有が認められた。

しかし静岡、山梨の県境が確定しておらず、登記手続きがとれず(東
海財務局)、2004年(平成16)12月17日、土地の所有権が国から富
士山本宮浅間神社に移った。(2004年(平成16)12月18付け朝日新
聞から)。

しかし、土地の所有権は認められはしたものの、山頂付近の静岡県
と山梨県の県境はまだ定まっていないという。したがって、土地登
記が出来ずじまい。

住所は、もちろん静岡県でもなく山梨県でもない。所在地は、日本
国富士山無番地なのだそうです。同大社側は「これで所有権の手続
きは解決した。県境の問題は県民感情もあり、登記に向けて時間を
かけて解決したい」と話しているという。

【所在地】
・山梨県富士吉田市、山梨県南都留郡鳴沢村と静岡県富士宮市、富
士市、御殿場市・静岡県駿東郡小山町との境だが八合目付近から上
部は富士山本宮浅間大社の「私有地」になっており、境界がはっき
りしていない。富士急行河口湖駅からバス、河口湖口五合目から5
時間30分で富士山頂。山頂剣ヶ峰に電子基準点(3777.39m)と二
等三角点(3775.63m)、白山岳に二等三角点(3756.36m)がある。
火口内に写真測量による標高点(3535m・標石はない)がある。

【位置】
・山頂剣ヶ峰に電子基準点と三角点、白山岳に三角点、火口内に標
高点がある。

剣ヶ峰に電子基準点(※標高3774.9m)(北緯35度21分38.75秒、東
経138度43分38.3秒)

剣ヶ峰電子基準点のすぐ南に三角点(標高3775.6m)(北緯35度21
分38.26秒、東経138度43分38.52秒)

白山岳に三角点(標高3756.4m)(北緯35度22分0.02秒、東経138度
43分46.43秒)

【火口内標高点の詳細】:(標高3535m)(写真測量による標高点)
(緯度経度:北緯35度21分46.53秒、東経138度43分53.27秒)(国土
地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「富士山(甲府)」(別の図葉名と重ならず)
5万分の1地形図「甲府−富士山」(国土地理院「電子国土ポータ
ルWebシステム」から検索)
茶屋・富士吉田駅・大月駅・高尾駅」

【参考】
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・「富士山・史話と伝説」遠藤秀男(名著出版)1988年(昭和63)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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