山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼441号 「東北・鳥海山の手長足長鬼」

【概略】
鳥海山には手長・足長という怪物がいて、ふもとの街道を通る旅人
をよく襲ったという。鳥海山の神は、3本足のカラスをつかわし、
ウヤ(鬼がいるから注意の時)、ムヤ(留守で安全)と鳴かせ、旅
人に合図をさせました。平安時代初めになり、慈覚大師がやってき
て手長足長を退治したという伝説があります。(441)
・山形県遊佐町

▼441号 「東北・鳥海山の手長足長鬼」

【本文】
裾野が日本海にのびる鳥海山(ちょうかいさん・2236m)は東北の
名山とうたわれます。山形、秋田側ふもとにはこんな伝説がありま
す。

昔々、鳥海山には「手長・足長」という怪物(鬼・悪魔)がすんで
いたという。「手長足長」は街道を通りかかる人間を捕まえては食
べたり、里に現れては田畑を荒らしていました。

鳥海山の神・大物忌(おおものいみ)神はこれを見て、3本足の霊
鳥(カラス)をつかわしました。(3本足のカラスは和歌山県熊野
本宮のお使いと同じですね。)そして山に鬼がいて危ないときは「ウ
ヤ」、鬼がいなくて安全なときは「ムヤ」と鳴かせたという。

そこで里人は鳥海山のふもとの街道を通るには、カラスが「ムヤ」
と鳴く日まで待ってから歩いたという。このことから山形・秋田県
境の三崎山の関を、「有耶無耶の関」というのだという。

ここは、鳥海山から流れ出た溶岩流が海側に突き出た場所。その上、
海側から浸食をうけ、馬も通れないほどの地形で交通の難所だった
といわれています。

平安時代初めのころ、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん・伝教
大師最澄の弟子から第3代天台座主(ざす)になった)が、手長足
長退治のため山形県吹浦に大護摩壇をつくって火散の修法を行いま
した。

21日目(山形側では100日目だという)になり、大地がゆれて大音
響とともに鳥海山が破れると、怪物の手長足長は山の頂とともに吹
き飛びました(秋田県側ではあわてふためく手長足長めがけて、慈
覚大師が村人を連れて山に登り火をかけて退治したことになってい
ます)。

この時、悪魔の尾が落ちてきたところが尾落伏(いまの落伏地区)
になり、吹き飛んだ鳥海山の頂きは、日本海に落ちて飛島になった
ということです。

一方、有耶無耶(うやむや)の関は、蝦夷の侵入を防ぐために9世
紀頃に築かれたという説もあります。いまの有耶無耶の関址の場所
は、山形県遊佐町側になっていますが、本当は山形、秋田の県境の
三崎峠だったとするほかに、国道286号線が通っている笹谷峠(宮
城県と山形県の県境)付近だとする説もあるという。

「武士(もののふ)の 出(いつ)さ入(い)るさに 枝折(しを
り)する とやとやとほりの むやむやの関」という歌も詠まれて
います。

▼有耶無耶の関跡【データ】
【所在地】
・山形県飽海郡遊佐町。JR羽越本線吹浦駅から車で10分で有耶
無耶の関。地形図上には地名と建物記号のみ記載。有耶無耶の関址
より北方向直線約274mに三崎公園(三等三角点・58.7m)がある。

【位置】
・【有耶無耶の関址】緯度経度:北緯39度06分57.07秒、東経139
度52分17秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「小砂川(酒田)」

【参考】
・「日本伝説大系2・中奥羽編」(岩手・秋田・宮城)野村純一編(み
ずうみ書房)1985年(昭和60)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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