山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼412号 「北ア・黒部五郎岳ゴーロ山」

・【概略】
北アルプス黒部川の源流にある黒部五郎岳。山頂からは北西に薬師
岳、北東に雲ノ平が展望できます。ここは東側直下にあるえぐれた
ような大カールが特徴。黒部五郎岳の「五郎」は、長野・富山県境
の野口五郎岳と同じ岩石がゴロゴロ重なっているゴーロ山のことだ
という。このゴーロ岳の名は信州側の呼び方だとするもののほかに、
富山県側の山村の言葉だとする本もありいまいちはっきりしないと
ころ。山頂に立つと360度の展望が広がります。
・富山市

▼412号 「北ア・黒部五郎岳ゴーロ山」

【本文】
北アルプス黒部川の源流にある黒部五郎岳。山頂からは北西に薬師
岳、北東に雲ノ平が展望できます。ここは東側直下にあるえぐれた
ような大カールが特徴です。黒部五郎岳の「五郎」は、長野・富山
県境の野口五郎岳と同じ岩石がゴロゴロ重なっているゴーロ山のこ
とだという。

このゴーロ岳の名は信州側の呼び方だとするもののほかに、富山県
側の山村の言葉だとする本もありいまいちはっきりしないところ。
越中側では黒部峡谷を囲む山々を黒部奥山というそうです。黒部奥
山は江戸時代の文化8年(1811)、黄?(こうひ)というものを主
とする薬草の調査や採取を大々的に行ったり、また天保9年(1838)
には、献上の御用材調達のための大伐採をやろうとしましたが果た
せなかったなど、いろいろな事があったところだという。

江戸前期の元禄13年(1700)の絵地図には、ただ「奥山」とだけあ
り、下って享和元年(1801)の文書には「黒部奥山」と奥山がつく
ようになりました。昔は、針ノ木峠から南を上奥山、北側を下奥山
といったそうですから、その伝でいけば黒部五郎岳は上奥山の上山
になるのでしょうか。

1910(明治43)年、中村清太郎らがこの山に登頂した時には、山頂
に柱のような自然石が2つあり、その1つに「中之俣白山神社」と、
うすれた墨で書いてあったとか(中村清太郎『越中アルプス縦断
記』)。白山神社とは富士山、立山とならんで「日本三名山」の1つ
である、北陸の名山、白山の神の白山比盗_社(しらやまひめじん
じゃ)が総本社です。

祭っている神さまは、ふつう菊理媛神(くくりひめのかみ・白山比
盗_)と、伊邪那岐(いざなぎ)神、伊邪那美(いざなぎ)神の三
柱だという。白山神社という神社は、全国にありますが、とくに石
川県、岐阜県に多く、黒部五郎岳のふもとの神岡町、上宝村(いま
は高山市)にもたくさんある神社です。

ある年の夏、黒部五郎小屋のテント場は水場も近く、広々とした気
持ちのよいところ。荷物を軽くして黒部五郎岳を往復しました。歩
きづらい灌木の中の岩道が飽きるころ、山頂直下のカールがあらわ
れました。雪田になっています。ザックを置いてしばらく雪遊びを
しました。山頂に立つと、360度の展望が広がります。

ガイドブックにあるとおり、北に雲ノ平から遠く立山、剱岳。広々
と続く太郎平から薬師岳につながる稜線。そばにいた登山者に「あ
の稜線を歩いてみたいですね」といったら「それをしたくて今回き
ました。これから太郎平に向かいます」とのこと。うらやましい。
深田久弥選定「日本百名山」第51番めに選定。

▼【データ】
【山名】黒部にあるゴロゴロした岩のある山。鍋岳。岐阜県側では
中ノ俣岳。

【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)と岐阜県高
山市上宝町(旧同県吉城郡上宝村)との境 富山地方鉄道有峰口か
らバス、折立から歩いてのべ11時間で黒部五郎岳。三等三角点(標
高2839.6m)がある。地形図に黒部五郎岳(中ノ俣岳)と三角点の
標高の記載あり。

【位置】
・三角点:(標高2839.6m、三等三角点)。【緯度経度】北緯36度23
分33.32秒、東経137度32分23.71秒(電子国土ポータルWebシステム
から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「三俣蓮華岳(高山)」(電子国土ポータルW
ebシステムから検索)。5万分の1地形図「高山−槍ヶ岳」

【山行】北アルプス笠ヶ岳〜黒部源流縦走
・某年8月9日(火・快晴)黒部五郎岳探訪

【参考】
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『角川日本地名大辞典16・富山県』坂井誠一ほか編(角川書店)1
979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成6)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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