山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼376号 「奥武蔵・子ノ権現の教育地蔵」

【概略】
子ノ権現は足腰の仏さまとして御利益があるといい、相撲取りや競
輪の選手、サッカー選手などがお参りに来るそうです。ここはもと
神仏習合のお寺です。そのため、付近にある「教育地蔵」は、お地
蔵さんにりっぱな山王鳥居が建っています。
・埼玉県飯能市

▼376号 「奥武蔵・子ノ権現の教育地蔵」

【本文】
埼玉県奥武蔵にある子ノ権現(ねのごんげん)はハイカーにはおな
じみのお寺。天台宗別格本山の寺で、正式名を大隣山雲洞院天龍寺
といっているそうです。

ここは昔から足腰の仏さまとして御利益があるということから、ど
こから聞いたのか、江戸時代には飛脚や相撲取りの参詣が多かった
という。

明治時代になると人力車の車夫が、また最近は競輪の選手やサッカ
ー選手などが多くお参りに来るといわれています。

このお寺の名の天龍寺は、平安時代のはじめの延喜11年(911)こ
こを開いた子の聖(ねのひじり)を火災に遭い危なかったところを、
天竜が助けたという故事から来ているといいます。

そのせいで、寺宝は「竜鱗石」と呼ばれる直径2センチほどの小石。
これは子の聖を助けた時、はがれ落ちた天竜のうろこが石になった
と伝えられているものだそうです。

また南北にならんで立つ名物の2本杉は、南の1本は幹まわり7.3
m、樹高37m。北の杉が幹まわり7.3m、樹高24m、樹齢はともに1
000年前後と推定され、県指定の天然記念物になっています。

この杉はかつて「子の聖」が食事の時、箸がわりに使った杉の枝を
地面にさしたところ、それがついて大木に成長したという伝説のあ
るしろものです。

ここは権現の名がある通り、もと神仏習合のお寺です。そのため、
付近にある「教育地蔵」は、お地蔵さんにりっぱな山王鳥居が建っ
ています。

ちなみに子の聖がこの山を開山後、聖を大権現と崇める恵聖上人が
子の聖の尊像を本尊として長和元年(1012)に子ノ聖大権現社を創
建。天龍寺を子ノ聖大権現社の管理運営をする別当寺にしたと伝え
られています。

▼子ノ権現【データ】
【山名】
・【異名、由来】:子ノ権現・子の山。子の聖の山。天台宗別格本山
 大鱗山雲洞院天龍寺(子ノ権現)

【所在地】
・埼玉県飯能市・西武秩父線西吾野駅から1時間半で子ノ権現(大
鱗山雲洞院天龍寺)。地形図に子ノ権現の文字と寺院記号のみ記載。
付近に何も記載なし

【ご利益】
・【大鱗山雲洞院天龍寺】:足腰の守護・子宝・子育て・厄除け開運

【位置】
・【子ノ権現】緯度経度:北緯35度54分27.32秒、東経139度11分17.
31秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「原市場(東京)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)

【山行】
・某年11月12日(火・くもりのち晴れ)子ノ権現の教育地蔵探訪

【参考】
・「角川日本地名大辞典11・埼玉県」小野文雄ほか編(角川書店)1
980年(昭和55)
・「子の権現天竜寺パンフ」
・「郷土資料事典・埼玉」(ゼンリン)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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