S 山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼239号 「群馬県・迦葉山の天狗中峰尊者」

【概略】
上州迦葉山も天狗で売っている山です。いまでも夜中に天狗の羽音
がするとか、ゆうべ天狗に会ってきたとか山ろくの弥勒寺の和尚さ
んがのたまう。天狗の名は迦葉山中峰尊者。前身は弥勒寺の中興の
祖天巽慶順の弟子中峰と伝え、小田原最乗寺道了薩たの弟分だとい
う。
(本文は下記にあります)

【本文】

上州(群馬県)の迦葉山(かしょうざん)も天狗で売っている山で
す。天狗の名は迦葉山中峰尊者(ちゅうほうそんじゃ)。いまでも
夜中に天狗の羽音がするとか、天井を歩きまわる音がするなどとい
っています。

さすが天狗の山らしく、山麓の弥勒寺(みろくじ)には、たくさん
の天狗の面が飾ってあります。天狗の中峰尊者はこのお寺の護法(ご
ぼう)天狗なのです。その不思議さを地元の古記録『沼田根元記』
は次のように述べています。

江戸時代前期の延宝7(1679)年、沼田真田氏五代めの藩主真田伊
賀守信澄が、山麓の村々の男たちを勢子として徴収、藩士、足軽な
どを動員して、殺生禁断の聖地迦葉山に傲慢にも馬で乗り入れ狩猟
を強行した記録があります。勢子たちは動物を追い立てて、竜華院
境内に入った時

「不思議や、山振動し、ひとむらの黒雲覆うと見へしが、一面に暗
闇となり、大雷雨鳴り響き、光の中に異形のもの数多現れ、何方の
勢子一人も、人心地なく倒れ伏す。伊賀の守も狩屋より転び落ちて
人心地なし。

……伊賀の守にも信心肝に銘じ、迦葉山の方を拝したまい、仏躰の
三躰を納奉るべし。無事に帰城なさしめ給へと、大音に三拝し給え
ば、(中峰)尊者感応ましましけるにや、雷もしずまり、雨もやみ
けるゆえ、川場(村)の方より御廻り、ほうほうのていにて御帰城
あり。

しかし有り難き事には、仏法の山故、人夫まで一人の怪我もなく、
帰りけるこそ不思議なれ」とあります。光の中に現れた迦葉山中峰
尊者が率いる天狗たちの神通力を見て、さすがの伊賀の守もほうほ
うの体で逃げ帰ったというのです。

弥勒寺は、いまは曹洞宗ですが、かつては天台宗で開基は平安前期
だといいます。室町後期の文明7(1474)年、小田原大雄山最乗寺
の第15代山主だった天巽(てんそん)慶順(けいじゅん)という
偉いお坊さんが最乗寺から、迦葉山竜華院にきて曹洞宗に改宗、竜
華院弥勒寺として再興させたと聞きます。天巽には中法(ちゅうほ
う)と呼ぶ弟子がいました。

中法は特殊な才能があり、弥勒寺再建の時も建築土木に超人的な働
きをしたといいます。また酒好きの天巽師匠のため、毎晩、飛ぶよ
うに里に下り酒を買ってきたという。

世は戦国時代の明応7(1498)年、天巽慶順は87歳で他界します。
師を見送った弟子の中法は、突然、大天狗「中峰尊者」(ちゅうほ
うそんじゃ)の姿に変身、弥勒寺を守っているのだと伝えます。こ
れは、小田原最乗寺の天狗話とよく似ています。

そのため最乗寺は弥勒寺の本家とされ、中峰は最乗寺の天狗道了尊
(どうりょうそん)の弟分とされています。そして、ここ迦葉山と
東京の高尾山、栃木県の古峰ヶ原(こぶがはら)の天狗は3人兄弟
ともいわれ、ここは本家の2番息子という。中峰尊者ははじめ、迦
葉山の奥の院、和尚台山(三峰山)の頂上にあらわれたのだそうで
す。

▼【データ】
★【所在地】
・群馬県沼田市。JR上越線沼田駅の北13キロ。JR上越線沼田
駅からバス、迦葉山バス停から1時間10分で弥勒寺。地形図に弥勒
寺の文字のみ記載あり。

★【ご利益】
・【弥勒寺】:諸願成就・開運招福

★【位置】
・弥勒寺:北緯36度45分4.86秒、東経139度03分48.08秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「藤原湖(日光)」(別の図葉名と重ならず)
(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)

★【山行】
・某年4月10日(土・晴れ)探訪

★【参考】
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「図聚 天狗列伝・東日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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