山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼458号 「高山植物・クロユリと尼僧」

昔、越後に住んでいた兄妹。兄は出家、妹はお屋敷に預けられた。
30年後、お屋敷に兄の僧が訪れたが妹はいなかった。悲しんだ旅
僧は近くの淵に身を投げた。そして1年尼僧があらわれた。兄の事
情を知った妹はあとを追った。それからは命日が来ると妖しく美し
いクロユリが咲くようになった。

【本文】

クロユリは高山植物。花は黒味のある濃い紫色の褐色で、ムカ〜
シはやった「黒百合は恋の花ァ……」のロマンチックな歌とはほ
ど遠いもの。形はユリに似ていますが小さく下向きに咲き、あま
り目立ちません。匂いもユリのように快くなく悪臭があります。

花言葉は恋・呪い。有名な佐々成政の伝説から来ているのでしょ
うか。花の形は広いつり鐘状で直系2、3センチ。花弁は6個、
7〜8月が花期です。クロユリは茎の高さ20センチ。葉は刃針に
似た披針刑。数個ずつ輪の形に茎につく輪生です。本州中部以北
の高山帯草原に分布。

北海道の海岸のものは染色体が三倍体の36とかで花が大きく花つ
きもよく、昔から鱗茎をゆでて混ぜご飯にしたり、乾かして不時
の食料にしたとか。クロユリの英名は「rice root(米の根)」と
いうそうですが、やはり鱗茎が食用になるところからきていると
いいます。

クロユリはその黒という奇異な花の色から、か山形県の鳥海山麓
鶴間ヶ池の伝説などいくつかの伝説が残っています。これはその中
のひとつです。以下「続・植物と神話」を参考にしました。

越後の破間川(やぶるまがわ・いまの新潟県魚沼市を流れる川、信
濃川水系魚野川の支流)の上流に樽淵という淵があり、その左岸に
大きな洞窟があるそうです。信州・松本城主小笠原の家臣、猪俣平
九郎という人はある事情で浪人していましたが貧苦のなか、病死し
てしまいました。その時、平九郎の息子惟高は22歳、娘の百合は19
歳の年頃になっていました。

残された兄妹の苦労はいくばかりだったでしょうか。息子の惟喬は
ついに世の無情を感じて出家、妹の百合を越後・薮神地方(いまの
魚沼市)の浅井家に預けて諸国行脚の旅に出てしまいました。それ
か30年たったある秋の夕方、薮神の浅井家にあらわれたひとりの
旅僧。

「以前こちらへ預けた妹の百合にひと目会いたい」と事情を話しま
した。しかし、妹も百合はすでに兄サマを探しに旅立ったまま帰
らないという。

たったひとつ生きる望みを失った僧は、生まれ育った家の近くの
樽淵のほとりでしばし呆然としていましたが、やがてその樽渕へ
身を投げてしまいました。

そして1年、こんどは尼僧があらわれました。兄の事情を知った
妹の百合は悲しみのあまり同じ淵に身を投げ、あとを追ったとい
う。それからというもの、尼僧の命日がくると樽淵のほとりには
妖しくも美しいクロユリの花が咲くようになりました。

それを見て村人は、これは悲運を嘆いて死んだ尼の霊が花となっ
て咲いたのだと噂しあったという(『越後伝説』)。クロユリには花
が黄色いものもあり、これをキバナクロユリというそうです。
・ユリ科バイモ属の多年草

【参考】
・「高山植物花の伝説」稲田由衣(株式会社ナカザワ)
・「植物と伝説」松田修(明文堂)1935年(昭和10)
・「植物の世界・10」(朝日新聞社)1996年(平成8)
・「続・植物と神話」近藤米吉編著(雪華社)1976年(昭和51)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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