山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼284号 「奈良県・大和葛城山久米の岩橋伝説」

【概略】
醜い姿の鬼神だという一言主の神。夜だけ働いたため、葛城・金峰
山間の岩橋が出来ず、怒った役ノ行者に呪縛されたと伝承されます。
それを恨んだ一言主の神は文武天皇に告げ口。天皇は役ノ行者を伊
豆の大島に島流ししたという。その跡が岩橋山に残る久米の岩橋だ
という。
・奈良県当麻町と大阪府河南町との境

▼284号 「奈良県・大和葛城山久米の岩橋伝説」

奈良県と大阪府の境の葛城山で修行していた役ノ行者(小角)は、
吉野金峰山から大峰山にも峰入りするようになります。すると一般
の人たちも行者を見習って葛城山と吉野金峰山の2大聖地を目指し
て信仰登山をするようになりました。

役ノ行者は空を飛び両聖地を行ったりきたりするのは苦ではありま
せんが、普通の人が両方の山を往復するのは並大抵ではありません。

そこで、行者は民衆が楽に両山を行き来できるよう、葛城山と金峰
山の間の空中に岩の橋をかけてみんなを渡ってもらおうと岩橋建造
を計画します。

早速人夫として全国から天狗や鬼神が集めるため、従者の前鬼後鬼
を派遣しました。すでに偉大な力を持っていた役小角行者の言づて
にはさすがの天狗・鬼神も逆らえず、渋々集まってきて早速突貫工
事がはじまります。

鬼神たちは「自分たちは姿が見苦しいので仕事は夜だけにしたい」。
すると行者は働かされていた鬼神たちの中のひとり一言主神(ひと
ことぬしのかみ)を呼びつけ「なぜそんなことで一々、恥ずかしが
るのか」となじります。

すると「そのくらいのことが分かってくれないのなら、もう仕事は
できません」と抗議します。怒った行者は一言主の神を捕まえ、葛
の蔓で七まわり縛って呪縛し、谷底に置き去りにしました。

それを恨んだ一言主神は都人(みやこびと)の魂に入り込み、京の
町に「行者が世の中を混乱させようとしている」とのうわさをふり
まきました。

うわさを耳にした朝廷は、慌てに慌てて行者を捕まえようとします。
しかし、行者は空を飛ぶため思うようにいきませんでしたが、行者
の親孝行を利用し母親を捕らえて、やっと従わせ伊豆の大島に流す
ことができたという。

そのため吉野金峰山への岩橋建設計画は中断してしまったという。
その時の作りかけ途中のあとが大和葛城山近くの岩橋山にある「久
米の岩橋」だというのです。

そこには付近にはない大岩が橋の基礎らしく金峰山方向に築いてあ
ります。しかし、なんとも乱暴な積み方ではありませんか。思わず
笑ってしまいました。

この話は「今昔物語」第十一巻、第三や、そのほかの古書に載って
いる物語です。なお、中里龍雄は「役ノ行者の大峰伝説・上」(「旅
と伝説」)のなかで岩橋は大峰山の山上ヶ岳「西の覗き」付近から
金剛山方面へ駆けようとしたのだとしています。

▼【データ】
【所在地】
・奈良県葛城市(旧北葛城郡当麻町)と大阪府南河内郡河南町との
境。近鉄南大阪線尺土駅から歩いて2時間30分で岩橋山。三等三角
点(標高658.8m)がある。そのほかは何もなし。地形図に山名と
三角点記号と三角点の標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【位置】
・【等三角点】緯度経度:北緯34度29分35.95秒、東経135度40分45.
3秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「御所(和歌山)」。5万分の1地形図「和
歌山−五條」

【山行】紀伊の山大台ヶ原縦走
・某年11月1日(火・晴れ)岩橋山探訪

【参考】
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『役行者本記(ほんぎ)』(奈良時代・神亀元(724)年・役義元著
の記述があるがはっきりしない)
・「今昔物語集」第十一巻、第三:日本古典文学全集21「今昔物語
集」校注・馬淵和夫ほか(小学館)1995年(平成7)
・「図聚天狗列伝・西日本篇」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「旅と伝説」1928年(昭和3)5月号(三元社):「民俗学資料集
成・第1巻」収納

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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