山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼342号「奥秩父・金峰山五丈岩の若者」

【概略】
金峰山頂には、形が大黒さまに似ているので、御像岩とも呼ばれる
岩峰・五丈岩がある。かつて奈良の金峰山から蔵王権現を勧請した
め金峰山と呼ばれる。5月の連休、高校生が雪が残る五丈岩の上に
登ったが最上部で降りられなくなり一時大騒ぎになった。
・山梨県甲府市と長野県川上村との境

【本文】

奈良県吉野の金峰山は「きんぷせん」、同じ字を書いても奥秩父の
金峰山は「きんぷさん」とか「きんぷうさん」(山梨県側)と呼ん
でいます。しかし長野県側では「きんぽうざん」と呼び、山頂直下
にまつってある金峰山神社の名も「きんぽうざん神社」という。ま
た「きんぷぜん」、「きんぷざん」ともいうそうです。

ただ江戸時代の文化11年(1814)完成の甲斐国四郡の地誌『甲斐國
志』(松平定能(まさ)編集)には、幾日(いくか)の峰という呼
び方があったとあります。同書には「きんぽうせん」が正しいとも
あるようです。

ちなみに「幾日の峰」については、順徳院の「千隈川春行水ハ澄二
ケリ消えテ幾日ノ峯ノ白雪」(「続千載集」に収納)から出たものだ
といいます。順徳院は鎌倉前期の順徳天皇。父の後鳥羽上皇ととと
もに鎌倉幕府を討とうと挙兵、「承久(じょうきゅう)の乱」をお
こしましたが敗れて佐渡に配流されています。

さて金峰山の話に戻ります。「金峰」の文字のもとは武田氏の時代
の金の採掘場所だったともいうことから、金鉱にかかわる山名だと
もいいます。また奈良県吉野の金峰山の蔵王権現をまつってあるか
らなどの説もあるそうです。やはり吉野の金峰山の影響は大きいで
すね。

ところで奥秩父金峰山頂の大岩は、形が大黒さまに似ているという
ので、御像岩(ごぞういわ)とも呼ばれる岩峰・五丈岩(ごじょう
いわ)。大きな岩が横積みされています。山梨県御岳町(いまは甲
府市御岳町)の金桜神社の由緒書によれば、ここはかつて金丸山と
いっていたという。

その後、文武天皇の時代(飛鳥時代)になり、奈良の金峰山から蔵
王権現を勧請し、本宮(山宮)と里宮にまつったため金峰山と名を
変えたという。金峰山は眺望絶景の地として昔から知られ、快晴の
時には浅間山、立山から白山、妙義山、榛名山、佐土国まで見える
と古書にあります。また「勅許甲斐八景」に(金峰暮雪)が選ばれ
たほどの景勝地です。

ある年の5月の連休、金峰山は若者で賑わっています。高校生が雪
が残る五丈岩の上に登っていきます。最上部まで登ったはいいけれ
ど途中で降りられなくなり困っています。なんとか下には降りられ
ましたが、一時大騒ぎになりました。

金峰山【データ】
【所在地】
・山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村との境。JR中央本線韮崎駅
の北東24キロ。中央本線塩山駅からタクシー・大弛峠から歩いて1
時間45分で金峰山(きんぷさん)。

・五丈岩と三等三角点(2595.03m)と標高点(2599m)、金桜神社
の山宮(本宮)跡がある。地形図に山名と三角点の標高と標高点の
標高の記載あり。三角点より北西方向380mに金峰山小屋がある。

【位置】
・標高点:北緯35度52分17.81秒、東経138度37分31.69秒
・三角点:北緯35度52分17.4092秒、東経138度37分31.1284秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「金峰山(甲府)」or「瑞牆山(甲府)」(2
図葉名と重なる)

【山行】
・某年4月29日(金曜日・晴れ)奥秩父縦走時探訪

【参考】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「信州山岳百科・3」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「日本歴史地名大系・長野」(平凡社)1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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