山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼417号「日本の天狗の代表八天狗」

・【概略】
日本を代表する大物天狗というのに「八大天狗」がある。これは室
町時代あたり?から、自然に選び出されたといわれている8人(8
狗)の天狗たちのことだという。「八」としたのは「大峰八大金剛
童子」(金剛童子は天狗と見なされている)がもとになっていると
いう。

▼417号「日本の天狗の代表八天狗」

【本文】
山の妖怪としておなじみのものに天狗がいます。しかし、天狗とは
なんでしょう。ご存じですか?そもそも天狗には大天狗、中天狗、
小天狗、烏天狗、水天狗など、もろもろといますが、なかでも大天
狗は鼻の高いよく見る天狗です。その大天狗のなかでも「なんとか
坊」などの名前のあるのは大物だそうです。これが天狗の階級です。

室町時代以降、各地の霊山や力のある山伏集団のいる山では、天狗
に対する崇敬を強め、民衆に浸透させるために、次つぎに天狗に名
前をつけていったとされています。有名なのは誰が決めたか「日本
八天狗」と呼ばれる面々。

その名は京都の愛宕山太郎坊(あたごさんたろうぼう)、滋賀県比
良山次郎坊(ひらさんじろうぼう)、長野県飯縄山の飯綱三郎(い
づなのさぶろう)、奈良県大峰前鬼(おおみねぜんき)、京都の鞍馬
山僧正坊(くらまさんそうじょうぼう)、香川県白峰相模坊(しら
みねさがみぼう)、神奈川県相模大山伯耆坊(さがみおおやまほう
きぼう)、福岡県の彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)の八天狗で
す。(彦山は今は英彦山と書く)。

なかでも愛宕山太郎坊は、八天狗の筆頭で全国愛宕社約800社に祭
られており、その前身は聖徳太子の恩師(『聖徳太子伝暦』、『今昔
物語』)であるともされる日羅(にちら)だともいわれます。日羅
は、6世紀朝鮮半島の百済王から、日本人でありながら高い官位を
与えられていた官僚です。

しかし敏達天皇の要請で、583年に日本に帰国、朝鮮半島に対する
政策について朝廷に進言していました。それが百済に不利な内容で
あったので、その年の12月に百済人に暗殺された御仁です。

さて太郎の次は次郎が順序です。比良山に住む次郎坊は平安後期の
『今昔物語』(巻第二十)にも登場する天狗。讃岐(さぬき・いま
の香川県)の国の万能ノ池(まののいけ)の主の竜に襲いかかった
り、比良山(ひらさん)の僧につかみかかり、比良山の竜のいる洞
窟に投げおろしたりと、その乱暴ぶりが紹介されています。「三男」
の飯綱三郎は長野県の飯縄山(いいづなやま)におり、静岡県の秋
葉山、東京の高尾山、群馬県の迦葉山(かしょうざん)などの飯縄
系天狗の総元締めになっています。

これら飯縄系の天狗は実際は白狐(びゃっこ)に乗った荼吉尼天(だ
きにてん)の姿だとされています。次の大峰前鬼は、その妻といわ
れる後鬼(ごき)とともに役ノ行者(えんのぎょうじゃ)の忠実な
従者です。大峰山を守る護法(ごぼう)天狗といわれています。い
までも大峰山中には前鬼の里があります。

【参考文献】
・日本古典文学全集24『今昔物語3)馬淵和夫ほか校注・訳(小学
館)1993年(平成5)
・『修験道の本』(学研)1993年(平成5)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『図聚 天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る