山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼446号 「奥多摩・石尾根七ツ石神社」

【略文】
奥多摩石尾根・七ツ石山直下にある七ツ石神社は、七ツ石山の伝説
の平将門が祭られています。かつては、この神社の前や、山梨県側
の尾根道の途中で、賭博が開かれていたという。山梨県側尾根道の
開帳された場所はいまでも「堂所」の地名が残っています。
・東京都奥多摩町と山梨県丹波山村との境

▼446号 「奥多摩・石尾根七ツ石神社」

【本文】
奥多摩の雲取山(2017m)から東へ、奥多摩駅近くまでつづく石尾
根があります。その途中の七ツ石山東側直下に、小さな神社があり
ます。七ツ石神社といい、七ツ石山の伝説の平将門が祭られていま
す。

この神社は4月8日が祭日で、かつては南麓の山梨県北都留郡丹波
山村小袖地区の村人が登拝し、神社前と、山梨県側の尾根道の途中
で、賭博が開かれていたという。開帳された場所はいまでも堂所(ど
うどころ)の地名が残っています。しかし堂所という場所は、賭博
が行われていたわりには狭いような気がしますが??

それはともかく、賭博は1961(昭和36)年くらい前まで行われてい
たといいます。昔はかなり盛大で、青梅市の親分が「出ばって」き
たといいます。丹波山村にも親分がいて胴元になったらしい。客は
いずれも多摩川上流に住む山村の人たちだったという。賭博はサイ
コロ、花札を使う奇偶博打で勝負が早く、あがる寺銭もかなりの額
だったということです。

かつて神社前に鉄製の丸筒があり、なかに鉄製おみくじが入ってい
たという。おみくじはたった3本で、それには「一、二、三」と数
字が刻まれ、一は大吉、二は吉、三は凶となっていたという。しか
し、その見方は普通とちがい、三の凶が最も良く、つぎが吉で、一
の大吉はいちばん悪いのだというから変わっています。

なお、七ツ石山には大岩が大ざっぱに数えて7つほど立っています。
平安時代のご「承平、天慶の乱」で、藤原秀郷われた平将門一行が
奥多摩山中のこのあたりに陣取ったという伝説があります。

将門は6人の影武者をわら人形でつくってそのまん中に立ち、追っ
て来た連合軍に立ち向かったという。秀郷は一瞬迷いましたが、成
田不動のお告げどおり真ん中の本物の将門に命中させました。とた
んに7人の武者は岩になったと言い伝えられています。

▼七ツ石神社【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町と山梨県北都留郡丹波山村の境。JR
青梅線奥多摩町からバス雲取山登山口、さらに歩いて3時間30分
で七ツ石神社。

【位置】
・七ツ石神社:北緯35度49分46.12秒、東経138度57分53.42秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「丹波(甲府)」or「雲取山(甲府)」(2図
葉名と重なる)。

▼【参考】
・『あしなか復刻版・4』(名著出版):「あしなか・80号」(山村民
俗の会)1981年(昭和56)
・『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1980年(昭
和55)
・『奥秩父の伝説と史話』太田巌著(さきたま出版会)1983年(昭
和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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